第8話~四日目の消失~


 ついにアルバイトも四日目だ。今日が終われば折り返し。そう考えるといくらか心持ちが軽くなる。


 仕事自体は楽なのだが、訳の分からない事象に無視を決め込むのは意外と体力を使う。アルバイトの時間以外でも、あの箱のことや来小禰の事が気になって、佐里香は少し疲弊してきていた。


 小屋の中に入る。昨日、一昨日、初日と変わらない箱がそこにある。


 何も考えるな。そう自分に言い聞かせて、箱を外に運び出す。木材を組んだ蓋の無い箱だが、何が中に仕舞われているのかは分からない。だが、何かが中に仕舞われている事は重さから分かる。一体何を運ばさせられているのだろうか。そういえば、少しだけ前よりも重くなっているような気がする。


 気になる気持ちを押さえつけつつ歌草峠を登り、目的地の来小禰までやってきた。幸いなことに、今日は昨日の男は居なかった。


 箱を置いて峠の先を見る。来小禰から先にも上り坂は続いており、二日目にはあの先から男がこちらを見ていたのだ。


 今日の仕事はもう終わりである。少しぐらい寄り道をしても良いのではないか。そう思い、佐里香は峠を更に登る。


 鬱蒼とした森林に挟まれた道は次第に細く、更に足場も悪くなる。数分歩くと、その不穏な雰囲気に飲まれて思わず足を止める。


 そういえば禁則事項の一つに、来小禰や小屋の周囲をうろちょろするな、というものがあった。


 やっぱりこの先に進むのは止めよう。クライアントに変な因縁をつけられて、給料を下げられては堪らない。


 踵を返して坂を下る。来小禰の前に差し掛かったとき、佐里香は「あっ」と声を上げそうになる。


 さっき佐里香が運んできた箱が、既に無くなっていたのだ。


 来小禰に箱を置いてから、少し峠を上がって戻ってくるまで数分しかかかっていないだろう。もし箱を誰かが移動させるような事があれば、音か何かで気が付いてもおかしくない距離だ。


 それが全く気付くことが出来なかった。誰かの気配はおろか、物音一つしなかった。だが、現実問題として、あの箱は消えていた。


 佐里香はできるだけ来小禰を見ないように意識しながら、その前を通り過ぎる。なんだか、今この瞬間に来小禰を観察すると、決して気付いてはいけない事に気づいてしまうような気がして。


 そんな勘が冴えたおかげか、歌草峠の麓まで特に何か起こることは無かった。


 小屋の施錠を確認するときに、この扉を開ければ既に中には例の箱が有るのではないか? そんな事をふと思い至る。誰かが――或いは箱が独りでに――佐里香に気づかれることなく、小屋に戻したのではないだろうか。


 ポケットから鍵を取り出す。この鍵を鍵穴に入れて錠を外し扉を開けば、箱の秘密の一端が垣間見えるかもしれない。


 しかし、佐里香はポケットに鍵をしまう。せっかく折り返しまで仕事を頑張ってきたのに、今更不意にするような真似はできない。


 小屋から離れて帰りの道を行く。途中で借りている携帯端末に着信が入る。佐里香は緊張しつつ、通話ボタンを押して耳元に持ってくる。


「あまり探りを入れないでください」


 例の女が冷たい声で言い放つ。その威圧感に気圧されていると、すぐに通話は切れてしまった。


 しかし、あの女から叱責があったということは、佐里香が来小禰の奥まで行ったこと、或いは小屋の鍵を開けようとしていたことを見られていたのだ。


 つまりあの女は歌草峠の近くに居る。もしかすると、あの箱が数分の間に来小禰から移動したのはあの女の仕業なのではないだろうか。そう考えたが、この令和のご時世に遠隔で状況を把握する方法などいくらでも有る。やはりあの女は歌草峠の近くには居ないのかもしれない。


 結局のところ、何も分からないのだ。ただ、一つはっきりしたのは、あの箱は置いてからすぐにどこかへ消えてしまう。


 一体あの箱には何が入っているのだろうか。気にしてはいけないと思えば思うほどに、気になってしまうのは人間の性なのだ。

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