第5話 期待に満ちた朝食
リッテは器用だ。主人にドレスを着せることもできるし、髪だって色々な形に結わえることができた。だが、シィリンも自分のことは自分でできた。
そもそも実家でも使用人として長く働いてきた実績がある。
ドレスは着せて貰ったが、自身で髪を整えたシィリンは、リッテを伴ってウキウキと食堂に向かった。ちなみに場所は案内されなくてもリッテが把握している。凄腕の暗殺者はすっかり屋敷の構造が頭に入っているのだから。
主人の足取り軽やかな姿をやや後方に控え見つめながら、リッテはぼやいた。
「浮かれすぎです、お嬢様」
「あら、いけないわね」
ふふっとシィリンは小さく笑いを漏らすと、食堂の扉の前で軽く咳払いをする。
つい期待してしまって、胸が踊るままにやってきてしまった。こうして楽しんだりするから、実家では継母から恐れられ失敗してしまったというのに。
「お待たせしました」
瞬時にしおらしい態度を装って中へと入れば、すでにジッケルドクラ一家は食事を始めていた。
食堂のテーブルの正面にはジッケルドクラ伯がいて、隣に立つ執事らしき男が新聞を広げて見せている。
シィリンにちらりと一瞥しただけで、すぐに興味はなくしたようだ。むしろ彼女が屋敷にいたことすら気づいていなかったような扱いである。
伯爵家の嫁と認めない雰囲気に、シィリンは胸の奥底から湧き上がる歓喜を必死で押し殺した。
「とくに待ってはいませんけれど、さっさと席につきなさい」
義母のオヌビアは顔を上げずに、嫌味を口にした。だがシィリンが反応するよりも早く声がかかる。
「お母様、お義姉様の席がないわ。空いているのはお兄様の場所だもの」
義母の隣に座っていた義妹のヴェファがくすくすと笑いながら、大変とばかりに口を開いた。
確かにテーブルにはジッケルドクラ伯爵夫妻と義妹の三人分の食事しかない。
席は一つ空いているが、それはヴェファが指摘したようにサヴェスのものなのだろう。そこには料理がないので、彼はすでに食べ終え仕事に向かったと考える。
どちらにせよ、シィリンの分がないのは明らかだ。
だが、義妹の言葉を受けて義母が困ったように柳眉を寄せた。
「あら、そうだったかしら」
「席を用意していたら、私たちのせっかくの温かい食事が冷めてしまうわ。そうでしょ、お母様」
「その通りね」
「もういい」
夫人とその娘の白々しい会話にうんざりしたようにジッケルドクラ伯が口を開いた。
「用件は一つだ。サヴェスは家にほとんどいない。一日好きに過ごしてもいいが、この家のものに手をつけることは許さん。わかったな」
それは食事のことも含まれているのか。
特にシィリンは父から説明を受けているわけではないが、家から持参金が支払われているのは知っている。その持参金目当てだとしても嫁をなんだと思っているのだ。まるで盗人扱いである。
しかも一方的に話すだけで、シィリンとの話は終わりとでも言いたげだ。
そのまま、ジッケルドクラ伯爵は新聞へと視線を戻す。
義母も義娘もすでにまるで何事もなかったかのように、食事を続けている。
静かになった食堂にはカトラリーを動かす音が響くのみ。
シィリンは本当に空気になったようだ。
だが無言で一礼すると、食堂を後にするのだった。
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