第2話 不幸な花嫁

 夕食時に父とそんな会話をした一ケ月後に、シィリンは花嫁衣裳に身を包み、王都の名のある教会で式を挙げた。

 

 結婚式の当日の教会の控室。

 そこで初めて夫とその家族と対面したわけだが。

 

 サヴェス・ジッケルドクラ。短く名乗った男は、不本意さを隠そうともせず、不機嫌に顔を顰めていた。

 だというのに、物凄く整った容貌は疑いようがない。全くもって美形は特だ。

 

 実際に会うのは初めてだが、噂は聞いている。というかシィリンが愛読しているゴシップ紙に度々話題にあがるのがサヴェスなのだ。ゴシップ紙は大衆娯楽ではあるが、貴族の裏側が面白おかしく載っている。他人の不幸は蜜の味だなんて誰かが言っていたが、ドロドロの愛憎劇や破滅の人生など不幸な話が盛りだくさんである。

 そんなゴシップ紙の常連がサヴェスなのだ。おかげで、ありとあらゆる噂を知っている。

 恋人には事欠かず、夜会では甘いひと時を過ごすけれど、一夜限り。相手に情はなく、冷徹で氷のような男。

 仕事の早い父は、あっという間に相手を見つけて娘を押し付けたらしい。

 なぜそんなに娘を嫁がせたいのかは謎だが、人選は間違いない。

 

 相手の家から強い要望があったところで、傲慢な父が聞くはずもない。

 父が心惹かれる莫大な利益を得るなど、何か裏があるのだろうと思うが、娘の要望はきっちりと聞いてくれていると信じている。仕事に関しては信頼のおける父である。

 

 そうして、シィリンは今、そのジッケルドクラ伯爵家にいる。

 教会での結婚式を終え、伯爵家の屋敷に到着したのが先ほどのこと。

 家から連れてきたメイド――リッテに手伝ってもらって与えられた部屋で純白の花嫁衣裳を脱いで一息ついたところだ。


 披露宴の会食はしていないのに、外はもう真っ暗になっている。教会の式場を慌てて押さえたので、変な時間に結婚式を行ったからだろう。いつから父が準備していたのかは知らないが、一ケ月で結婚式など普通はあり得ない。貴族の結婚であれば、尚更に時間がかかるものであると知っている。

 

 今から晩餐を行うかどうかを、リッテが聞きに行ってくれているので、与えられた部屋にはシィリン一人きりだ。

 

 そこへサヴェスが突然、尋ねてきた。

 彼は花婿衣装のままで、着替えてもいないようだ。


 もしや花嫁衣裳を脱いだのはまずかったのか、とシィリンは内心で慌てた。

 今後の予定など何一つ聞かされていない。

 もちろん明日からの予定もだ。新婚旅行などの予定も聞かされていなければ、夫が明日から結婚休暇をとるのかも知らない。

だが、彼はシィリンの混乱など一つも頓着しなかった。

 彼は整えていた髪を乱暴に手櫛で乱すと、上着を脱ぎ捨てた。


「今日からここが君の部屋らしい」


 ジッケルドクラ伯の屋敷は入口の門扉からとても豪華だった。精緻な蔦模様の門扉を抜ければ、煌々とランプに照らされた真っ白な壁が浮かびあがる。

 クリスタルをちりばめたシャンデリアの下がる玄関ホールを抜けて、繊細な細工の施された階段を昇れば、ずらりと並んだ部屋の扉一つ一つに宝石があしらわれているのがわかった。


 随所に配置された品々も高価で派手なものばかり。

 それに比べれば、確かに随分と殺風景な部屋に通された。

 カーテンこそ豪華ではあるが、家具は無骨で年代物だ。余計な飾りもついておらず、重厚感がある。寝台は簡素の一言に尽きた。


 やってきた夫が馬鹿にするのもわかる。

 この部屋を用意したのが、誰なのかは知らないけれど。悪意は十分に伝わった。夫婦共通の部屋というわけでもない。夫の部屋は離れたところにあるのだろう。

 そして他人事のように語る夫の真意はわからない。彼が用意したわけではないのだろうと推測できる程度。


 だが、実家では使用人たちが使うような窓のない部屋で暮らしていたシィリンである。この部屋は窓があるだけましだ。それに高価な調度品に囲まれていては、落ち着けない。ここに置いてあるものは繊細さの欠片もない、頑丈そうなもので扱いがとても気楽に思えた。


「ご配慮いただき、ありがとうございます」

「ふ、嫌味か」

「そのようなつもりはございません」


 酷薄に笑う彼は、シィリンの言葉を端から信じていないようだ。

 なんの感情も籠もらない瞳を向け、シャツのボタンを外す。

 ちらりと覗く首筋から鎖骨にかけてのラインが、随分と色っぽい。さすがはゴシップ紙を華々しく飾る夫である。感動して打ち震えていると、夫はシィリンの反応をどう捉えたのか、冷笑した。


「あいにくとこの家の者は、君に仕える気がないらしい。部屋の主が戻っても顔を見せに来ないからな」

「家から身の回りの世話をできる者を一人連れてきていますので、構いません」


 シィリンの要望は婚家から虐げられることである。そのため、このような対応は想定済だ。なんなら予習済みである。巷のゴシップ紙ではあるけれど。


「なるほど、強がっているとしても、それなりの覚悟はあるのか。普通は泣いて出ていくものだろうに。君の目当てが何かは知らないが――君は間違いなくこの国で一番不幸な花嫁だろう」


 彼はシィリンの耳に唇を寄せて、甘い言葉を囁くように残酷な言葉を告げる。そんな彼自身に酔っているかのような姿に、シィリンはただこくりと喉を鳴らす。

 二人きりの室内で、今日が初めて会った相手で、夫になったばかりの男である。

どのように振る舞うのが正解なのかシィリンにはわからないが、ただ立ったまま夫を見上げているのも違う気がする。


 けれど瞬きを繰り返して、彼の言葉を噛み締めた。

 不幸な花嫁……?


 まさに、その不幸な花嫁になりたくてやってきているので願ったり叶ったりの状況には神様に感謝すべきかもしれない。だが、赤裸々に胸の内を告げていいものか、判断がつかない。もし夫が嗜虐性を持ち合わせて、この状況を楽しんでいるのなら、シィリンが喜んでいることは絶対に秘密にしなければ。

 夫の喜びに水を差すようなことはすべきでないだろう?


 冷え切った室内は緊張感に満ちているが、立ち尽くすしかないシィリンになすすべはない。あまりの事態に茫然としていると、サヴェスは乱暴にシィリンを寝台へと押し倒した。

 そのまま覆い被さってくる。


「――っ」


 背中に感じる極上とは言わないが柔らかな質感。ぎしりと軋む音がやけに生々しく聞こえる。のしかかってくる夫の熱と大きな体躯を改めて実感する。結婚したのだから、相手との情事は理解しているけれど、シィリンの心臓はどくりと跳ねた。


 それが、今なの?


 突然の展開に、シィリンの頭の中に『恋の狩人』とゴシップ紙の見出しが躍る。

 思わず瞳を揺らせば、彼は強張った顔のまま彼女の顔を覗き込んだ。


「私は君と同衾するつもりはない。寝室も分けるつもりだ。もし我が家の跡取りを生むために悲愴な覚悟をしているのなら、無駄だと伝えておこうと思って」

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