第3話 耐えられないご褒美

「私は君と同衾するつもりはない。寝室も分けるつもりだ。もし我が家の跡取りを生むために悲愴な覚悟をしているのなら、無駄だと伝えておこうと思って」


 思わせぶりに押し倒して告げる台詞か?

 自信があるのは結構なことだ。テンションがあがる。

 その一方でシィリンは最初、夫の行動をはかりかねて戸惑った。他所に女がいるから後継者の当てはあるということだろう。もしかしたらすでに存在しているのかもしれない。これほどゴシップ紙で騒がれているのだから。

 

 それは納得するほどにわかっているが、押し倒されて告げられるこの状況が理解できない。


 だが、そう言い放ったきり、サヴェスは寝台からさっさと降りた。

 告げられた瞬間は億劫に感じたが、時間が経てばじわじわと体の内を侵食する。

 

 夫の声は低いけれど、聞き取りやすい。

 シィリンも寝台の上に置きあがったが不意に湧き上がった喜びの感情を抑え込むように慌てて俯いた。そして、華奢な肩を震わせた。


 愛のない結婚式だけでも、もう十分なのに。

 なんの感情も籠もらない冷えた視線。美貌の夫に一度たりとも顧みられない新妻。実父から役割として与えられている後継を生むことすらはね除けられた。

 そんな状況に歓喜乱舞していた精神を必死で抑え込んでいたおかげで、既に疲弊していた。だというのに、夫のさらなる攻撃に激しく揺れる。


 サヴェスの妻になって、結婚式の散々な態度にも耐えてきた。そのうえ不幸な花嫁発言だけでなく、同衾もいらないなんて。どこまで蔑ろにすれば気が済むというのか。


 もう、これ以上ご褒美なんていらないのよ!


 サヴェスは打ちひしがれる妻を見て満足したのか、脱ぎ捨てた上着を乱暴に掴むと踵を返して部屋を出ていく。

 長居しては面倒だと判断したのかもしれない。


 愛のない政略結婚。彼の家はシィリンの家の持参金目当て。シィリンの家は彼の爵位が欲しいと推測した。彼にとってはサヴェスの父であるジッケルドクラ伯爵が勝手にまとめた縁談だからこそ、煩わしさしかないのだろう。慰めるのは彼の役目ではないし、憐れな花嫁が勘違いしないようにという彼なりの配慮だったのかもしれない。


 夫の心情など推しはかったとしてもその程度。

 そして、彼はきっとシィリンの心の内など想像もつかないに違いない。


 ぽつりと夫婦の寝室に残されたシィリンは部屋着のドレスをぎゅっと握りしめた。

 誰もいなくなったからこそ、ようやく感情の赴くままに自身を解放できる。

 吸い込んだ息が、喉の奥で掠れた。乾いた音は、どこまでも震えていた。


「……ああ、もう理想だわ……そんなご褒美まで、今日の終わりにくれるとか完璧すぎる――っ」

「おい、声が外まで聞こえているぞ」


 慌てて部屋に入ってきた侍女のリッテが、鋭く窘めた。


「あら、お帰りなさい」


 シィリンは目をぱちくりと瞬かせて侍女を見つめる。

 格好は実家のお仕着せのものであるので、この屋敷では浮きまくっているだろう。それよりも彼の見慣れぬ格好にシィリン自身、違和感が拭えない。


「リッテこそ、声が低いわよ?」

「お嬢様が素になっているので、慌ててしまいました」


 年頃の少女のような声色で、しれっと答えたメイドは、部屋のテーブルの上に簡単な食事を乗せた。

 長袖シャツに長いスカート、エプロンドレス。髪は短いけれど、ヘッドドレスをしていれば、きちんと少女に見えるから不思議だ。朝まではきちんと少年だったのに、格好一つで見違えるものである。従僕姿があっという間に侍女になるのだから、この男の器用さに呆れる。


「本日はお嬢様の夕食は出ないそうです。こちらは厨房から適当に見繕ってきました」

「あら、私、今夜は野菜スープがよかったわ」

「そんなもんあるわけねぇだろ。我儘言わないでください」


 またリッテが少年の声に戻って、短く息を吐いた。

 彼はもともとシィリン付きの護衛だ。


 悪徳高利貸しの父のおかげでシィリンの周囲は不穏である。父は多額の金を法外な利子をつけて貸し付ける。没落させた家は数知れず。もちろん貴族だろうが、平民の富豪だろうが、豪商だろうがお構いなしである。そうして巨万の富を築き上げた。

 その取り立ては執拗で、一家離散など生ぬるい。女子どもは売り飛ばし、男は鉱山などの過酷な労働力として死ぬまで働かせる。他人からの恨みを買って私服を肥やしているのだ。


 そのため、彼の娘であるというだけでシィリンは恨まれてきた。

 顔の知らない人たちに、今も怨嗟を向けられている。

 そんな娘を守るために、借金のかたに連れてきた少年を暗殺者に仕立て上げ、挙句に娘の護衛とした。やり口が陰険である。しかも父の中ではリッテに温情を与えているつもりなのだからあきれ果てる。


 当のリッテは己の境遇は恵まれているほうだと嘯いている。それが真実かどうかはわからないが、彼とは長い付き合いであることは事実だ。その分、気心も知れている。

 そして、シィリンのオタク趣味を唯一理解してくれている相手でもあった。


「しかし、相手がサヴェス・ジッケルドクラとは驚いたな」

「浮気相手がわんさかいる美形の夫がいいと言ったら、候補はだいぶ絞られるとお父様はおっしゃっていたわ。ゴシップ紙の常連だもの、これ以上ないほどに素晴らしい相手だわね」

「なるほど、納得。確かにめちゃくちゃ顔はいい。しっかしお嬢の趣味はわかんないなあ。なんで嫁いだ家で虐げられたいんだよ。夢見る乙女ならもっと他に幸せになるような夢があるだろうに。ほんと、ゴシップ紙の読みすぎだから……」

「でも新妻の待遇は最悪よ? 日当たりの悪い部屋に、結婚式を終えたばかりで家族は晩餐すら与えず、夫からは同衾できないと冷たく告げられるのだから」

「うへえ、凄い家。相変わらずあのおっさんの嗅覚はすげえな。クズばっかり見つけてくる」


 リッテは父のことをおっさんと呼ぶ。

 父は別に呼び方は気にしていないので、実家では慣れた光景ではある。


「父のその嗅覚のおかげでうちは潤っているわけだし。お金に困った相手を見つける直感はお父様の右に出る者はいないと自負できるわ。それに、私の望み通りなのよ」


 ほくそ笑む主人に、侍女に扮したリッテは深々とため息で返すのだった。

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