第30話 とある少女の信仰

 シィリンの父は悪徳高利貸しだ。

 どこまで悪徳かと言えば、金づるには容赦がない。相手を嵌めて破産させることはお手の物。誰よりも高慢で、金に汚く、冷徹で、血の色は緑。

 平民のくせに黄金の帝王と呼ばれるほどに、美しい姿をして、巨万の富を、いくつもの屍を築いて平気な顔をして乗り越えていく。


 そんな父は、唯一母のことだけは愛していた。

 溺愛といっていいほどに。

 父が二十五の時のことだ。母は十六だったらしい。出会った瞬間から婚姻を結んで、父が造りあげた黄金の檻とも言われる家から一歩も外に出さなかった。

 手元で大事に大切に囲って、鳥かごのような生活を送らせた。

 母はそんな生活に不満はなかったようだというのが、父の部下たちの共通の意見だ。

 父の狂気に満ちた愛を、にこにこと余裕で受け止めていたと。

 そんな母は、シィリンを生んで外にでることを覚えた。

 

 幼いシィリンに世界を見せたいと望んだのだ。

 最初は庭まで。それから少しずつ町へと。

 父は母が外にでることを嫌って、二人は何度も喧嘩になったらしい。

 喧嘩といっても母に弱い父が勝てることはなく、結局多くの護衛を連れて出歩いていた。


 そして、シィリンが五歳の時に、悲劇は起こった。

 多くの護衛がいた。それでもシィリンは迷子になった。

 何が起きたのかよく覚えていない。何かに気を取られて母から離れてしまった。気が付いた時には、シィリンは母の腕の中にいた。

 父に恨みを持つ男にめった刺しにされた母の腕の中で、守られていた。


 父が母の遺体に縋りついて泣きに泣いた日を、その激しい慟哭を、決して忘れない。魂に刻まれてしまった。


 だから、あの日、誓ったのだ。

 多くの人に恨まれている父が、少しでも幸せになるように。

 母という唯一の幸福を喪ってしまった、不幸のどん底にいるような男が、これ以上の災厄に見舞われないように。

 

 母を殺してしまった愚かな娘が、罪人である自分が、贖い続けるから。

 父が少しでも心安らかに日々を送れますように、と。

 

 それが生き残った罪人の当然の行いだ。


 父が継母を迎えたのは、身代わりが必要だったからだ。家族に手を出されても父にはなんのダメージもないと見せしめるための。それが父の部下が提案したことだと、シィリンは知っていた。あまりに嘆き悲しんだ父に報復するには家族が効果的だと思わせないための、単なる疑似餌だ。いや、生贄だろうか。

 だが継母には継子がいて、その子はシィリンの身代わりだと周囲は考えた。実際のところ、どちらが狙われたところで、父に対する復讐にはなりえないのだが。 


 残念ながら何を勘違いしたのか、継母はシィリンを虐めて父の愛が自分一人に向かっていることを誇示しようとした。義妹も継母に倣って同じ行動を繰り返した。

 だが、シィリンが感じたのは安堵だった。罪人が贖っている間は、父が不幸になることもないだろう。

 最愛を失った父は日々を惰性で生きていた。あれほど幸せそうだったのに、あの頃の姿は一度も見られなかった。


 そんな数年を過ごしていたが、継母と義妹はある日、外出先で誰かに襲われたらしい。小さなものは幾つかあったが、大きな事件に発展したようだ。二人は拐われて命からがら父の部下から助けられたようだった。


それから、継母は父の意図をようやく悟ったようだ。愛されているわけではなく、盾にもならない捨て置かれた存在だということに。

 そして、虐げていたシィリンと自分たちが同格であると知ったらしい。ただ黙々と虐げられていた子どもに恐怖を感じたのかなんなのか、それからは大人しくなって、腫物に障るようにシィリンと距離をとり近づくこともなかった。

 途端の手のひら返しである。

 これまでの態度を一変させたおかげで、日常がひどくぬるい。できればもっと苛烈に虐め抜いてほしかった。


 どこかで見ている神様が、同情して父に情けをかけてくれるくらいには。

 憐れな罪人の娘が償っている間くらいは、恩情をかけてくれるように。


 そんな中、ふと出会ったゴシップ紙には、シィリンが日々望む悲劇が満載だった。

 天啓を受けたと言っても過言ではない。

 教典だ。聖典でもいい。

 とにかく、あらゆる不幸が詰まっていた。


 ときめいてしまったのは誤算だったが、これを頼りにして日々を過ごしていこうという指針になったのは間違いない。


 シィリンはゴシップ紙にどっぷりと嵌まってしまった。


 ――こうしてとある少女に信仰が生まれたのだ。

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