第40話 別人疑惑
「今日一日考えたのだけれど……」
深刻な顔のままお茶を一口飲んで、ふうっと息を吐いたのはヴェファである。
女学院から帰宅して、シィリンをお茶に誘った彼女に応じてサロンへ向かえば、この態度で出迎えられた。なぜか同席している義母のオヌビアは、そんな娘の姿をちらりと一瞥しただけだ。
二人揃って、朝食の出来事を踏まえ息子に近づくなとつるし上げられるのか、とシィリンはわくわくしたけれど、あまりの重苦しい空気に首を傾げるしかない。
そもそもサヴェスが仕事に出かけてしまったあと、朝食の席では誰もが無言だった。重苦しい空気の中、ヴェファは女学院へと向かい、義母は茶会の支度だと席を離れた。サヴェスと入れ替わるようにやってきた義父はぎこちない妻と娘の様子には少しも気づかず、気難しい顔で朝食を済ますとすぐに出て行ってしまう。
結果、シィリンはなんとも居心地の悪いまま自室へと戻ることになった。
そうして、今ようやく呼び出されたのだ。
ようやく罰せられると、胸を撫でおろしたくらいなのだが、空気が妙である。
「あ、あの……」
「もちろんわかっていますよね。お兄様のことですわ。貴女のことだから、お兄様にも何かやらかしたんでしょう!」
きつく睨みつけてくるヴェファであるが、なぜか悪意がない。
むしろ怯えているように見えるから、シィリンはますます不思議になる。ここは嫉妬に走った妹から制裁を加えられるところだろう。ゴシップ紙ではおきまりの展開だ。あの手この手で責め立てられ、女狐だ、害虫だと罵られる場面であるはずだ。
言葉は批判しているようだが、ヴェファの表情は恐れを感じた。嫉妬などどこにもない。
シィリンは戸惑いつつ、反論した。
この展開の先がいまいち読めないが、様式美は大事だからだ。
「何もしていませんが」
「お義姉様がなにかしなきゃ、あの冷めたお兄様があれほどの顔……あれほど蕩けそうな甘い顔をするはずがありません……別人かと何度も疑ったけれど、どう見てもお兄様なのだもの。いえ、やっぱり信じられないけれど……あの美貌がいくつもあるわけないし……」
「あの子のあんな幸せそうに微笑む顔なんて初めて見たもので……まあ、笑顔自体が珍しいのだけれど。そうね、やっぱりちょっと不気味……いえ、そう穏やかでいいんじゃないかしら……? 本物だもの、本人なのよね? お腹を痛めて生んだ我が子を、間違えるはずはないのよ、双子なんて生んだ記憶はないし……でも本当に夢じゃないのよね……?」
真っ青な顔を両手で覆って震える義妹の横では、物凄く不本意そうに言い直した義母がいる。二人とも動揺を隠しきれていない。
それほどの衝撃か。
確かにサヴェスは豹変したが、あれはゴシップ紙で騒がれている彼の姿だろう。やはり大衆娯楽は嘘ばかりなのだろうか。実際に彼と接点の多い家族がこれほどの反応を示していることにシィリンは遠い目になる。
けれどシィリンははっと母娘を見やって、ですから、と切り出した。
「私は無実です!」
「お義姉様が無自覚なのはわかっています。普通に、性格が悪いんですもの。きっとお兄様にはアクが強すぎたんですわ」
「そうね。無自覚に息子を煽ったんでしょう? ちょっと繊細なところがある子だもの、きっと衝撃を受けて人生観が変わってしまったのよ」
悪口を言われているはずなのに、シィリンの胸は少しもときめかなかった。
むしろとんでもない誤解を招いているようにしか思えない。
「ですから――」
反論をしようとしたら、乱暴に扉が開けられた。
「ご歓談中のところ、申し訳ありません」
少しも申し訳なく思っていなさそうに、長身の男が卑しい笑みを浮かべて慇懃に頭を下げたのだった。
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