第2話 目を閉じていては分からない事と、開いていても分からない事



 その命令を受け、ロイヤルナイトは躊躇ちゅうちょなく剣を抜いた。


 ――こんな、利用されただけの小娘を、平気でるのね。


 それをかまえるところまでは見ていたけれど……恐ろしくなって、私はぎゅっと目を閉じた。


 ――あの時、おかあさんが一緒に連れていってくれなかったから、私は今日、こんな風にみじめに殺されるんだ。




「その娘、いらないなら俺が貰おう! 殺すと言ったのだからいらんのだよな!」

「なっ! なんだ貴様は! どちらの国の者だ! 仮面を外せ!」




 ……ここで焦らすとか、恐怖をあおるのもお手のものね。


 今か今かと、その剣が首に斬り込まれるのをグッと耐えているのに、なかなか振り下ろしてこない。




「手間をかけさせるなよ! 加減はせんぞ!」

「取り押さえろ――ぐあっ!」




 きつく押さえつけられているせいで、首だけがわずかにふるえて止まらない。


 全身がいやな汗でびしょびしょで、ドレスがいて気持ち悪い。


 ……まだ、焦らすつもりなの?




「やはりな! なかなかにい女じゃないか! それでは確かにもらい受けたぞ!」

「にっ、逃がすな! たった一人に何をしている!」




 その場の勢いでかろうじてっていた死ぬ覚悟が、すっかりけてしまった。


 だけど恐ろし過ぎて体が固まったのか、さっきから体の感覚が無い。




「それではまた会おう、人間どもよ!」

「おのれぇ! 魔族か貴様ぁ! そやつを置いてゆけえええぇ!」




 め上げられた腕の痛みも、全身が強張こわばり過ぎてしびれたような不快さも、何も感じない。


 ――もしかして、まさか、私の首はもう…………。





「おい。いい加減に目をけよ。それに、そんなに体を強張らせていては後で痛むぞ」


 さっきまでの喧騒けんそうは、いつの間にか消えていた。


 何度も私に呼びかけているような、男の人の低い声。


 その抑揚よくようはきつい感じだけど、わずかに優しさのようなものを感じる。


「……だれ、ですか?」



 ロイヤルナイトなら、置き物のような甲冑かっちゅうの、フルフェイスのかぶとで声がこもるはずだった。


 かといって、式典に参列している人間にしては、その声は若くてはつらつとしてる。


「お前の夫となる男だ。しかし、言っておくがお前の婚約者ではないぞ」


「……確かに、声がちがいますね」


「いいから目をけろ。体も、もっと楽に力を抜け。お前をがいする者はもう居ない」


「そ、そんなこと言って、目をあけたらぐさり。なんて……しないですか」



 状況がどうなったのか分からないけど……でも、もしかしたら私は今、外に居るような気がする。


 耳元を風が強く抜けていくのは、馬で走っているみたいな感覚だから。



「そんなに恐ろしかったのか……だが本当にもう大丈夫だ。お前の夫になると言っただろう。害するわけがない」


「……婚約者が、別の人になったとか、ですか?」


 馬にしても馬車にしても、地をひづめの音も、車輪のころがる音も何もしない。


 ……どういう状況なのか、そっちに興味が出てきて、こわさがうすれていった。


 それに、「害するわけがない」という優しい声は、信じられるような気がする。




「婚約ではなく、夫婦になると言っただろう。人間の娘よ」


「えっ?」


 ――人間の娘と呼ばれて、私はハッとなって目を見開いた。


 そんな言い方をするのは、自分を崇高すうこう気高けだかい種族だと思っている、エルフや魔族しかいないから。




「やっとお前の瞳が見れた……青く澄んでいる。なかなかに美しいじゃないか」


「まっ、ままままままぞく?」


「その通り。しかも俺は最上位の魔族だ。光栄こうえいに思っていただきたいな。俺の姫君よ」




 日に焼けたような浅黒い肌。他者を圧倒するような威圧感いあつかん


 夕日に照らされてなお黒い、漆黒の髪。


 ――そうだ。やっぱり、外に居る。


 ていうか、随分と高いところのような――。




「おっと、暴れるなよ? お察しの通り空に居るのだからな」


「ひぃぃ」


