第5話 ニイジマ女史の小噺

 再び中目黒。あのタクシーが再び呼び止められる。こんな夜更けに止めたのは30代の女性、セミロングの黒髪の美人だ。何やら異質な気配を持つ女性だった。こんな時間には珍しい客だ。


「小噺…タクシー…ですか?」

「はい。その通りでございます」


 しかし、このタクシーのルールは変わらない。拍子抜けした女性、ニイジマ。一通り料金の説明を受けた彼女は、やはり困った様子。しばらく考え込む彼女を乗せて、車は走り出した。


 そして話は、子供の頃のものから始まった。その口調はとても大切なものを扱うような、丁寧な口調で一言一言を厳密に選んでいるように感じられた。


「地元にいた頃の話ですけど。子供の頃、やんちゃ坊主のケンジ君って子がいまして、よく一緒に遊んでました。そういう私もおてんばで、人のことは言えないんですけどね」


 遠い思い出。子供の頃の記憶は意外とあいまいだったりするが、その分、強烈なものは色濃く残るものだ。この話は後者に当てはまる。彼女にとって、とても大切な思い出だ。


「でも、成長すると男の子より女の子と遊ぶようになりまして。ケンジ君とはあまりしゃべらなくなりました。…まあ、それ自体は普通の流れですよね」


「わかりますよ。僕も経験がありますから」

 

 ニイジマさんの話に共感を覚えたコバヤシ。語り口は上手い。そして、彼女の思い出話は社会人になったところまで進む。これは、幼馴染みの彼氏との恋愛話だろうか?


「そして、就職して数年後に彼と再会しました。彼はバンドマン崩れで、コンビニでアルバイトをしてまして、何せ久しぶりだったので、話がはずみ、店長さんに怒られてしまいました」


 ニイジマさんは淡々と、彼との思い出を語り続ける。だが、彼氏の描写にこだわりがあるように感じたコバヤシ。これは、相当大事な人物の話らしい。


「それから再び交流が生まれ、同棲するようになり、月日は流れました。私は仕事が忙しかったのもあって、家事は全部彼がやってくれました…はじめはお米一つ炊けなかったんですけど」


「ほう」


 仕事は男、家事は女という考えが古いという典型的な流れ。それもまた良しだった。本人同士が納得するなら、それでいいじゃないか。彼女は彼氏が相当好きなのが、伝わってくる。


「彼は、初めは家事が苦手だったんですが、勉強に勉強を重ね、度を超えるくらいで、ついには家事代行サービスの会社に就職しました。二人して、音楽で成功したかのように喜んでましたよ」


「それは、良かったじゃないですか」


 ニイジマさんに賛辞を贈るコバヤシ、


「ええ。その会社の成績も優秀で、私も嬉しかったです。音楽をやっていた彼もギラギラしていましたが、家事に生きがいを見つけた彼もまた、魅力的でした」


 …過去形。


「そして遂には、彼からプロポーズされたんです。どこに貯めてたんだか、指輪とシャンパンなんか用意して、本当に嬉しかった…ええ、嬉しかった…嬉しかったなぁ…」


「…」


 少し言葉に間が生まれる。


「実は数日後に披露宴の予定だったんです。身内だけの、こじんまりとしたものだったんですけど…あの…彼はですね…あ…すみません、え…とですね…でも…」


 口調が明らかに変わる。


「…でも…でも…でも…」


 涙声になっていた。


「先週、交通…事故で…その…。…なんで、こうなったんでしょうね…。ウチには…彼と撮った写真があるんですが、皆、笑顔で写ってるんです…。いつものヤンチャ顔で…」


 コバヤシは彼女を乗せたときから、何となく察していた。


「太陽みたいな人だったんです…。私は彼がいたから頑張れた…のに…彼のいない世界が…分からないんです、受け入れられないんです、全てがモノクロで、彼が…何で…」


 大泣きするニイジマさん。


「わたし…これから、何のために頑張ればいいか、何のために生きればいいか…わから…ない…!!」


 この小噺タクシーは不思議なもので、そのお客の感情を引き出し、正直な話をさせる魔力があった。今までの乗客も、思いのたけを吐き出している。


「…お客様、心中お察しします。私なんかでは大層なことは言えませんが、どうか彼のことを忘れないであげてください」


 コバヤシは慰めの言葉を選びながら続ける、


「よく人は二度死ぬと言いますよね。一度目は肉体的な死。二度目は人から忘れられた時の死。まだ彼は生きあなたの中で生きています。そばに寄り添ってくれているはずです」


 コバヤシがここまで、親身になるのは珍しい事だった。


「何のために生きればいいかと仰いましたが、まだ彼との思い出のために、生きることは出来るんじゃないでしょうか。彼のために生きる。今はまだ、それができるでしょう」


 そしてコバヤシは言葉を添える。


「…無理に離れようとする必要は、どこにもありませんよ」


「ごめんなさい…ありがとう…ございます」


 そして、目的地の世田谷に到着した。


「お代は結構ですよ」

「え…でも…」


 コバヤシの答えに戸惑うニイジマさん。


「その代わり、彼の分も強く生きてくださいね。お願いします」


 彼氏のケンジさんと早く決別しなければと、誤解していたニイジマさんの心を、少しは溶かすことができただろうか。コバヤシはやるせない気持ちになっていた。

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