第27話 妻の作法

「ああ、彼女はフォーラ・ヴィッテス。城で女官をしているんだ。ヴィッテス殿、妻のシィリンだ」

「可愛らしい奥様ですね」

「ありがとうございます」


 シィリンは満面の笑みで答えた。

 フォーラの言葉は棘だらけである。実のところ、サヴェスにはまったく釣り合っていないと言いたげなほどに。それを可愛らしいの一言に込めたところに、悪意がより籠っている。

 完璧すぎる。


「お姉様……」


 そんな嫉妬の眼差しをシィリンに向ける彼女の隣にいた大人しそうな少女が、恐る恐る声をかけた。


「あら、ごめんなさい。補佐官様、妹のキャロラです。今夜の夜会でジッケルドクラ伯爵家が持ち込んだお菓子が気に入ったらしくて。奥様のご紹介なのですって?」

「今日の夜会に?」


 フォーラの説明に、サヴェスが目を丸くした。


「補佐官様はご存知なかったのですか? 先ほど伯爵夫人から教えてもらいましたの。妹は奥様と同じ年なのです、少しお話してもよろしいかしら?」

「あ、あの……とてもお菓子がおいしかったのです。隣国で流行っているのを、シィリン様がこの国に持ち込んだとお聞きして……それで……」

「シィリンで構いません。では、少しお話しましょうか」


 シィリンがにこりと微笑めば、キャロラは真っ赤になって何度も大きく頷いた。


「では、旦那様。あちらにいますわね」

「あ、ああ」

「ヴィッテス様、少しの間旦那様をよろしくお願いします」


 シィリンが告げれば、フォーラの口角がひきつった。

 同じ年の娘と仲良くしているほうが楽しいだろうと言いたげな余裕を見せていたフォーラである。それが一瞬で崩れた。

 だてにシィリンもゴシップ紙を読み漁っているわけではない。

 内心ではきゃあきゃあと興奮しきりだが、これくらいの作法は知っている。夫に惚れている女や愛人に対して、妻からの余裕ある言葉『夫をよろしくお願いいたします』である。夫を自分のものだと主張しつつも、寛大に妻の立場として許してあげているという上から目線。

そんな特殊な攻撃があると知った時に、内心で激しく震えたものである。

なんて高度な技なのか!

 当のサヴェスはなぜか首を傾げているが。

 つまり様式美だ。

 喧嘩を売られた妻は、夫の愛人には常に優位に見せるものだと相場が決まっている。定型句のようなものだ。

 シィリンはいつか夢見たシーンを演じられたことにとても満足して、軽い足取りでテラスに近い壁際にキャロラと向かう。


「あ、あのシィリン……」

「はい、なんでしょう?」

「お姉様がすみません。昔から宰相補佐官様に憧れていて……」

「わかっているわ。旦那様は本当におモテになるのは知っているから。だからそれは気にしなくていいのよ。では、お菓子は口実ということかしら?」

「いいえっ。本当に美味しくて! あれは隣国でもよく食べられるものなの!?」


 キャロラは瞳をきらきらとさせてシィリンに迫ってきた。

 その態度だけで、別に口実というわけではないことはわかった。十分すぎるほどに。丁寧な言葉遣いもどこかにふっとんで随分とフランクな話し方になっている。


「あれは隣国の菓子職人が最近考えたものなのよ。今はとても評判があるけれど、昔からよく食べられていたものではないわね」

「へええ、シィリンはなぜ知っているの?」

「その隣国の菓子職人と知り合って教えてもらったからよ」

「すごいわね!」


 正確には借金が払えないと父に泣きついてきたところに偶然居合わせただけであるが、まあそれは伝えなくてもいいだろう。


「あんなにおいしいお菓子があるなんて知らなかったの。本当にびっくりして」

「そう。喜んでもらえてよかったわ」

「……私、お菓子が大好きなの」


 なぜか苦しそうに、キャロラが告げたので、シィリンは首を傾げた。


「好きなものがあって喜ぶのは当然なのでは?」

「令嬢がお菓子の話ばかりって子供っぽいって家族やお友達からは言われるの……」

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