 つい、下を見てしまって身がすくんだ。


 雲の方が圧倒的に近く、地面の遠さは、はるかまで見渡みわたせることでさっした。


 全身の力が強制的に抜かれてしまって、あばれるどころかすべり落ちてしまいそうで――。



「安心しろ。俺がちゃんと抱いている」


 そう言われて、やけに安定感があると思ったら、きたえ上げられたうでに抱かれていた。


「お、お姫様だっこ……」


「これが一番、落とさなくて済む」


「ぜ、絶対に離さないでくださいね」



 それでもなお、この余った自分の腕の行き場を――何かをつかんでいたくて、中空ちゅうくうをさまよわせると――。


「俺の首に回せ。しがみついていたいのだろう?」


 はい、と返事をする前に、そのたくましい首にすがった。


 上質な白シャツの、刺繍ししゅうの入ったえりが目に入ったけれど、それがよれてしまう心配よりも自分の安心を優先してしまった。


「ご、ごめんなさい。助かります」



 自分でもつかんでいるという実感が、気持ちを随分ずいぶんと楽にした。


 たとえこの腕には、自分をぶら下げておける力がないと分かっていても。


「問題ない。自分の女を大切にするのは当然だろう」


 この言葉に含まれた態度が……どうにもやっぱり、人間を下に見ている感じはぬぐえないけれど。


 気持ちが少し落ち着いたおかげで、ともかく今は、どういう状況なのかを聞いておかなくてはと、頭を切りかええられた。




「あの。式典……というか、私の処刑しょけいはどうなったんでしょうか」


「うん? 気でも失っていたのか? お前が殺されそうだったから、助けて俺のものにしたんだ」


「助けて……それから?」


 助けるのと、俺のものにするまでがつながらない。


「奴らにとって、お前が邪魔だから殺そうとしたのだろう? だから、いらないなら寄越よこせと言ってうばった」


「……なんで魔族が……私なんかを」




 魔力の低い人間になど、興味を示さないのが魔族だから。


 それなのに、魔力なんて全くない私と、夫婦になると言った?


「お前の美しい魔力にかれた。一目れというやつだろうか?」


「何を……言っているんですか。私にそんなもの、ひとかけらもないでしょう」


 だから、隣国の王子には婚約を破棄はきされたのに。


「そうか、お前達には分からないのか」


「……私には、さっぱりです」


「封じられてはいるが、お前の魔力は相当なものだ。魔族かエルフとのハーフの、当たりの部類だ」


「……当たり?」




 私を見つめる魔族の彼。


 そのするどくて縦長たてながの瞳は、童話で見たドラゴンのものとそっくりだった。


 でも、それよりさらに気高くて、それ以上に残酷ざんくこ冷徹れいてつなようにも見える。


 角度によって金色に見えるその目が、じっと私を見ている。




「当たりという表現は、失礼だったか? 良い意味で言った。悪く取らんでくれよ?」


「あ、はい……」


 調子が狂う。


 いや、それよりも、私の魔力が封じられていると言った。


 ――そもそも、情報が多すぎて状況もつかめなくて、何から聞けばいいのか。


 空を飛んでいることすら、私の想像をえていて現実味が無さ過ぎるのに。




「それよりも、このまま飛んで行くには面倒だから、ぶぞ」


 ――とぶ?


 という言葉の意味をいくつか思いえがいている間に、私の意識が一瞬いっしゅん飛んでしまった。


 急激きゅうげき眩暈めまいはすぐにおさまったものの、頭の混乱こんらんはさらにひどくなった。


 なぜなら今は、黒と灰色で作られたお城の前に居るから。


 巨大なのに洗練された建築美が、無骨なのに荘厳で、それは華麗な要塞のようにも見える。




「俺の城だ。今日からお前はここで暮らす」


「え……っと」


 すぐに頭に浮かんだのは、港町に帰りたい、だった。


 だけど、今それを言って、機嫌きげんそこねて殺されてはかなわないから、飲み込んだ。


 それに、一応は命の恩人おんじんだから。




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