『短編』中目黒の小噺タクシー

はた

第1話 小噺タクシーの掟

 東京の夜は長い。夜になっても眠らない人々が行きわたっている大都会だ。そして、その一人一人が人生の物語を抱えている。そんな、東京には様々な都市伝説がある。


 決して出られなくなる、深夜の恵比寿の路地裏の道。その店を訪れると、幸せになる地図に載っていないコンビニ。そんな都市伝説の中でも、意外とチープで不思議な伝説。それは、


 中目黒に時折、変わった個人タクシーが現れる、と。


   ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇   


 中目黒には良い食事処が集まっている。レビューも高いものが多い。今日も仕事終わりのサラリーマンたちで賑わっていた。今回の話は、そんな社会人の中の一人の話。


 40代後半、サタケはとある企業の会社員。今日もいい仕事をして、軽くビールと焼き鳥、炭火焼きをつまんでいだ。彼らは良い酒を飲んでいた。


 飲み屋を出て、千鳥足で帰路に着く。夜も更け、店を出た彼らの中心には中堅処のサラリーマンが。彼がこのエピソードの中心人物。皆笑顔で、彼が慕われているのが分かる。


「サタケさん、大丈夫ですか?帰れます?」

「ははは、子ども扱いせんでくれ、今日はごちそうさん」

「何言ってんスか。俺ら、お世話になりっぱなしなんスから」


 適度に酔いが回り、若手の同僚たちに肩を担がれるサタケ。少し歩くと、タクシーの影を見つけた。同僚は右手を上げ、タクシーを止めて、サタケの身を預ける。


「それじゃ、お疲れさまでしたー!!」

「ああ、また明日。会社でね」

「さあて、俺らも帰るかー。美味い酒だったな」


 それは黒塗りの個人タクシー。運転手はこれといった特徴のない、似顔絵に書く時、一番困るタイプのどこにでもいる顔の青年だ。同僚は意気揚々と別れた。良い酒だったようだ。


 その黒塗りのタクシーの中は、入念に奇麗にされており、よくある車内広告も貼って無い。そのタクシーのドライバーの名前はコバヤシ。彼はサタケに問いかけた、


「お疲れ様です。どちらまで行かれますか?」


 アルコールが適度に回り、上機嫌なサタケ。彼は自宅のある、


「赤羽に向かってください」


 と伝えると、コバヤシはその様子を認知し、


「赤羽ですね?」


 と、返す。何てことのない普通のやり取りだ。タクシーは一路、赤羽に向かう。サタケはネクタイを緩め、疲れを後部座席に落とし込む。座席のクッションも厳選されている。


 タクシーはよく、話しかけて来るドライバーと、まったく話しかけないドライバーがいるが、コバヤシは臨機応変。疲れている客には、あまり話しかけない。


(何だか…変わったタクシーだな…?)


 良い意味で言えば清潔。別の意味で言えば殺風景な車内。しかし、このタクシーには、まず最初に必ず行われる確認事項がある。これがこのタクシーのミソだった。


「…あれ?」


 サタケは声に出した。その時、このタクシーの妙に気が付いたからだ。物が少ないとは思ったが、このタクシーにはあるべきものが無い。そのため少々の不安が沸き上がる。


 まさか、怪しい所に連れていかれるのか?その疑念は多大に合った。少し酔いがさめたのか、冷静さを取り戻したサタケ。これこそ興醒めという言葉がふさわしい。


「どうされました、お客様?何か気になることが?」


 コバヤシは聞き返す。彼はサタケのような乗客の反応に慣れているようだ。そう、このタクシーの乗客は、皆同じ異変に気付く。サタケは恐る恐る、コバヤシに問いただす。


「…君、メーターは?料金メーターが無いよね?」


 そう、このタクシーのどこを探しても、料金メーターが無い。運賃はどうするんだ?…まさか、悪徳タクシー?しかし、コバヤシは慣れた口調で、こう説明した。


「その通りです。このタクシーは、小噺タクシーと言いまして。お客様から簡単なお話をいただいて、その小噺に合わせた料金を決めさせていただいております。」


「小噺…タクシー?」


 コバヤシの説明にサタケは少し困惑した。当然、そんなタクシーは聞いたことが無い。そんな面白い話なんて用意していない。サタケは困ってしまった。


 サタケはぼったくられるのかと、不安にかられる。そんなサタケの様子を見てコバヤシは、安心させるためもあり、ルールを説明する。コバヤシの声は優しいものだった。


「いやいや、何も滑稽なお話でなくて結構です。お子さんがテストでいい点を取ったとか、ペットが可愛いとか、そんなものでも結構ですので。基本、高額な運賃はいただきませんよ」


「はあ…そうだなぁ…うーん…小噺か…」


 そう言いながら、小噺タクシーは順調に赤羽に近づいている。コバヤシの運転技術は大したものだ。少しも振動がない。これが普通のタクシーなら入眠していただろう。


 しかし、サタケは頭をフル回転させていた。平凡な生活を送っているサラリーマンの彼。別に幼少期に変わった子供でもないし、大学も地元の普通の大学。面白いエピソードなんて…。


(話すからには…何か変わったことを言いたいが…うーむ、思いつかん。こんな話でもいいのか…?いやいや…)


 コバヤシは敷居を下げたが、それでも咄嗟に出るものではない。だがサタケにひとつ、思い浮かんだ話がある。それを口にし始めた。それは、社会人の性ともいえるものだった。

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