第4話 「寿命」と「因果」

「タイムトラベルが、寿命を削る」

 ということは、神が与えた人間に対しての試練なのかも知れない。

 神話の世界などでは、神によって、

「人間が持つことができるものは、制限されている」

 と言われている。

 ギリシャ神話の中に出てくる、

「パンドラの匣」

 という話では、神から、

「人間に与えてはいけない」

 と、ゼウスがいっていたものとして、

「火」

 というものがあった。

 人間に与えると、

「争いの種になる」

 ということであったが、そのことで、

「人間はたいそうな不便を強いられる」

 ということで、

「プロメテウスという神」

 が、人間に火を与えたという。

 これは、タブーなことであるのだが、人間が、

「想像はできるが、創造することができない」

 と言われる無数にありそうなそれらのものが、どれだけあるのか、それこそ、人間が無限にあるものから、限られたものを持っているということで、

「ロボットにはない」

 と言われる、

「フレーム問題の解決手段」

 というものが、そこに隠されているのかも知れない。

 なるほど、

「無限に存在している可能性から、正しい道を取捨選択できるのが、人間だ」

 というわけではなく。そもそものところで、限界が存在していて。その限界を意識していないことで、人間がm

「フレーム問題」

 というものを意識せずに、暮らしていけるということになるのだとすれば、そこにはやはり。

「神という、絶対的な存在が人間を支配している」

 という考えが生まれてきたとしても、それは無理のないことであろう。

「もし、人間がロボットのフレーム問題を解決できるとすれば、ロボットに与えてはいけないものが何であり、それを取り除いて人工知能を作ることができるか?」

 ということであろう。

 そもそも、そこからロボット開発は始まったはずだ。

「人工知能」

 というものが、創造主である人間の意志が働ないで、きちんと状況判断ができるということが、人工知能というものの、まず第一歩のはずである。

 だから、今の人工知能というものは、

「スタートラインというものにも、まだ、立っていない」

 と言ってもいいことであろう。

 それを考えると、

「人間と神の距離、そして、人間とロボットの距離」

 というものが、同じでなければいけないといえるのではないだろうか。

 そうなると、

「人間が、神によって支配され、神のために生きている」

 というまるで、奴隷のようなことにならなければ、

「人間が、ロボットを使って自分たちの世界で大いに役立ってもらう」

 ということはできないといってもいいだろう。

 これができるとすれば、

「何と人間というのは、人間だけに都合よくできている」

 ということになり、それは、

「神をもしのぐ」

 ということになるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると。もう一つ考えることとして、

「ロボットに寿命というものがあるのだろうか?」

 ということである。

 身体や、人工知能というのは、しょせん、機械なのだろうから、その寿命はあるというものだ。

「形あるもの必ず滅びる」

 という。

「盛者必衰」

 という考え方にも結び付いてくる。

 ただ、人工知能の回路部分は、

「コピーすることで、記憶されたものは、永遠に、受け継がれていく」

 といってもいいだろう。

 それが、人間でいうところの、

「遺伝子」

 というものに近いものであり、

「二世、三世」

 と人口知能がコピーされ、記憶が受け継がれていくことで、人間の遺伝子よりも確実で、曖昧なものではないものが、受け継がれていくことになるのだろう。

 それを考えると、

「ロボット開発」

 というのは、

「神への冒涜だ」

 という人もいるだろうが、

「人間の手によって、受け継がれるものがある」

 ということで、記憶などの、遺伝子的な、

「ロボットによるノウハウ」

 というものであれば、それは、無理もないことだ」

 といえるのではないだろうか?

 そんなことを考えていると、世の中において、

「寿命」

 と

「因果」

 というものが渦巻いている環境が、

「タイムトラベルではないか?」

 と考えると、

「タイムマシン」

 というものを考えていると、いつの間にか、

「フレーム問題の解決案」

 という、

「ロボット開発」

 という、それぞれに、

「人類の近未来において、開発されているべきことであるが、実際には、そのハードルが高すぎる」

 と、奇しくも言われているものの代表だというのは、

「皮肉なことではないだろうか?」

 といえるのではないか?

