第2話 サタケ氏の小噺

 謎に満ちた小噺タクシーとやらに出会った第一の乗客、サラリーマンのサタケ氏。必死で頭の中で紡いだ言葉を、しどろもどろながらに話し始めた。


「私は今も昔も、会社で新人たちの教育係を任されていてね。これまで2、30人は世話してきたかな。皆、素直ないい子たちでねぇ。自慢の教え子だよ」


「おお、ご立派な事じゃないですか」


 サタケの言い出しに、コバヤシは素直に敬意を示した。だが、そう簡単なものでもないらしく、サタケ氏のその業務には、並々ならぬ感情があるようで、


「いやー、立派なもんかい。その育てた後輩たちはどんどん出世して、私は係長どまり。内心では焦りと不甲斐なさで、酒に逃げる日々でね。あの時の私は家族にもつらく当たってしまったよ」


 サタケは素直に、後ろ向きな感情を口にした。でもそれは、社会人なら誰にでもある苦労と苦悩。コバヤシは何も語らないが、聞いてくれるだけでも、靄が晴れる。そしてサタケの話は続く。


「そんな会社も、今の日本の不景気には勝てなかったよ。会社は大量のリストラを敢行してね。残念ながら私もその中の一人だった。それなりに貢献していたつもりだったがね」


 サタケは優秀な社員だったが、目立たない屋台骨を支える仕事が多かった。それを会社側は見抜けず、彼の首を切ったのだ。これが会社にどれだけの損害を与えたか。


「家族に打ち明けることも出来ず、公園のベンチで一日を過ごすなんていう日々もあったかな。とにかく、どん底だったね。あの頃は。…まあ、後から聞くと、家族には見抜かれていたけど」


 気の毒に感じるコバヤシ。だが、まだ話は終わっていない。それまでは無駄な口は挟まない。すると、サタケ氏の口調が変わる。先ほどの暗さが薄まるのを感じた。


「ある日、公園であんパンをかじっていたら、青年に声を掛けられてね。何とそれが昔の教え子だったよ。立派に成長していてねぇ、一流企業の重役になってたんだ。あれは嬉しかったな」


 誇らしげにサタケは続ける。


「私のその現状を知り、彼の会社に教育顧問として招いてくれた。みっともないが、嬉しいやら、悔しいやら、色々あったけどね。そこで、私は自分の持てるものを全て伝授したよ」


 縁と恩はこの社会では、必要不可欠。彼の業務に対する熱意が実った瞬間だったのだろう。そして、サタケの口調は明るいものに変わっていった。


「今でも私の教え子たちはそれぞれ交流があり、ネットワークを形成して、一大グループになってた。私も微力ながら力になれたことだけは、素直に嬉しかったよ」


 そして、サタケの小噺は締めに入る。


「今日は、大きなプロジェクトの成功を祝った飲み会だったんだ。必死になってたんで、すっかり忘れてたが、僕の誕生日でもあってね。サプライズパーティってのに初めて引っ掛かって」


 サタケは少し照れて続ける、


「本来なら喜ぶような年齢じゃないんだけど…美味い酒だったよ。教え子たちは皆、笑顔で。とにかく素直だ。…良い子に育ってくれたよ。実の子供の成長を実感するようだった…」


 サタケ氏は感慨にふける。ここまで気持ちよく酒に酔える日が来るとは思っていなかった。あんなに苦い味のように感じていたのに、気持ちでここまで味が変わるとは。


「そうそう、今度ウチの会社総出で大きなプロジェクトがあってね。それに関わる社員の大半が僕の教え子だ。…彼らならきっと、成し遂げてくれると信じてるよ」


 サタケ氏は優しい目をしていた。彼の人柄に、コバヤシも感心している。この仕事を続けている醍醐味が、ここにはあった。そして、サタケ氏の自宅へ向けてハンドルを切る。


「今では、家族への威厳も取り戻してね。妻とも娘とも良い関係だ。それもこれもあの公園の一日のおかげだね。…えーと、こんなもんかな…こんな話でもよかったのかな?」


 何故か、リラックスできて言葉がスラスラ出てきたサタケ。不思議な感覚だった。初対面の運転手だというのに不思議な感覚だった。それに対するコバヤシは、


「はい、結構ですよ。良い話じゃないですか」

「そ、そうかい?こういうのは苦手意識があるけどなぁ」


 照れるサタケにコバヤシは、


「お客様の教育係の過去が無ければ、今の日本は無いかもしれないじゃないですか。もっと、胸を張ってもいいことだと思いますよ。得難い才能、最高の人徳の持ち主なんですね」


「人徳か…そんなことを言われるのは、もしかしたら生まれて初めてかな?いやぁ、どこにでもいる教育係だというのに…」


 サタケは少し拍子抜けしたが、満足げだった。コバヤシも、良い話が聴けて、ご満悦だった。そして小噺タクシーは目的地に差し掛かる。コバヤシはサタケの自宅、赤羽で、


「さて、そろそろ赤羽です。料金は380円で」

「え…それでいいのかい?大した話でもないのに?」


 申し訳なさそうなサタケだったが、


「ほっこりする話は、どんなものでも、それ相応の対価があって良いものだと思いますよ。本日はご乗車ありがとうございました。私も今後、仕事がはかどりそうですよ」


 コバヤシは400円を受け取り、20円を返した。


「…はは、本当に変なタクシーだね」

「はい、その通りです」


 こうして、サタケは下車し、気分良く家路についた。こうして小噺タクシーは、その客の心を優しく溶かしていた。そして、また次の客を乗せるため、中目黒に戻った。

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