第10話 良い思い出
「それで着替える前に、やることがそれか」
「リッテ。片付けるというのは大事なことよ?」
とても大層な服を出してもらったが、部屋の片付けが中途半端にしかできていないことをシィリンは思い出した。
だが、ふと放り投げた箒を手にしながら、リッテを振り返る。
「思い出したわ。子どもの頃はよくこうして二人で過ごしたじゃない」
「良い思い出のように語るなあ……俺にとっては毎日が生きた心地がしなかったよ」
まだ実家に継母がやってきたばかりの頃。
シィリンは使用人同然のようにこきつかわれていて、リッテも今よりもずっと非力で弱っていた。自分のことはいい。罰してもらうのはシィリンにとっては当然のことだから。けれど、リッテは父に借金のかたとして無理矢理つれてこられているのだ。彼が何一つ自分の意思で決められない現実に、彼女は憤った。
彼はシィリンに与えられた護衛だ。強くならなければいけない。それが父の考えで、ビズーは容赦なくリッテを鍛えた。
だが当時のリッテの体力では過酷と言わざるを得なかった。放置していれば、彼は死んでいたかもしれない。
狭い部屋に二人でこもって顔をつきあわせては、どうやって彼の現状を変えられるか考えたものだ。作戦を立てて、実行する。時には失敗もあったが、成功した時の喜びは何物にも代えがたい。
リッテはうんざりしたような顔でため息を吐いているが、シィリンは懐かしい気持ちしかない。よくここまで成長してくれたと感慨深くなる。
「お嬢は本当に怖いもの知らずだったから、命がいくつあっても足りない。ビズーに仕返ししたときは、本当に死を覚悟した」
思い出しても震えてくるらしい。
リッテは真っ青になりながら、自分自身を抱きしめている。
あまりにリッテがボロボロにされていたので、同じようにしてやろうと罠を作ったときのことだろう。子どもの浅知恵に有能なビズーが引っ掛かるはずもなかったが、彼のその後の対応はしっかりと覚えている。
「あら、可愛い子どものいたずらじゃない。本人も笑っていたわよ」
「ビズーは確かにそう言ったけど。だがあの笑顔は怒りが沸点に達した時に現れる冷笑だぞ。あいつがそうやっておっさんの敵を半殺しにしてるところ、いつも見てる」
父に忠誠を誓っているビズーは、父と敵対するというだけで悪だと思い込んでいる。悪者がどちらかなんて、火を見るより明らかだとシィリンは思うのだが、残念ながら実家の法は父だ。
むしろ彼は信奉者に近い。
父にはそういったカリスマのようなものがある。人を惹き付ける魅力は底知れない。とても同じ血が流れているとは思えなかった。
「俺はよくあの地獄を生き抜いた」
リッテがしみじみと言葉を吐いたので、シィリンは彼の頭を優しく撫でた。
シィリンよりも少しだけ背の高いリッテなので、手を伸ばせばすぐに頭に届く。距離がずっと近い。
サヴェスは背が高いので並ぶと、かなり顔を上に向けなければならなかった。
リッテは美少女顔だが、サヴェスは輪郭からして男らしい。骨ばっているのに、整っているから綺麗に見えるという不思議な印象を与える。
ふと夫のことが思い浮かんだ。
シィリンが瞬きすると、リッテが面白くもなさそうに鼻を鳴らしていた。
「お嬢、今、俺のこと可愛いって思っただろ?」
「リッテが可愛いらしいのは本当のことじゃない」
「お前と違って、努力家だからな」
ふんぞり返って威張ってくるくせに怒っていた。器用なことだ。
心の底からの褒め言葉なのにな、とシィリンは内心で可笑しく思う。
「とにかく。今後のために、改革は必要なのよ! そして、教育はよりよい未来のための先行投資。やるしかないわっ」
「あー、そういう話につながるわけね……仰せのままに、お嬢様」
やる気と気合に満ちたシィリンに、リッテが疲れたようにお辞儀した。
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