 寿命を減らす、

「タイムトラベル」

 というものを、いかに減らさずに済むか?

 というのが、大きなテーマではあるが、その前に解決しておかなければいけない問題というのが、

「そもそもの、その人の寿命がいくつだったのか?」

 ということを知る必要があるということだ。

 ただ、ここまでくると、大きな、いや、

「そもそもの問題」

 ということが頭をもたげているのだが、

「寿命というものを知る必要が、どこにあるというのか?」

 というところに戻ってくるのだ。

 確かに、

「タイムトラベル」

 というものを行うと、寿命が極端に減るということが分かっているのだとすれば、

「タイムトラベルというものは、厳禁だ」

 ということになるだろう。

 ただ、

「タイムトラベルをしても、寿命が減らない開発をしていけばいいのではないか?」

 ということで、その開発ができたところで、タイムトラベルを解禁させればいいということになるのだろうが、それでいいのだろうか?

 少なくとも、開発後に、

「臨床試験」

 というものが待っている。

 成功したのであれば、問題ないが、それが失敗作で、しかも、余計に寿命を続けるものだとすれば、これは、実験すらできなくなってしまう。

 実験ができないとなると、

「開発をしても仕方がない」

 ということになり、

「タイムトラベルというのは、理論的に不可能なものだ」

 ということになるのだろうが、それを、どのような形で、プレス発表をするかということだ。

 説明がつかないのであれば、

「発表を見送る」

 という手段もあることだろう。

 ただ、一つ考えられることとしては、

「精神よりも、肉体の方が先に時間が進む」

 という考え方であった。

 これであれば、相対性理論においても、説明がつくかも知れない。

「光速で進むということは、身体が時間についてこれないということになるので、先に進んだ身体、つまりは、体内時計というものは、光速というものに耐えられるだけの肉体を持つには、身体が時間に追いつく必要があるのではないか?」

 という考え方であった。

 逆に、精神の方は、ゆっくり進む方が、理解をしようとする気持ちを落ち着かせるので都合がいい。

 そう考えると、

「精神と肉体の進む期間というものは、それぞれに進む時間で、変わってくる」

 という発想だ。

 だから、それぞれの時間には、それぞれの自分がいるのだが、しかも、時間というのは、

「万人に共通のものだ」

 と言われているが、本当にそうであろうか。

 それが微妙に違っているのであれば、それは、まるで宇宙に思いを馳せた時に感じる、

「マルチバース理論」

 に近いものがあるのではないか。

 時間というもののスピードによって、違う世界が広がっているというもpであれば、それこそ、

「無限の可能性」

 というものが、

「さらに無限に広がる」

 ということになるのではないだろうか?

 そんなことを考えると、

「なるほど。無限というのは、何で割っても、無限にしかならないわ」

 という、フレーム問題を、

「不可能だ」

 という考えにならしめた発想に繋がっていくのである。

 科学者は、それを、

「理屈で解釈しよう」

 とする。

 理屈で説明しないと、誰もわかってくれないということであるが、

「無限が、どこまでいっても無限である」

 というように、

「理屈を解明しても、次から次に謎が出てくるのであるから、完全ないたちごっこにしかならない」

 と言えるのではないだろうか?

