閑話 普通に愛しい妻(サヴェス視点)

「ほら、白状しろ」


 昼休憩中に影がさして、サヴェスはきょとんと書類から視線を上に向けた。なぜか机を挟んでルチアンに詰め寄られている。


「何を……?」

「あの可憐な年下妻にゴシップ紙の台詞吐いて、迫ったんだろう? そしてうまく行ったに違いない。俺の目は誤魔化せないぞ。朝からやけに機嫌がいい。あー、羨ましい! あんなに可愛い子を組み敷いて好き勝手できるとか。さてはお前、朝から……」

「お前の爛れた妄想を押し付けるのはやめてくれ」


 サヴェスは冷ややかに身もだえる同僚を見つめた。

 こんなに日中の明るい職場で、彼は何を言っているのか。


「え、嘘だろ。まさか、抱いてないのか……?」

「最初から言っているし、お前だって言ったじゃないか。年下の、成人したばかりの妻をどうにかするほど飢えてない。しかも償う相手だぞ、気遣うくらいはする」

「まじかよ……お前、じゃあなんでそんなに浮かれてるんだ」

「浮かれている……?」


 ルチアンに指摘されて、浮かれていた意識のないサヴェスは自身の顔に手を当てた。

 別に今、にやけているわけではないらしい。


「ふとした時に鋭い目つきがやわらぐんだ。時々、鼻歌まじりで書類捌いているし」

「はあ?」

「自覚なかったのか」


 自覚があったらそんな奇怪な行動は慎んでいる。

 サヴェスが恥じ入っているのに気がつけば、ルチアンは面白そうに瞳を細めた。


「なんだ、本当に無自覚なのか。で、抱いてもいない女の子と、一晩中何をしているんだ? 家には早く帰っているんだから、ちゃんと顔を合わせて悪い男を演じてもいるんだろ。もちろん、ゴシップ紙直伝の卑劣な言葉を吐くわけだ、あれほとんど寝るための誘い文句だろうに」


 言い当てられて、サヴェスは当然のように頷いた。


「そうだ。だから、一緒に寝ている」


 シィリンを彼女の部屋から連れ出して、自室の寝台に運んで。仕事を片付けた後に寝台に戻ればすこやかに眠る温かい妻がいる。

 苦労をかけているし、非情なこともしてしまった。そんな彼女が穏やかに自分の寝台で寝てくれている。そうして抱きしめて眠って目覚めれば、やはり安心しきって眠っている可愛い妻が昨夜と変わらない様子で腕の中にいる。

 それだけで胸がいっぱいになるのだ。

 温かな気持ちを抱えて、じっと眠る妻を眺めてしまうほどに。


「ん? どういうことだ。でもヤッてないんだろう」

「抱いているだけで温かいんだ。朝に目が覚めて彼女の可愛らしい寝顔も堪能できる。こんなにいいことはない」

「はあ? 寝るって、まじで寝るだけ……?」

「そう言ってるだろう」

「それはなんの拷問だ!? あんなに可愛い子が無防備に眠っている横で、抱きしめて寝顔眺めるだけか!」


 悲鳴じみた声で叫ばれたので、サヴェスは顔を顰めた。


「うるさい、近くで騒ぐな。それにいつ、彼女を見たんだ?」

「この前の公爵家の夜会に俺だって招待されていた。お前は忙しそうだったから声はかけなかったが、いたいけな少女に寄り添っていただろう。いや、それより正気じゃないだろ! お前本当に、大丈夫かっ!?」


 ルチアンは同じく伯爵家の嫡男だ。

 確かに招待されていても不思議はない。声をかけてこなかったので、いないと思っていたがちゃんと向こうはサヴェスを見つけていたらしい。

 だが、それよりもきちんと事実を否定しなければと、なぜか正義の鉄槌を下す気持ちで厳かに告げる。


「ちゃんと口づけくらいはする」

「ああ、そう……ってそんなこと寝台の上でやってよく抑えられるな」

「額とか頬に口づけるだけだ。問題ない」

「いや、いや、問題ありまくりだ! お前、まじでなんなの。健康な成人男性だぞ。いくら年下妻に気を遣うにしても度を越してるっ」


 信じられないものを見るような目で見られて、サヴェスはますます憮然とした。


「普通に愛しい妻を愛でているだけだろう」

「は?」


 サヴェスの一挙手一投足にワタワタしている妻だ。

 彼女はきっと男性経験が少ないに違いない。

 もちろん欲も湧くが、襲って怖がられるのは本末転倒だ。

 サヴェスはシィリンに償いたいので、彼女の喜ぶことをしたいだけである。それがゴシップ紙に出てくる危険な男であったので、多少触れあいが多めになるのは仕方がない。予想以上にシィリンが可愛い反応を返すのもよくない。

 愛しさが募って、サヴェスにも時々処理できない感情が渦巻くこともある。だから仕事に逃げていると言えた。

 

 それでも、どこか温かい気持ちになるのも事実で。

 これが愛しいということか、と納得するのは早かった。

 自覚すれば、傍にいたいと望んでしまう。

 最初は拒絶して同衾しないと言ってしまった。彼女は時々それを引き合いに出して、サヴェスを詰る。それは彼女の当然の権利で、サヴェスは頷くことしかできない。過去は変えられないので、謝罪のみだ。変わりといってはなんだが、シィリンの喜ぶような台詞を告げている。彼女の反応は悪くないので、サヴェスの考えは間違っていないのだろう。

 このまま絆されてくれないだろうか、とはこっそりと望んでいるくらいだ。けれど、それはさすがに高望みだと自戒しいている。

 ただ愛でることは赦して欲しい。


 うっとりと微笑むサヴェスを、ルチアンは茫然と見つめているのだった。

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