第39話 新手の嫌がらせ
ぐだぐだと寝台の上で喚いていても仕方ないと、シィリンが起こしに来た際にリッテが持ち込んだ服に着替えて、食堂へ向かう。
サヴェスは仕事に向かう時間が早いので、いつも朝食は一人だ。
シィリンが行く頃に、一家が揃う。
だが、食堂に顔を出した途端にサヴェスがやってきた。
いつもはいない筈の彼がなぜまだいるのか。もしかして、早く来すぎてしまったのか。けれど、ヴェファも義母のオヌビアの姿もあるので、それほど早いというわけでもないのだろう。
「シィリン、君は今から食事か。なら、もう少し待っておけばよかったな」
慌てて距離を取ろうとすれば、目敏いサヴェスの腕が腰に回る。
サヴェスの大きな手のひらが、優しげに撫でる。それだけで朝の爽やかさが妖艶さに変わるのだから不思議なものだ。
深い青緑色の瞳が細められるだけで、色気が格段に増すとかどういう仕様だろう。
「だ、旦那様はお仕事がありますでしょう? 私のせいで遅れてしまうのは申し訳ないですわ」
だったらサヴェスと同じ時間に早めに食べるという選択肢はシィリンの中にはない。彼も自分の時間を遅らせることしか提案しない。優しさかなんなのかシィリンには判断がつかない。
それより、サヴェスの肩越しに物凄く視線を感じる。
固唾を飲んで、成り行きを見守っているのか。それとも突然の事態に動転しているのか。無言のままに、とにかく凝視という圧をかけられていることはわかった。
そんな背後の家族のことなどどうでもいいと言わんばかりに、サヴェスが微笑んだ。
「私を気遣ってくれるのか、ありがとう」
彼の吐息が首筋をくすぐる。
絶対に故意だとわかるのに、シィリンの体は勝手に震える。瞬く間に熱くなった頬に、さらに羞恥が増した。
感謝の言葉を嫌味に受け取りたい。その方がシィリンのテンションはあがるはずだ。なのに、どうしても彼の声が甘くて、そんなふうに思えない。だというのに、体の熱は上がりっぱなしで、シィリンは戸惑いしかない。
そんな混乱する妻に何を思ったのか、彼は爆弾をさらに投下した。
「あと、旦那様ではなく名前で呼ぶ約束だろう?」
約束はしていないですよねっ!?
確かに一昨日の夜に告げられたが、昨夜はそんなこと一言も言わなかった。
さらに胸板に押し付けられ、慣れない異性との近すぎる距離にシィリンの頭はぐるぐると空回る。
この状況が理解できない。
一体、彼はどうしてしまったのか。
だというのに、サヴェスは含み笑いのままシィリンのこめかみに口つけた。
「今日は早く帰れそうなんだ。夜は一緒に食べよう」
これはもしや新手の脅迫か、嫌がらせかもしれない。
そうは言っても、この腕から解放されるなら、全力で頷く。
シィリンはやけっぱちで、彼の腕の中で壊れた人形のように何度もこくこくと首を縦に動かすのだった。
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