閑話4 清い体(サヴェス視点)
「淑女の部屋というのは、洗濯物が干してあるのか?」
「はあ?」
同僚の補佐官ルチアン・マクレに思わず声をかけてしまったのは、青い空を見てしまったからか。
洗濯日和だなと考えて、先日訪れた妻の部屋を思い浮かべた。
お茶は確かにおいしかったが、妻の後ろで揺れる洗濯物の違和感が凄まじい。
お茶を飲む時は部屋の景観が大事なのだなとサヴェスは実感した。
「なに、平民の女の部屋にでも入ったのか?」
「平民の女なら部屋の中に洗濯物を干すのか」
「治安が悪いと洗濯物が盗まれるらしいぞ。だから部屋の中に干していると聞いたな」
サヴェスの妻も平民の女であるので、その習慣があるのかもしれない。
なるほど、貴族の自分とは感覚が違うらしい。
納得すれば、ルチアンは首を傾げた。
「お前結婚したばっかりなのに、すでに愛人がいるのか?」
「あ、いや、そうではないが……」
噂ばかり派手なサヴェスの実際の生活を知っている同僚は戸惑う彼の肩をばしりと叩いた。
「冗談だよ。仕事ばっかりしていて、どこに愛人を作る時間があるっていうんだよな。ほんと、巷のゴシップ紙は嘘ばっかりだ」
「…………」
「なんだよ?」
嘯くルチアンをサヴェスはじっとりした視線を彼の手元に向けてしまう。握られているのは紙の束である。
「お前の手にあるのはそのゴシップ紙のように見えるが?」
「見出しが面白くてつい買ってしまったんだよ。『君が私の妻となったからには、きちんと妻としての役目を果たしてもらおうか』だなんてどんな顔して彼女に囁いたんだ?」
「嘘ばっかりだと言ったのはお前だろう」
サヴェスのことをよく知っているくせに、揶揄ってくる様が腹立たしい。
「いや、俺の知らないサヴェスがいるのかと思って。奥さんの前じゃ態度が違うとかさ。すごいぞ、『君の実家の金だけが目当てだったが、体も悪くない』とか『たまには毛色の変わった女を抱くのもいい』とか?」
「誰の話だ?」
思わず呻いて問えば、にやにやとルチアンが笑う。
「我が同僚のサヴェス・ジッケルドクラの言葉だ。そう記事に書いてある。同僚にこぼしていたってさ。この同僚ってもしかして俺かな。いやあ、俺も有名人じゃね?」
「楽しんでいるところ悪いが、一度も抱いてない」
「え、少しも手を出さなかったのか?」
「相手は十六だぞ」
憮然とした面持ちのサヴェスに、ルチアンは呆れた。
「なんだ、脱童貞祝いをしてやろうと思ったのに」
「余計なお世話だ。清い体の何が悪い」
「お前ね、清い体って最近の淑女でも言わないよ? 普通はその年で女抱いたことないって恥ずかしがるもんだが、お前、へんに生真面目だよな」
「責任を持てないことをすべきじゃない」
血のつながった家族が、何を考えているのかサヴェスには一切理解できない。
彼らはサヴェスにとっての怪物だ。
そんなものを新しく生み出す行為など、恐怖しか感じない。
ゴシップ紙に何を書かれても、サヴェスの価値観はまったく揺るがない。
「結婚しといて何が責任だよ。むしろ結婚したんだから、ちゃんと責任持てよ。それにしても年齢なんて妻相手に気にするものか? 別に手を出したって問題にもならん。それとも趣味じゃなかったとか」
「別に困ってないのに、手なんぞ出すか。妻なんて望んでない」
性欲など無縁だ。
どれほどの美人だろうが、体が自慢だろうが、自制心など必要としたこともない。
少しも反応しないのだ。
きっと一生縁がないと考える。
「ああ、そういうこと。家に帰ったの一日だけだもんなあ。結婚式の次の日にもしっかり就業時間前に仕事始めてたし。奥さんと楽しんだ後なら、お前の体力すげえなって思うところだったけど。なるほど、で、全く興味がないの?」
「…………」
サヴェスはうっかり黙ってしまった。
お茶について目を輝かせた少女が、可憐に見えた。彼女が自分の妻だと思うと、心のどこかが温かくなった気がした。
付き合いの長いルチアンはそれを見て、にんまりと笑う。
「なるほどねぇ、堅物のサヴェスにしちゃあ自覚があるだけ上出来じゃないの」
「おい、俺は何も言ってない」
「はいはい、お前のためにおしまいにしてやるよ。あれだけ他人に娯楽を提供しているんだから、少しは金がもらえればいいのにな」
「別に売っているわけではないんだが」
勝手に騒がれているだけなので、実際のところ対処の仕様がない。できれば、そっとしておいてほしいというのが正直なところではある。
「それで、なんで女の部屋なんかに入ったんだ?」
面白そうににやりと笑われて、サヴェスは口が滑ったことを後悔した。
先日の妻の部屋に入った時の衝撃が衝撃だっただけに、ついうっかりしてしまったのだ。だが、家の者が嫁いできたばかりの妻を虐げていると白状するのも辛い。
サヴェスの家族は本当にクズだ。どうしようもない人たちである。
家族と縁を切れればどれほどいいだろうか。
だが、結局、この年まで放置してきたのも事実。
結局、結婚式から一週間経って一度戻ったきり、こうして仕事に逃げている。
多忙だったのは本当だが、職場に寝泊まりするほどの忙しさではないというのに。
「そういえば、お前の家、最近話題になっているらしいな」
「は、今度は何をやらかしたんだ?」
「いや、なんか茶会で人気の菓子を披露したって。珍しく褒められていたぞ」
「はあ?」
そんな話題を提供できるほど、彼女たちは社交が得意ではない。
派手な装いばかりに気をとられて、どちらかといえば爪弾きにされているし、陰口を叩かれているのも知っている。
だというのに勘違いしたまま余計に躍起になって派手さが増すばかりだ。挙句には影で悪口ばかりを言われて笑われているというのに、茶会で褒められることなどあるわけがない。
「それは本当にうちの話か?」
「ジッケルドクラ伯爵家がお前の家じゃなかったら、違うかもな」
呆れたように同僚に告げられて、サヴェスは小さく呻いた。
「それで、今度の公爵家主催の夜会に一家を招待したってさ」
「はああ――っ?」
それは問題しかないのでは?
サヴェスは頭痛が酷くなったように、悲痛な声を上げたのだった。
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