「いたちごっこ」

 というのは、ある意味、

「悪いたとえ」

 に使われることが多い。

 特に、

「核開発競争」

 というような、

「一国が、開発に成功し、実験が成功すると、敵対する国も、さらに強力な兵器を作りあげる。すると、相手国もさらに強力なものを作る」

 ということになり、考え方として、

「もし、使ってしまうと、相手国を滅亡させることはできるが、同時に、自国も滅亡する」

 ということになるのだ。

 つまりは、

「核も抑止力」

 というもので、

「持っているだけで、使わなくとも、相手との均衡を保ち、バランスを保てるということでは、これ以上の抑止はない」

 と言われていた。

 以前、

「核の抑止力」

 について、

「密閉した籠の中に、二匹のサソリを入れたようなものだ」

 と表現していた人がいたが、まさにその通りであった。

 確かに、お互いに均衡が保てていて、計算通りにいけば、問題はないのかも知れないが、

「そんなに計算通りにいけば、世の中に戦争などというのはなくなるのではないだろうか?」

 という究極の理屈を立てている人がいた。

 確かに、その通りかも知れないが、実際に戦争が起こっている。中には、最初から、相手国への侵略目的というものもあっただろうが、

「やむを得ず」

 という戦争もあった。

 批判もあるだろうが、

「大日本帝国の起こした戦争」

 というのも、

「幕末からの歴史を時系列で勉強していれば、大東亜戦争がどういう戦争だったのかということはわかるというものだ」

 と言えるであろう。

 そのことを考えると、

「歴史というものが時系列で繋がっている:

 ということが分かるというものだ。

 そして、その中心としてあるのが、

「正確に刻まれる時間」

 ということであるが、これもおかしな話で、

「時間」

 という概念は、人間が、勝手に作ったのだ」

 と言えるのではないだろうか。

 というのも、

「確かに、月や太陽などの天体を見て、それと時間を組み合わせて、時間、季節」

 というものは作られている。

 その概念であったとしても、歴史や時代と、時間を結び付けるという発想は、

「あたかもおかしい、都合がいいものではないだろうか?」

 と言えるが、逆に、

「それでも、その理屈が合う」

 ということは、実際に、人間が創造した時間と、人間が引き起こした歴史がうまく絡み合っているということになり、

「時間というものは、本当は人間が作り出したものではないか?」

 ともいえるのだ。

 これは、元々考えられていたであろう、

「時間の感覚」

 というものは、

「想像に限りなく近い、創造」

 というものではなかったか。

 これを本当の、

「創造」

 だとしてしまうと、結果として、

「人間というのは、神に限りなく近い存在」

 ということになり、聖書の戒めとしての、

「バベルの塔」

 の話のように、

「天からのバチが当たる」

 といってもいいだろう。

 神と人間というのは、

「他の動物から見れば、本当に同じといってもいいくらいの距離に見えるのかも知れないが、人間にとっては、まったく手が届かない距離だ」

 といってもいい。

 天に手をかざして、その手が、

「届きそうで届かない」

 と感じる感覚と、

「実際には、届くわけはない」

 という冷静な考えを見ているようではないか。

「いたちごっこ」

 というと、もう一つ考えられるのは、ここ20年くらい前から言われるようになったことで、ちょうどその頃から、パソコンの普及が広がり、ワープロや表計算機能だけではなく、

