第3話 妻というには、らしからぬ



 お姫様抱っこのまま、お城の中へと進む彼は、手を使わずに扉を開けた。


 中はとても広くて、しかも何階分かが吹き抜けになっていて、上はかなり高い。


 柱や壁はシックなのに、どこか教会を思わせるような装飾そうしょくで、荘厳そうごん雰囲気ふんいきのエントランスだった。



 ……入ってきた大きな扉を抜けた時、左右を確認したけれど、そこには誰も居ない。


 扉を開閉かいへいするための魔法でも使っているのかなと、気持ちをえて正面に向き直ると、誰も居なかったはずのエントランスには男の人がひとり、立っていた。



「魔王様! お帰りなさいませ!」


 壮年の、眼光がんこうするどいタキシード姿。オールバックのかみひとみは、灰色をしている。


「ああ。風呂とメシだ。こいつの世話を……そうだな、人間の娘が居ただろう。あれにやらせろ」


「ははっ!」


 その返事を残して、彼はフッと消えてしまった。


 ……あと今、聞き違いじゃなければ、魔王様って言ったような。




「あの……魔王……だったんですか?」


「言わなかったか?」


 彼の、竜のような瞳は見慣れていないせいで、細かな感情が読めない。


 抑揚よくようの少ない声は、それをどうでもいい話だとでも思っていそうで、持ち上げた方がいいのかさえ分からない。


「その、最上位の魔族だとしか……。あっ。最上だから、魔王だと教えてくれてたんですね」


「ふっ。おどろいたか?」


 ――笑った?


「は、はい。さすがに驚きました。驚き過ぎて、感情が追い付いてきません……」


 魔王に出会えば即殺そくさつされる。と、聞かされ育ってきた身としては。


 でも、彼は私に笑んでいる。ように見える。


 表情が少し、やわらかい気がする。




「ふっふ。気が落ち着いたら、もっと驚くがいい」


「は、はい……」


 分からない。


 彼がなぜか、喜んで見える理由が。


「魔王様、パピーナを連れて参りました。パピーナ、ご挨拶あいさつしろ」


 一瞬で現れたさっきの人が、今度は可愛らしい年頃の女の子を連れている。


 小さな顔に、ぱっちりとした大きな目。少しタレ目で優しそうな子。




「ぱ、パピーナと申します。えっと……その、よろしくお願い致します」


 胸を強調した黒メイド服の、長いスカートをつまんで深々とお辞儀じぎをする彼女は、少し怯えているように見えた。


貴様きさま、今からこれの世話をしろ。お付きのメイドというやつだ」


 魔王は、部下にはきびしい態度なのがよく分かった。


 いや……というよりは、ぞんざいで興味を示していない、という方が正しいかもしれない。




「は、はい! 嬉しいです。こんなにお綺麗きれいな方のお世話が出来るなんて!」


 でも、意外とこの子は動じていない。


 容姿に似合った可愛い声も、はずんでいる。


「そうか。お付きの仕事がしたいと言っていた気がしてな。合っていたか」


「覚えていてくださったこと、心より感謝申し上げます魔王様。誠心誠意せいしんせいいつといたします」


 パピーナは、今度は普通のお辞儀じぎをした。


 ……ということは、深く頭を下げてくれたのは、私に対してだったのかしら。




「こいつは俺の妻にするからな。ともかく、今日はひどい目にあわされてひどく弱っている。風呂で気持ちをほぐしてやれ。後は美味うまいものを食わせろ。少し多めにな」


「はい。かしこまりました。それで、あの……お妃様きさきさまのお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」


