第1話 理想の結婚相手

 ――彼女の願いはささやかなものだ。

 

 実の血のつながった父からは顧みられず、継母とその連れ子である妹に虐められ、毎日召使のようにこき使われる。

 食事は硬いパンに、水のように薄いスープがあれば、良い方だ。

 大抵は、冷めた薄いスープの上に、パンくずが落ちているだけ。それを夜に啜って。空腹を抱えながら、硬い寝台に横たわる。

 一日屋敷の掃除や食材の下処理、洗濯など下働きの仕事をしているので、酷使した体は疲弊していてすぐに眠りに落ちる。

 

 夢の中だけが、彼女が幸福でいられる場所だ。

 綺麗なドレスを着て、亡くなった筈の母が笑顔で抱きしめてくれて、それを父が幸福そうに瞳を細めて眺めている。テーブルの上には並びきれないほどの料理が並び、彼女はそれを噛み締めて、家族みんなで微笑み合う。そして、起きて夢だったのかと絶望する。

 咎人であれば、それが最も相応しい罰である。


 ――などという、理想の贖い生活をしたいと願っているだけだ。


「それはささやかなのか? いや、そもそも願いの範疇に該当するものなのか……」


 うっとりと願いを語っていた少女――シィリンは、栗色の瞳をぱちりと瞬いた。実の娘に向かって、父であるデーダリは億劫そうに問いかけたのだから、不思議になった。


 デーダリは娘と同じ栗色の瞳、ダークブロンドの髪色の美丈夫である。

 その美貌と才覚で悪徳高利貸しをしており、ダッタンベロ王国一の金持ちだ。庶民ではあるが『黄金の帝王』とまで言われているほどの人物である。そんな彼が娘に向ける眼差しはどこまでも呆れを含んでいた。


 対して、美貌の父を持つ娘は栗色の瞳に、こげ茶の髪色の平凡な容姿の少女だ。

 けれど、栗色の瞳は煌めいて愛嬌がある。本人はそんなものかと受け入れるだけだ。

 そんなささやかな願いを答えたシィリンの前には、簡素な夕食が並ぶ。父とその妻、連れ子の妹の前には豪華な夕食が並んでいるので格差は歴然としているが、突っ込む者はいない。


 ちなみにシィリンの格好はこの家の召使いが着るようなお仕着せであり、それに関しても誰も何も言わない。シィリンなりの贖罪だと家族には伝えているものの、真意が正確に理解されているかは定かではない。


 かつてシィリンを冷遇していた継母とその連れ子である継妹はある日からすっかり態度を改めてしまって、今の彼女の生活は願ったものとはかけ離れているのだから。


 夕食の内容も格好もその時の名残なのだけれど、誰も気にしなくなって久しい。仕方なく、かつての栄光を取り戻すべくせっせとアピールをしているのだけれど、どうやら継母たちにとっては無言の脅迫のように感じるようで、空気のようにスルーされているのが現状である。

 罪人がそんなにビッグな態度になれるわけないでしょう?

 粛々と罪を贖っているというのに、罰する側が裏を読むってどういうことだ。

 シィリンにとっても現状はかなり理不尽なものである。何一つとしてこちらの希望が叶っていない。


 残念ながら高慢な父は年頃の娘の複雑な気持ちに忖度しない。そのうえ、そんな屋敷のおかしな家族関係を、心が凍ったと称される悪徳高利貸しの父が気にするわけもなく、彼は泰然として自分の話を進めるだけだった。


「お前も十六になっただろう。だから、私はお前に結婚相手について尋ねたつもりだった」

「結婚相手ですか?」


 どんな生活がしたいか願いはあるかと聞かれたから、夢見ている理想の生活を語ったというのに。

 だが父に尋ねられた途端に、シィリンは目をカッと見開いた。


 十六歳の夢見る乙女である。

 もちろん、理想はあるのだ。


「それを早く言ってください。この願いには続きがあるのです。そんな可哀そうな私が実父によって権威ある貴族家に嫁がされるのです。そこでは悪名高い冷徹な夫がいて愛人のところに入り浸って顧みられず、姑を始めとした家族にはいびられ、そして召使いのようにこき使われる――」

「もはや、お前が何を言っているのかわからないんだが……」


 父は珍獣を見るような理解しがたい目を向けてきた。悪徳高利貸しで、血も涙も緑色と噂される父の度肝を抜いたことを誇るべきかもしれない。

 だが、血のつながった娘に向ける顔ではないし、そもそも最初に話を振ってきたのは父である。


「まあ、お父様が理想の政略結婚の相手を聞いてきたくせに」


 可愛らしく口を尖らせれば、デーダリはため息を一つ吐いた。


「お前、この家の娘なのだから借金までして遊興している貴族たちの末路なんて散々見てきただろう。そんな婚家は掃いて捨てるほどあるが、どの家でもいいのか」


 どうやら前向きに検討した結果、候補が多すぎて困ったらしい。

 なるほど、さすがは冷血漢である父だ。

 シィリンは態度を改めた。


「あら、夫が悪名高い冷徹な美形じゃなければ嫌ですわ。あと愛人がいることは絶対条件ですけれど」

「ああ、それならいくつか絞れるか」


 父はようやく納得して、食事を再開した。

 それで、話はおしまいということだ。

 シィリンも気を取り直して簡素な夕食をしっかりと味わった。


 そんな会話をした一ケ月後に、シィリンは花嫁衣裳に身を包み、王都の名のある教会で式を挙げた。

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