「インターネット」

 というものが普及し始めてきた。

 それによって、詐欺行為も、

「サイバー詐欺」

 というものが多くなってきたのだ。

 詐欺というのは、

「霊感商法」

 などに代表されるように、昔からあった。

 特に、

「カルト宗教」

 などの詐欺行為は、何度も社会問題となり、

「どれだけ悲惨な時代ができあがったか」

 ということが問題だった。

 その頃から、

「警察と詐欺集団との間」

 での、

「いたちごっこ」

 はあっただろう。

 その手段が、巧妙になればなるほど、警察も、それに伴って法改正などを行っていくというわけで、ただ、どうしても、

「先に仕掛けるのは詐欺集団であって、まだ何も起こっていないところで、対策など立てられるわけはない」

 といえる。

 何しろ。それこそ、

「無限の可能性」

 というものから、その方法を見つけ出すというわけだから、どうしようもない。

 ただ、これは、

「警察が、届を出しても、何もしてくれない」

 ということとは、まったくもって違うことで、そちらの場合は、明らかに、

「警察が悪い」

 ということだ。

 誰かが行方不明になったということで、警察署に、届を出しても、まず、捜査をしてくれることはない。

 下手をすれば、受理すらしてくれないだろう。

 もっとも、受理してくれないのであれば、届を出す方にもやりようがある。

「探偵などを雇って、捜査をしてもらう」

 というやり方である。

 ただ、中には、最初から、探偵にお願いに行った人もいただろう。

 しかし、探偵としても、とりあえず。

「警察に捜索願を出して見られてはいかがですか?」

 ということは助言するかも知れない。

 ただ、事情を聴いてからそれを言われるかどうかによって、その探偵の入れ込み方も違うだろう。

「明らかに探偵の領分だ」

 と思っても。

「とりあえず警察」

 ということであれば、探偵も大して、

「有能ではない」

 といってもいいかも知れない。

「事件性がないと、捜査をしてくれない」

 というのは、あくまでも、

「警察側の都合」

 であり、捜索願を出した人からすれば、その人の動向によって、自分の立場や財産が変わってくるということであれば、これは、本人にとっては大問題である。

 特に、

「遺産相続に絡んでいる」

 ということであれば、確かに、探偵の領分なのかも知れない。

 というのは、警察というところは、

「民事不介入」

 だからである。

「遺産相続の問題があるから」

 ということを警察にいえば、きっと警察は、

「民事不介入」

 というものを盾にして、露骨に、何もしないだろう。

 だから、

「民間の探偵にでもお願いしてください」

 と言われるのであれば。まだ良心的だろう。

「何も言わずに、捜査もしない」

 これが警察であり、

「税金泥棒」

 と言われるゆえんではないだろうか。

 何といっても、警察というのは、

「公務員」

 なのである。

 国民の税金で、

「飯を食っている」

 という連中で、だからこそ、

「社会の治安や、個人の自由や財産を守る」

 という義務があるのである。

 そして、だから彼らには、

「公務」

 という大義名分があり、警察の捜査を妨害したり、捜査に協力しなかったりすれば、時と場合によることではあるが、

「公務執行妨害」

 ということで、

「現行犯逮捕される」

 ということになるのであった。

 インターネットの普及により、問題となったのが、

「コンピュータウイルス」

 というものであった。

 人のコンピュータに入り込み、相手にクリックさせると、課金されるというサイトの飛ばされたり、パソコン内、あるいは、そこに繋がっているサーバーから、データが抜き取られたりするのだ。

