閑話 夜会からの帰途(サヴェス視点)

 人を見る目はあるつもりだ。


 宰相補佐官として、何人もの人間と毎日会うのだから。

 その点で言えば、サヴェスの家族はクズだ。だが、今日夜会で会った母と妹は別人のように様変わりしていた。話を聞けば、どんな話題でもすぐに妻の話になる。妻がー、妻でー、妻だからーといったかんじだ。


 散々聞かされたが、母妹に劇的な変化をもたらしたサヴェスの妻については、よくわからないといった感想になってしまう。

 結婚してからほとんど妻と向き合ってこなかった。ほとんど会話もしていない。その事実に愕然とした。


 馬車に乗っても腕の中に抱え込んで離さないのは、確かにいつもの自分らしくないなとサヴェスも思う。けれど、なぜか離したくなかった。


 夜会から今にいたるまでサヴェスの腕の中で文句を言う妻の顔は赤い。

 初めて会った時は、無邪気さに嫉妬した。お茶を勧められて嬉しそうな姿は胸が温かくなった。今夜は可憐に着飾っても浮かれた様子のない硬質さに美しさを見た。けれど何より驚いたのは、見知らぬ男に襲われても一切取り乱さない強さだ。


 すがることなく、立ち去ろうとした小柄な肩を気がついたら抱き上げていた。

襲われて怖かったはずだ。義妹にすら、いたわるような言葉をかけられていなかった。むしろ憎まれているほどに、苛烈な視線を向けられていた。

 それでも妻となった少女は他人を気遣って笑っていた。何でもないことのように、一人であろうとする。

 サヴェスが思い込みでいた家族に愛された天真爛漫な少女などどこにもいなかった。一体、自分は何を見てきたのか。いや、何も見ていなかった。そして、勝手な思い込みで年下の少女を虐げただけだと気がついて愕然としたのだった。


 サヴェス自身も何がしたいのかわからなかった。だが、きっと腕の中に収めて離さないのが、その答えだろう。


 シィリンは不貞腐れたのか諦めたのか顔をサヴェスの胸に押し付けたまま、眠ってしまったようだった。

 小さな寝息が聞こえてきて、サヴェスは目の前に座るメイドに目を向けた。


「彼女の父親は、彼女を愛していないのか?」


 よく考えたら、ろくな噂のないサヴェスに嫁がせたことはおかしい。あまりに結婚式当日に彼女が幸せそうだったから、勘違いしたのだ。愛された両親の元で過ごしてきた少女だと。

 けれど、義妹はシィリンに憎しみのこもった目を向けていた。彼女の口ぶりから継母ともあまり仲がよくないようだ。その上、父親に恨みを持つ男に襲われても平然と処理した。日常だと義妹が告げるほど、当たり前に襲われる。メイドも随分と手慣れていて、淡々と対処していた。


 そんなことがあるのか?

 

 いや、それよりも。そんな少女がただ愛されているだけなわけがない。

 サヴェスは勝手な思い込みで妻を遠ざけていた最低の夫だ。

 反省しつつ、今更な問いを口にした。


「宰相補佐官様は、お嬢様のお父上のお話をご存知ですか?」

「巷の噂くらいだな……」


 金の亡者で、情よりも金を取る。

 黄金の帝王の名に相応しい悪魔。


「ならば、それの千倍くらい酷い男だとお考えください。他人の命など金に換算できなければ塵だと笑う男です」

「それはなんとも……」


 サヴェスの家族よりも酷い男だ。

 人間性を問うまでもなく、百人が百人とも極悪人だとあしざまに罵るほどである。


「ほ、本当か……?」

「お調べいただければ、すぐ手に入りますよ。ゴシップ紙の貴方の噂は嘘かもしれませんが、旦那様の話は真実しかありません。むしろ真実がひどすぎて一般受けしないので優しいヴェールで隠されているほどです」


 ゴシップ紙など読んだことはないのでどれほどかとは思うけれど、メイドの言葉を否定する根拠もない。

 そうか、と再度小さく頷くだけである。


「どうして彼女はそれほどゴシップ紙が好きなんだ?」


 彼女の父親の話は、柔らかなサヴェスの精神をガリガリと削るような破壊力がある。そこで当たり障りがないようなことを聞いてみた。

 愛らしい妻が愛読しているゴシップ紙。

 それほど微笑ましい記事など載っていないに違いないそれに、彼女が惹かれる理由を知ってみたいという単純な好奇心から出た言葉だった。


 そして、サヴェスはメイドの言葉に戦慄する。


「――お嬢様は、ゴシップ紙を神格化し崇めていらっしゃるのです」

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