第20話 罪人の祈り

 カップを洗って、リッテが自分でお茶を淹れた。

 厨房からは無事にお菓子を拝借できたようで、テーブルに並べていく。


「で、久しぶりに憧れの夫に会った感想は?」

「憧れは憧れのままにしておくべきだと実感したわ」


 シィリンはお茶を飲みながらしみじみと呟いた。

 以前購入したゴシップ紙の記事には嘘だと思うような初夜の様子が書かれていた。当事者になってみると、なんて嘘だらけだろうとわかってしまう。

 よくもこれほどの嘘が書けるものだといっそ感動した。


 サヴェスは辛辣な言葉を吐いたが、シィリンには指一本触れなかった。

 けれど、ゴシップ紙には妻を甚振って一夜を楽しむサヴェスの姿がある。同僚からの証言も得ているらしい。サヴェスが同僚に嘘を語っているのかもしれないが、先ほどのサヴェスの様子を見ればゴシップ紙の方が嘘なのだろうと思わざるを得ない。


 まさかここに来て、理想の夫を失う事態になるとは思わなかった。

 せっかく婚家の教育を開始したというのに。


「近づいたら、妙に生々しくて……」

「目が覚めたようで何よりだよ」


 リッテが呆れたように笑う。


「駄目よ、せっかくお父様が希望を叶えてくれて、こんな素敵な政略結婚をさせてくれたのよ。期待に応えられないなんて、悪徳高利貸しの娘として不甲斐ないわ」


 自分が侮られるよりもずっと悔しい。

 こうなったら意地でもある。


「あのおっさんがそんなこと考えているわけないだろう。本当におかしな方向に向かって情熱を燃やすよな……」

「リッテ。人には相応があるの。私は弁えているだけだって言ってるでしょ」


 シィリンが静かに告げれば、リッテは力なく笑う。


「だから、お嬢は気にしなくていいっていつも言ってるだろ」

「被害者が加害者を責めないで、どうやって反省しろというの。本当に皆勝手だわ」

「本当の加害者が誰かわかっているからだろ。だとしても恨んじゃいない」

「おかげで、こうして贖いができそうな家を探す羽目になるのよ」


 リッテとの問答はいつものことだ。

 会話は平行線で、決してお互いが折れることはない。

 だから、リッテは皮肉げに口角を上げた。


「ゴシップ紙好きのオタクが、理想に近づいたってだけだろ。いわば、趣味の延長じゃないか。他人のせいにするなよ」


 辛辣な言葉の裏にあるのは優しさだ。

 優しい人間はいつだって虐げられる。

 被害者になって、救済されることがない。結局、本人が加害者である相手を許してしまう。優しさ故に、損ばかりしている。

 

 シィリンはそんな現実が我慢できない。

 けれど、きっとそれすら加害者の自己満足なのだ。

 

 救いがないのなら、救いを作ればいい。

 虐げられて、贖いを見せつけたい。


 すべてが、シィリンの満足でしかないとわかっていても。


 どこまでも傲慢で、愚かで、浅はか。

 それはどこまでも罪人らしいと、理解している。

 理解しているから、神様、どうか――。


 大切なあの人を、これ以上不幸にしないでとシィリンは心から願うのだった。

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