第35話 必死の祈り
そのうえ、これ以上は手を出さないと宣言したにも関わらず破ったのだ。
さすがゴシップ紙の人気の男である。
恋の駆け引き上手な男はきっと口が上手い。あっさりと相手の心を溶かして、懐に入り込み、捨てるときには躊躇がない。
シィリンは喜べばいいのか、怒ればいいのか、自分の感情がわからなかった。
「君が気を付ければいいだけの話だ。そもそも私は君の夫だ。本来、我慢する必要はないだろう?」
そうですね!
最初からサヴェスはシィリンを抱くと告げていたのは本当だ。
けれど、安堵のような顔をしたのもサヴェスのくせに。
目の前の男の考えていることがわからずに、シィリンは目を瞬かせた。
「本当にこれ以上は何もしないよ。だから、おやすみ」
シィリンの頭を優しく撫でて、サヴェスは寝台を下りた。
まるで子どもにするような仕草だ。
父親にだってされたことはないので、シィリンはやはり固まってしまう。
だがどこかへ行く素振りを見せたサヴェスに慌てて声をかけた。
「どちらに?」
「まだ少し仕事が残っているから、隣で少し済ませてくる。明日の朝になったらメイドが起こしにくるだろう。それまではゆっくり寝ていていいぞ」
言うだけ言うと、彼は本当に部屋を出て行った。
散々脅したくせに、去る時はあっさりとしている。
だが彼が寝巻でなかった理由はわかった。これから仕事をするつもりだったのだ。
つまり、最初から!
ゴシップ紙のような冷ややかな恋の狩人のような色気を見せて、妻を誘惑して好き勝手するくせに、突然手のひらを返して紳士的に去っていく。
宰相補佐官は随分と掴みどころのない男だ。
おかげでシィリンの心臓は跳ねまくって、落ち着かないったら。
これは駄目だ。
深く考えると絶対に後悔しかしないやつだ。
シィリンは頭を抱えた。
ただ理想の政略結婚をしたかっただけ。相手は父親が用意してくれて、シィリンはそれを存分に堪能して償い生活を送りたかっただけなのに。
「私が一体、何をしたというの……」
寝台に突っ伏して悶えるしかない。
上掛けを被って、ひたすらに小さく丸まる。
明日になったら、きっといつもの妻に無関心な夫に戻っているはずだ。
別にゴシップ紙のような冷酷な夫でもいい。いや、やっぱりなしで。
妻以外の女と大人の恋の駆け引きを楽しむ夫でいい。
とにかく、こちらとは別の世界で生きてほしい。
シィリンとは戸籍上、名目だけ妻としてくれればそれで満足だ。別に父に告げ口したりもしないし、サヴェスの家族に訴えることもしないから。
――すっかり豹変してしまったサヴェスが元に戻りますように。
本来の主のいない広い寝台の上で、シィリンはひたすらに祈りをささげたのだった。
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