第33話 世間知らずの小娘
夜半過ぎにシィリンの自室の扉が控えめに叩かれた。
本を読んでいたシィリンはパタンとページを閉じると、立ち上がって扉に向かう。ゆっくりと開ければ、サヴェスが驚いたように立っていた。
「まだ、起きていたのか……?」
「旦那様がそうおっしゃいましたよね。今日の夜会では良い相手に巡り合えなかったのですか」
こうしてシィリンの自室を訪ねているということはそういうことなのだろうと思いながら声をかける。
なぜかサヴェスが狼狽えたように、慌てて頷いた。
「あ、ああ。そうだな。それで、もう寝る支度は済んでいるか?」
「はい」
「そうか、ならばおいで」
「へ?」
サヴェスが寝巻に上着を羽織っただけのシィリンを横抱きにした。
間抜けな声を上げてシィリンは夫の腕の中で固まる。
「こんな粗末な寝台で寝られないからな。私の部屋に連れて行く」
「は、はい?」
止めるべきかの判断がシィリンにはつかなかった。
自室で控えていたリッテに救いを求めるように視線を動かせば、彼は首を横に振っただけだった。
どういう意味だ。
諦めろということか。
未知の世界すぎて、シィリンがどう答えればいいのか少しも見当がつかない。
サヴェスは混乱して碌な抵抗のないシィリンを抱えたまま、リッテに命じた。
「明日の朝は私の部屋にきてくれ」
「かしこまりました」
リッテに見送られて、サヴェスは迷うことなく廊下を進んで階段を上がる。
人一人を抱えているというのに、危なげがない。
「あの、自分で歩けますが……」
「花嫁は抱き上げて新居に連れて行くものなのだろう?」
それは結婚したあの日にやるべきことであって、今すべきことではないな。
別に積極的にあの日にやってほしかったのかと言われるとそんなことは決してないのだが。シィリンはとっちらかった思考であわあわと、とりとめのないことを考える。
サヴェスは夜会から戻ってきてすでに湯あみを済ませているようで、簡素なシャツとスラックスという姿だった。仄かに石鹸の香りがして、シィリンは視線を彷徨わせる。シャツからのぞく逞しい胸板や男らしい鎖骨に、色気を感じて凝視できない。
そもそも今夜、サヴェスはシィリンを抱くつもりだろうか。
ゴシップ紙の展開ばかりが気になって、自分の身にそういうことが降りかかるとなると途端に現実味がなくなる。
結局、シィリンにとっては物語の話であって、実際のことには興味がないのだ。
サヴェスがゴシップ紙のように振る舞ってシィリンを抱くということがよくわからない。
頭で考えることを拒否してしまう。
結婚当日は寝台に押し倒されても冷静でいられたのに。
時間が経って同じ状況になると考えるだけで、体が震えた。
――感じていたのは恐怖だ。
まさか怖いと感じるなんてという裏切られた思いと、自分の弱さを突き付けられて妙に納得してもいる。
結局、世間知らずの小娘だったということか。
シィリンは自嘲して、サヴェスの腕の中でじっとしていた。
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