朝比奈親子のアレコレ
私がママのママになる(前編)
「——冬華ママ、お待たせ。これが期末試験の結果だよ」
「はいはい、お疲れ雪菜。じゃあ遠慮無く拝見させて貰いましょうか」
長期休みに入る前の学生たちの恒例行事にして、学生たちの天敵。人によっては学校生活最大の鬼門とも言える学期末試験も無事に終えて。ある意味試験よりも緊張しながら……私、朝比奈雪菜はおずおずとその試験結果をママに差し出す。
「ふむ、ふむふむ……なるほどね」
「……」
緊張の一瞬。審判の時。ママが試験結果を読み終わる間、そわそわ落ち着き無くママの側を意味も無く行ったり来たりする私。
そんな私を横目に、ママは結果を読み終えると。顔を上げて一言こう告げる。
「雪菜、凄いわ。よく頑張ったわね」
柔らかで優しい、大好きな笑顔を私に向けながら。ママは私を褒めてくれる。そんなママの一言にホッと一安心すると同時に。心の中でガッツポーズをする私。良かった、頑張って勉強して本当に良かった……
「昔のママよりも成績優秀よ。全教科平均点以上で、学年トップ10に入っちゃうとか凄いじゃない。やっぱり雪菜はママの自慢の娘よね」
「いや、まだまだだよ。私なりに頑張ってはみたけど、それでもやっぱり上には上がいるから。一番を目指してみたけど、ちょっと勉強不足だったわ」
「向上心が高いのは良い事ね。でも……もっと素直に喜んで良いのよ。もっと自分を褒めて良いのよ。雪菜は偉い、偉いわ」
まるで我が事のように。と言うか当人である私以上に嬉しそうに喜んでくれるママ。喜びすぎて感極まり、私に抱擁までプレゼントしてくれる始末だ。
「ま、ママ……そんなに褒められても困るよ。それに抱きつかないで……恥ずかしいじゃない」
「良いじゃないの。もっとママに褒めさせてよ。もっとママにぎゅーってさせてよ」
「もう……恥ずかしいって言ってるのに」
優しく私を抱きしめて。『偉い』を連呼しながら頭をいっぱい撫でてくれるママ。そんな甘やかし上手なママの母性溢れる胸の中で、口では恥ずかしいと言いながらも私はママのその抱擁を存分に堪能していた。大好きな人との抱擁を、心から喜んでいた。
私のママ——冬華ママは、どこまでも優しくて頼りになるしっかりもの。
私の父なる人と私を産んだ時に喧嘩別れした後は。誰にも頼る事無く、その身一つで私を育て懸命に養ってくれた強い人だ。それは一体どれだけ大変な事だっただろうか、想像が及びも付かない。ただでさえ大変な子育て……それも支えるべきパートナーがいない中。それでも孤軍奮闘ながらやり遂げて。私と自分の生活を守るために子育てに加えてお仕事も続けている。……相当に苦労をした事だろう。辛く苦しい時だって少なくなかっただろう。
それなのに、ママは私の前ではただの一言だって不満も愚痴も恨みつらみも一切口にせず。ただただ優しい笑みを私に向けて、今みたいにいつも優しい抱擁をくれたのだった。
そんなママに、娘である私は……敬い、そして同時に密かに憧れを抱いている。
娘の贔屓目で見ても、ママ以上に綺麗な人はこの世に存在しないと思っているし。お淑やかで気品があって。それでいてたった一人で一人娘の私を守り育てる芯の強さも兼ね備えている。ママの忘れ物を届けにママの職場にお邪魔した時に見たママは……普段お家でほんわかしているイメージとかけ離れ、バリバリ出来る女上司って感じで実に素敵だった。
たまに私を思うが故に私を叱る事があっても、叱りつけるその様すらとても綺麗で。説教の最中でさえ『うちのママはなんて綺麗なんだろう』って、私はそのママの美貌に感嘆してしまうほど。それにちゃんと反省して謝れば、その後に必ず見せてくれる優しい微笑みと仲直りの抱擁……それがまた格別で。
絵に描いたような、まさに理想のママを体現している……それが私のママだ。
だから……世界で一番尊敬している人は誰かと聞かれたら。私は迷わずこう断言するだろう。『私のママを一番尊敬している』と。強く凜々しく美しい、尊敬できる私の自慢のママ。
大きくなったらママみたいな素敵な大人の女性になりたいと、常日頃から私は思っていた。