 今の警察は、

「サイバー犯罪」

 であったり、ここ数十年の間に問題となってきたことに対して、特別に捜査をする部署が、20年くらい前から設置されている。

 その部署を、

「生活安全課」

 というのだが、ここで問題になるのが、前述の、

「サイバー詐欺」

 というものであったり、

「プライバシー保護」

 という意味での、

「個人情報保護法」

 というものもできて、それこそ、

「サイバー詐欺」

 の手口の一つとして、乗っ取られないようにしないといけない。

 そして、今問題となっているのが、

「ストーカー」

 と言われる問題だった。

 昭和の頃には、そんな言葉すら聞いたことがなかったが、今では、

「完全な批判」

 ということであっても、昔なら、普通にあったことではないだろうか。

 ストーカーというものは、度が過ぎると、

「相手がノイローゼになって病気になったり、自殺を考えたりするような状況になる」

 ということで、大いに問題となった。

 ノイローゼがひどくなると、精神疾患の人間が街にあふれるという事態にもなりかねないというほどであった。

 そして、これは、ここ数年のことであるが、

「SNS」

 という、ネット上の、

「情報交換」

 であったり、

「友達を作る」

 と言ったコミュニケーションの場が流行ってくると、問題になってくるのが、

「匿名性」

 と、

「顔が見えない」

 などということによる

「誹謗中傷」

 というものが大きな問題になっている。

「誹謗中傷を受けて、芸能人が自殺した」

 などという話が、ニュースをにぎわせるようになると、ネットの運営側の世界でも、やっと重い腰を上げたというか、

「犯人や、誹謗中傷をまさにしている連中を突き止める」

 という、

「開示請求」

 が可能になってきたりした。

 もちろん、証拠はそれなりに必要で、

「開示請求に値する」

 と考えられる事由がなければ、簡単にはいかないということになるのだ。

 開示請求にとって、相手に対しての刑事事件であれば、警察に訴えることになるだろう。

 そういう場合は、

「生活安全課」

 になるのか、それが、自殺に追い込んだことで、

「殺人」

 ということになれば、

「刑事課」

 ということになるのかということの違いだけで、警察も、

「社会影響の度合い」

 ということで、動かざるを得ないということになるだろう。

「ストーカー問題」

 と、

「誹謗中傷」

 という問題は、

「インターネットの匿名性」

 ということで、原点は近いところにあるかも知れない。

 以前ドラマで、

「一人の生徒が自殺をした」

 ということで、その犯にを知っている先生が、その秘密をあぶりだすために、

「事件を引き起こす」

 という、サスペンスタッチの、ミステリーの物語があった。

 それが、令和になってすぐくらいの時代だったので、

「令和の最初というのは、SNSというものの走りのようなものであり、誹謗中傷ということが社会問題になり始めた最初だった」

 といってもいいだろう。

 しかし、

「誹謗中傷」

 というのは、ある意味、

「ゲリラの様相を呈している」

 といってもいいかも知れない。

 それまでは、まったく何もなかったのに、いきなり相手が起こりだして、そこから誹謗中傷に繋がることで、相手を追い詰めることになる。

 加害者には、

「そんなひどいことをしている意識はないかも知れない」

 それが、誹謗中傷の恐ろしさだといってもいいだろう。

 誹謗中傷」

 で自殺をするというのは、どうしても、

「相手が分からない」

 ということは、恐怖でしかない。

 まったく知らないわけではなく、ネットでの会話だけで、

「遭ったこともない相手」

 ということで、最初は仲がよかったのに、ちょっとした喧嘩から、憎しみに発展してしまうということは往々にしてあったりするものだ。

 それが、

「相手への、あることないことを言いふらす」

 ということであり、

 罪でいえば、

「名誉棄損」

 であったり、

「侮辱罪」

 ということになっただろう。

 今は少しは改善されたのかも知れないが、昔であれば、

「捜査して、証拠を集め、裁判に持ち込むまでに、探偵などを雇って裁判に持ち込んだとしても、そこでに、費用対効果は、決してよくはない」

 つまりは、

「赤字になることを覚悟で、相手を懲らしめる」

 という考えでなければ、まず無理だっただろう。

 損害賠償などを求めても、探偵や弁護士費用に比べれば、

「雀の涙」

 でしかない。

 ということにあるだろう。

 それを思うと、結局、

「泣き寝入り」

 ということになったのだ。

 しかし、さすがに、

「自殺者が多い」

 ということであったり、

「芸能人や、テレビ局などが絡む」

 という、社会的な問題が絡んでくると、そうもいっていられなくなる。

 昔であれば、

「開示請求」

 といって、

「ネットの運営側に、匿名であるはずの相手の情報を、明かさせるということ」

 であったので、なかなか、難しいところがあった。

 何しろ、

「個人情報保護」

 という観点からものを言われると、どうしようもないからであった。

 元々、ネット犯罪としての、

「コンピュータウイルス」

 の存在などによって、個人情報保護法というものが作られたのに、それが、実際には、

「誹謗中傷ではネックになる」

 ということになるのだから、これも、

「本末転倒」

 といってもいいかも知れない。

 そういう意味で、

「個人情報保護法」

 というのも、

「もろ刃の剣」

 であり、

 この法律ができた時に、

「数十年後に、こんな問題が起こることになるとは」

 と誰が考えたことだろう。

 それが、まずは一番の問題だったといってもいいだろう。


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