第7話 売れない記事
ジッケルドクラ伯爵からは何も盗むなと言われたが、腹が減っては何もできない。粗食を貴ぶシィリンであっても例外ではないのだ。死なせてしまってもこの家は困らないだろうが、シィリンは目的から外れるので餓死は困る。そのため、ありがたく彼の提案に乗った。
リッテが盗んできたパンと果物を少量食べて簡単な朝食を済ませ、シィリンは簡素な服に着替えて街へと徒歩でやってきた。
時間は昼前だ。明るい空の下、街は活気に満ちていた。往来を行き交う人の姿は勢いがある。
シィリンは迷うことなく大通りに突き進んだ。
そうして目当てのものを見つけて大通りを横切ろうとしたところ、後ろからついてきたリッテに手を引かれる。
「お前、ほんと危ないっ」
「あ、ごめんつい」
シィリンの目の前を立派な馬車が勢いよく通り過ぎていく。
「朝飯食べ終えたら突然出かける準備を始めて何事かと思ったら……一体、何に夢中になってんだよ……ああ、あれか」
シィリンの向かおうとした先にはゴシップ紙を掲げた青年が声を張り上げていた。頬を紅潮させて侍女を振り返る。
「今日が発売日なの!」
「あー、最近忙しすぎて忘れてたわ。よく覚えてたな。とにかく、わかったから落ち着け。馬車に轢かれたらなんにも読めないぞ」
「リッテはその姿の時の口調は改めたほうがいいと思うの」
美少女メイドの口から、少年の声が聞こえるのは違和感がすごい。そのうえ、乱暴な口調は全く似合わない。
「お嬢様。売り切れにはなりませんから、急がず周囲をよく見て購入なさってください」
リッテが少女の声音で口を尖らせた。
「確かに、売り切れにはならなさそうね」
大通りは市場が立ち並び、賑やかだ。
その通りで声を張り上げている青年は、すでに勢いを失っていた。いつもなら、凄い勢いで売り捌いていくというのに、珍しいこともあるものだ。
シィリンは慎重に通りを横切って、ゴシップ紙を売り歩いている青年に声をかけた。
「今日はあまり人気の記事はないのかしら?」
「ああ、お嬢さん。いつもありがとうございます」
毎回発売日に買いにやってくるシィリンは、青年と顔なじみである。
「そんなことはない筈なんですけどね。大人気の冷徹宰相補佐官ジッケルドクラ伯爵令息もしっかり載ってますよ。しかも一面です。俺が書いたわけじゃないけど、売れること間違いなし! いつもなら即完売なんですけどね、ほんと売れる記事って難しいな」
青年は売り子もしているが、基本的には記者だ。いくつか記事を書いているのも知っている。
弱りきったように頭を掻く青年に、リッテは首をかしげた。
「そんなに自信があるのに?」
「熱烈な定期購読者であるお嬢さんにぜひ感想をいただきたいものですね」
「あら。じゃあ一部ちょうだいな」
勧められていなくても買うつもりだったが、それだけ押されると気になる。
夫の名前まで聞いたし、シィリンは硬貨を青年に渡す。それを受け取って、青年は苦笑した。
「まいど。自信はあるんですけど、ちょっと今回はあんまり興味を引けなかったみたいで」
青年はゴシップ紙の一部をシィリンに手渡しながら、ぼやいた。
「どうしてかしら? だってジッケルドクラ伯爵令息は大人気なのでしょう」
夫の記事はいつも楽しく読ませてもらっている。人気があるのか、いつも一面だ。しかもかなりの紙面を割いているのを知っている。
不思議に思って一面の見出しを見つめて、思わず息を呑んだ。
「リ、リッテ……、こ、これ見て……っ」
後ろに控えている侍女の袖を引っ張って、震える手で一面を掲げて見せた。
「うわあ……」
リッテの表情を見て、シィリンは勢いよく青年を振り返った。
「追加で購入よ。あと十部くださいな!」
「え、いいんですか。まいどありっ」
青年が機嫌よくゴシップ紙の束をシィリンに向かって差し出した。
一面の見出しは美貌の冷徹宰相補佐官ついに結婚という煽り文句とともに、相手が悪徳高利貸しの娘であることが書かれていた。
つまり、自分の記事が出ていたのである。
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