◇ ◇ ◇
「——ママ、ママぁ……♡」
「…………あ、あの……冬華ママ……?」
…………それがどうして、こうなった。
現在進行形で甘ったるい声を上げてしなだれかかり。上目遣いで私の胸の中で、娘である私に向けて『ママ、ママ』と連呼し頬ずりするのは……他でもない、冬華ママ。
そう、あのママだ。強く凜々しく美しい、母性の塊みたいに優しい。私が世界一尊敬していた……私が憧れていたあの……正真正銘私の母親である冬華ママだ。
…………もう一度言う。どうして、こうなった。
落ち着け私……とりあえず冷静になるためにも、今のこの状況を少し整理してみようじゃないか。
◇ ◇ ◇
「——ママ、遅いなぁ……」
無情に進む柱時計と待ち人からの反応のないスマホを交互に見ながら、私は一人家で待ちぼうけを食らっていた。
『ごめん雪菜……上司に半強制的に誘われちゃってさ……仕方ないから、忘年会行ってくる。すぐに戻るつもりだから……ホントごめんね』
今日は朝にそう言ったっきり。いつまで経っても家に帰ってくる事が無かったママ。いつもなら飲み会とかがあっても『大事な雪菜をひとりぼっちにさせられないわ』とかなんとか言って、すぐに帰ってくるはずなんだけど……
今日に限ってはいくら待ってもママは帰らず、帰らぬばかりか連絡一つよこさなかった。
「どうしたんだろ、まさか何か変な事件や事故に巻き込まれたんじゃないよね……?」
なんてだんだんと不安に駆られる中。夜も更けて日が変わるちょっと前くらいに、ママはようやく帰ってきた。
「えへ、えへへ……えへへへへー……」
「……え?」
「ほら、係長!しっかりしてくださいよ!」
「ちゃんと立って歩いてください!ご自宅に着きましたよ!」
「んー?あー……ほんとらぁ……わたひの、お家だぁ……えへへ、たらいまぁ……」
「……ま、ママ?」
ベロンベロンに酔っ払って帰ってきた。
「あー……その。ごめんね雪菜ちゃん……係長が飲めない事は、私たちも知ってたから止めたんだけどさ」
「上司の奴ったら全然言う事聞かなくてね……係長、上司に無理矢理飲まされちゃって……気づけばこうなっちゃいましたごめんなさい……」
「あ、あはは……ママ、お酒だけは弱いですからね……」
部下の人たちに支えられないと立つ事すらままならず、呂律も全然回らないくらい酔ってしまっているママ。なんでも上司にしつこくお酒を勧められ、最終的に断り切れずに一口飲んでこうなっちゃったんだとか。
素敵で完璧な自慢のママだけど、本人曰く唯一お酒だけはダメなんだとか。……おのれ顔も知らぬクソ上司。大好きなママを困らせるだなんて……アルハラで訴えてやる。
「係長を任せて大丈夫?介抱の仕方とかわかるかな?」
「何だったら、私たちも一緒に係長を介抱しても良いんだけど……」
「いえ、大丈夫です。もうこんなに遅いですし後は私がママの面倒をみますから。それより皆さん。ママをここまで送ってくれてありがとうございました」
「そう?なら……お言葉に甘えちゃおうかしら。係長に似てホント雪菜ちゃんってしっかり者よね。さっすが係長の自慢の愛娘さんだわ」
「じゃあ悪いけど係長の事はお任せするわ。おやすみ雪菜ちゃん」
「はい。今日はお疲れ様でした。皆さんゆっくり休んでくださいね」
ここまでママをわざわざ送り届けてくれた皆さんに丁重にお礼を述べて見送った後は、とにもかくにも酔ったママの介抱を開始する私。
「すぅ……すぅ……」
「あっ!ダメだよママ。ここ玄関。こんなところで寝ちゃ風邪引いちゃうよ」
「んー……もう、ここでいい……」
「ダメだって。ほら、頑張って一緒にベッドまで行こう。ね?ベッドで寝る方が気持ちいいよ」
「いいよぉ……ねむい……ここで寝るぅー……」
「だめー!もうちょい頑張ってー!」
まずは玄関で眠りそうになっているママを、どうにかこうにか引っ張ってベッドまで連れて行き。
「と、到着…………えっと。ママ、着替えは……?メイクも落としていないんだけど……」
「もぉ、いい……このままでいい……」