「おお、そうだった。というか、俺も名を聞いていなかったな」


 ――知らずに連れ去ったのね。


 なんだか、本当に私に興味があるのかなと、後になって食べられたりしないだろうかと、妙な不安が湧き上がってしまう。




「えっと、あの、魔王様下ろしてください。もうその、立てますので……」


 さすがに、挨拶あいさつをするのに抱っこされたままというわけにはいかない。


「お前……いまいち分かっていないのか。まぁいい、支えておいてやる」


 そう言われて降ろされると、平気だと思っていたのに足に力が入らなかった。


 そのままへたり込みそうなところを、魔王がその体に抱き寄せてくれた。


「ご、ごめんなさい。ほんとだ……」


 その私を見て、執事しつじらしき人もパピーナも心配そうに、しかもりそうな体勢たいせいを取ってくれていた。


 パピーナは優しそうだから理解出来るけれど、執事さんは、そのいかめしい眼光がんこうからは想像できない反応だなと思った。




「アハ……。あの、コホン。私はサーリャと申します。よろしくお願いします」


 お辞儀じぎをしようにも体がヘナヘナで、なんともまらない挨拶あいさつになってしまったけれど。


 パピーナはまた、深くお辞儀を返してくれて、その後ろでは執事さんも、胸に手を当てて礼をしてくれていた。


「貴様、介助くらいは出来るのか? 俺が運んだ方が良いか?」


 魔王はまた、読めない表情と抑揚よくようでパピーナに問うと、パピーナは力こぶを作る仕草しぐさをして明るく答えた。


「大丈夫です。身体強化も出来ますし、治癒ちゆも多少は使えますのでご安心ください」


「そうか、では任せよう」


 と言うや否や、魔王は片方の指をくるりとひるがえすと、魔法だろう、私をパピーナの方へと浮かして渡した。



「ふぇぇ……」


 気の抜けた声を出して驚いている私を、彼女はお姫様抱っこで軽々と受け止める。


 身長は私よりも少し低くて、体もほっそりとしているのに。




「大丈夫ですよ、サーリャ様。ご安心くださいね。これでも人間としては、少しはマシだとめていただけていますから」


 元気いっぱいの、明るい子。


 この魔王にマシだと言われているなら、きっと凄い子なんだと思う。


 それから、くり色の髪と瞳をしているのを、間近で見てようやく認識できた。


 アップにしている髪型さえも。


 ――本当に私、今日は弱りきっているんだ……。


「抱えてもらって、ありがとう。重くないですか?」


 身体強化というのを使えるらしいけど、自分よりもきっと年下の子に対して、この構図こうずでは聞かざるをなかった。



「はい! ぜーんぜん、大丈夫ですよ! まずはお風呂に向かいましょう~」


「よろしくお願いします」


 パピーナにつられて笑顔になってしまう。


 不安がふくらんできていたのが、少しまた、落ち着いたように思う。


「あぁそうだ。忘れていた。これを着けておく」


 そう言うなり、魔王はパチンと指を鳴らした。


 その瞬間、前から分厚い鋼鉄こうてつっかの、半分に切り取られたものが出現した。


 と思ったら、私の首にそれが、がちりと音を立ててはまった。


 後ろにも出現していたらしい。




「な、なんですか、これ……」


 私は、首にこんなものをはめられたショックで、弱い声しか出せなかった。


 重い……わけではないけれど、触れるとその頑強がんきょう重量じゅうりょうが分かる。


 魔法で重さを消しているのか、ほどよく浮かしているのかは分からないけれど。


 ともかくこれは、まぎれもなく、鋼鉄製こうてつせい分厚ぶあつい首輪だ。



「ま、ままままま魔王様! お妃様になんてことをなさるんですかっ!」


 パピーナが大きな声で非難ひなんしてくれた。


 その気持ちは嬉しいけど、反抗してあなたが殺されたりしないだろうかと心配になる。


「何を驚く? 逃げないように最初だけだ。せっかくさらってきたのに、逃げられては妻に出来んだろう」


 魔王はそう言うなり、もう一度指を鳴らした。


 すると、今度は太いくさりが現れて、首輪につながった。


 その鎖は途中で切れているけれど、不自然にちゅういている。


 何かをうったえたくて、魔王をしげしげと見るとその手には、短い、浮いた鎖がにぎられていた。




「これで、ヘンな気を起こすこともあるまい」


 あれと、この首輪とがつながっているらしい。


 間の鎖はどこにあるのかなんて、考える気力も消えてしまった気がする。


「もうっ! 魔王様っ! お妃様に嫌われても知りませんからねっ!」


 ――いや……、つっこむのはそこじゃなくない?


 さらってきたことについては、この子も何とも思っていないのだろうか?


「……もしかして、拾ってきた犬くらいに思っています?」


 これは、魔王に聞いたつもりだったのだけど。


「ぃいいいいいえいえいえ! 私はそんな、そんなこと思ってませんよっ?」


 真っ先に反応したのはパピーナだった。


 後ろの執事さんは、肩を小刻こきざみにらして笑いをこらえているらしい。


 そして魔王は、不思議そうに真顔で首をかしげている。


駄目だめだったのか? でもお前、逃げたそうな顔をしていたから、つないでおかないとだろう」




 彼に至っては、人に首輪を、しかも本気でくさりつなぐことが、どれだけショックを与えるのか全く理解していないらしい。


 ――でも、港町に帰りたいと思っているし、すきがあれば逃げられるだろうかと考えていたのは、本当だからあまり強く言えない。


 見抜かれているのが、後ろめたかった。


 助けてもらったおんと、今の状況への不安と、どちらが重いかと言えば断然、不安の方だから。


 この人の……魔王の妻にされるというのは、どうにもおそろしくてたまらない。


「……逃げないと分かったら、外してくれますか?」


 これを言うのが、今の私には精一杯せいいっぱい抵抗ていこうだった。



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