第7話~三日目の珍客~


 佐里香はいつも通り歌草峠の小屋までやって来た。三日目にもなると慣れたもので、小屋の中の箱を見ても違和感を感じる事が無くなって来た。


 この箱の中身が何なのか、気にならないと言えば嘘になる。だが、それを知る必要は無い。感情に蓋をして、何も考えずに与えられた仕事をするだけだ。


 箱を抱えて小屋から出る。今日も昨日と変わらない簡単な仕事。こんな事で大金が稼げるのだから、根深知宗太郎という人物には感謝しか無し。


 来小禰まで向かう坂道の途中。異変は起こった。来小禰の前に誰か居るのだ。


 小太りの中年の男だ。しわくちゃのシャツに薄汚れたジーパン。ボサボサの髪に脂ぎった顔。首からは一眼レフの高そうなカメラをぶら下げている。一目見て、佐里香はぎょっとする。


「やっぱり昨日のは見間違いじゃなかったんだ!」


 男は興奮した様子でカメラのレンズを佐里香に向けてシャッターを切る。佐里香はムッとして抗議しようとしたが、仕事の途中で誰かと出会っても言葉を交わしてはいけないという禁則事項を思い出し、無視を決め込む。


「ねえ、お姉さんお姉さん。昨日もここでその箱を運んでいたでしょ? お姉さん、アレなんでしょ、箱を運ぶ女でしょ? うわぁーすごいなぁホンモノだぁ。はい、もう一枚!」


 何とも意味の分からない言葉を掛けられて、佐里香は不快感のあまり寒気がする。しかし、どうやら昨日も箱を運んでいるところを見られていたらしい。坂の先から佐里香を見下ろしていた影法師はこの男だったのだろう。


 写真を消してくれ。そう言いかけたが堪え、男を押し退けて台座に箱を捧げる。


「ねえ、その箱の中身って何なのさ?」


 男は佐里香が箱を置く場面をカメラに収めながら尋ねた。「それは私が聞きたい」と答えたかったが、寸前のところで堪える。この男が何か知っているとは思えないし、関わるだけ無駄だろう。


 どちらにせよ、仕事は終わりだ。佐里香は男を睨み付けながら歌草峠を下る。背後から何やら言葉を投げかけられている様な気がするが、幸いなことに男は付いて来る事はなかった。


 坂を下り、小屋の施錠を確認した後、あの男が降りてくる前にとその場を後にする。力仕事をすると汗が滲むぐらいの暑さだが、気持ち悪さで寒気がする。一刻も早く、この場所から離れたい。


 歌草峠から最寄りの駅へと向かう道中、しばらく歩くと心も身体も落ち着いてきた。ふと思い至って貸与された携帯端末で根深知宗太郎に電話をかける。


「はい、何でしょうか?」


 いつもの女の声だ。佐里香は端的に報告を上げる。


「今日の運搬中に男と遭遇しました」


「……どのような男でした? どこで会いましたか?」


 女は淡々と話しているが、電話越しに緊張感が伝わってくる。この女が感情を見せるのは、これが初めてではないだろうか?


「来小禰の前で、風貌は……カメラを持った気持ちの悪い中年男性でした」


 電話の向こうに静寂が広がる。しかし、すぐに女から返事が返ってくる。


「そうですか。何か言葉を交わされましたか?」


「こちらからは何も……向こうはよく分からないことを言いながら、私の写真を取っていました」


「よく分からないことと言うと?」


「ええっと……ホンモノだとか、箱を運ぶ女とか言ってました」


「箱を運ぶ女? そうですか。もし今後もその男が現れるようでしたら、また連絡を下さい」


 女はそう言って電話を切った。佐里香は、箱を運ぶ女と聞いた途端に女の興味が失せたように思われた。


 まるで何か佐里香からの言葉を想定しており、その想定が外れたが故に感情が揺らいだかのように。


「いや、考え過ぎね。良くないわ」


 佐里香はこのアルバイトの裏に隠された何かを考えそうになり、思考を止める。あの男が何者で、女が佐里香からの言葉で期待していたのは何なのか。そんなことはどうでも良い。


 ただお給料が貰えればそれでいいのだ。

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