「だよね、わかってたよ……でもごめん。せめてジャケットだけは脱ごう。このままじゃシワになっちゃうからね」
「……んー?」
「はい、ママ。ばんざいだよ。バンザーイ」
「……んー。ばんざーい……」
眠りかけているママをバンザイさせて、着ているジャケットをなんとか脱がせ。
「ママ、本格的に寝る前にお水だけは飲んでおこう。お酒飲んだ後は喉が渇いちゃうらしいからね」
「ん……」
「飲めそう?起き上がるのきついかな?飲ませてあげた方が良い?」
「んー……」
「そっか。わかった……ちょっと待ってね。身体起こすよ。……はい、これがお水。お口開けて。そうそう。……はい、そのままゆっくり飲んで」
「…………おいしい……」
「よかった。まだまだいっぱいあるからね」
最後に二日酔い対策として、ママの身体を起こしてコップの水を飲ませて。
「んにゃ……にゃぁ……」
そして……一通りの介抱が終わった頃には、ママはすっかり夢の中へ。子猫みたいな可愛い寝息を立てて、ママはすやすやと眠っている。額の汗を拭いながら、ホッと一息付く私。ふぅ……酔った人の介抱は初めてだったけど……なんとか上手くいったかな。
「……それにしても」
風邪を引かないように布団と毛布をしっかりとかけながら、ママの無防備な寝顔を眺めてみる。
「……私……あんなママ、はじめて見た」
ついさっきまでのママの様子を思い返してみる。ママが私の前でお酒を飲む事なんて滅多にないというか……私の知る限りだと初めての事だったから。お酒に酔ったあのママの姿を見るのは初めてだ。だから……あの酔ったママの姿は……新鮮というか。正直、衝撃だった。
私にとってのママは……しっかり者で頼りになって強くて優しい、母性溢れる理想の母親。私の永遠の憧れの存在。だと言うのにあの時の酔ったママは……いつものママとは真逆で……弱々しくて、頼りなくて、まるで幼い子どもみたいで……ぶっちゃけギャップがありすぎて、強烈な違和感がある。
「…………何だろう、これ」
そしてそんなママの介抱をしていた時、私は何かを感じていた。今まで抱いた事のない妙な感情に、私は心底戸惑っていた。何なのだろう、私の胸の内に現れた……えも言われぬこの謎の感情は?
「……本当に、なんなんだろう……この気持ちは……」
「…………んー……」
「っと……あれ?もう起きたのママ?」
自分の中で芽生えた感情が一体なんなのか。その整理が全く付かないまま、うーんうーんと腕組みをして唸っていると。何だか熱烈な視線を感じる。パッと振り向いてみた先で。いつの間にかママは起き上がって、ぽけーっと私の見つめていた。
随分と早いお目覚めだなと思いながらも、気を取り直して起きたママに色々と声をかけてみる私。
「ごめん、起こしちゃった?大丈夫かな?気持ち悪くない?」
「……」
「起きたなら、また水分を取っておいたほうが良いかもね。すぐ持ってくるよ。他になにか欲しいものがあったら言ってね」
「……」
「起き上がれる元気があるなら、折角だしお着替えしちゃう?楽な格好の方が寝やすいもんね。着替えも手伝うからちょっと待っててね。今、寝間着の準備も——」
「…………」
「……?あの、ママ?大丈夫?聞こえてる?」
けれど……どうもママの様子がおかしい。いくら声をかけてもママからの反応がない。どうした事かとママの顔を覗き込む。
うっすらと開けた目。とろんとしていて、いかにも『私寝ぼけてまーす』と言いたげな目。そのママの目と私の目がばっちり合うと……ママは突如目をカッと見開き。
「…………ママ」
「え?ママ……?」
その見開いた目で私を見つめ、私の事をママはハッキリと……『ママ』と呼ぶ。そして……
「ママ」
「え、ええっと……何言ってるのかな?ママは、冬華ママの方……だよね?」
「ママ……」
「あの……だから、ママは……」
「ママぁあああああああああ!!!」
「はぅわ!?」
私の胸に、思い切り飛び込んできたのである。
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