White rose

 日鞠の結婚式から、約一年後。

 日鞠とは、夏と冬に地元に帰ったとき、少しだけ会った。うちにも来なよと言ってくれたけど、お邪魔しちゃ悪いしとか、ぐちゃぐちゃと言い訳して行かなかった。

 ――結婚式でスピーチをしたときは、すべて吹っ切れたような気持ちでいた。これからも変わらず、あたしは日鞠の親友でいられるんだって、思ってた。だけど、楓奈と話す日鞠はどこか別人のように感じて、今までと同じようには話せなくなって、少なくともこんな心境で会うべきじゃないって思って――気づけばまた、自然と距離が遠のいていた。

 要するに、あたしはあの日からずっと変なのだ。

 仕事中に、今、日鞠は何してるかななんてふと考えたり。街を歩いていれば、日鞠に似合いそうな服だな、好きそうなお菓子だなって思ったり。何度も携帯を見て、メッセージが来ていないか確認したり。でも自分から送る勇気は出なかったり。

 これはもしかしてと思った。そのたびに、いやいやそんなわけないじゃんって心の中で否定した。あたしと日鞠はずっと親友で、日鞠は結婚していて、あたしは結婚おめでとうと言った。だから、これはただ親友が結婚してなんとなく寂しいだけ。ただそれだけのありふれた感情。


 そうやって、自分とも日鞠とも向き合わず、逃げるように一年を過ごしてきた。

 ――結局、あたしは同じことを繰り返していただけなんだ。自分からは何もしようとせず、ただ日々を漫然と過ごして。昨日と今日と地続きの明日が、何も変わらぬ未来が来ると信じて。

 そして、取り返しのつかないことが起きてしまって。

 手が届かないほど遠くに行ってしまって。

 あたしはまた、後悔することになる。


 ――四月某日。

 日鞠は、帰らぬ人となった。


 楓奈からのメッセージで知った。

 交通事故だったらしい。


  

 眠れない。苦しかった。息を吸うと喉が締まって、次第に呼吸が浅くなっていく。涙と鼻水と血の味が喉の奥で混じり合って、空っぽの胃から胃液が逆流してきた。気持ち悪い。ぼろぼろと涙がこぼれる。ティッシュが無くなっても買いに行く気力なんてなかった。

 鳥の鳴き声がする。わずかに開いたカーテンの隙間から光が差し込んできた。暴力的な眩しさから思わず目を背けてから、いつのまにか朝が来ていることに気づいた。

 

 日鞠がいなくなった。

 それでも、不思議なことに、世界は変わらず回っている。

 夜は明けるし、朝は来るし、お腹は空くし、眠くなるし、あと数日も経てば会社に行かなきゃいけなくなる。

 あたしは、どうしようもなく生きていた。

 なのに――この世界に日鞠だけがいない。

 日鞠に朝が来ることはない。食べることも寝ることも話すことも笑うことも泣くことも怒ることもできない。まだ、二十八年しか生きていなかったのに。一緒に生きる人がいて、毎日が楽しそうで、いつも笑顔でいて、これからもっと、もっと、幸せになっていくはずだったのに。

 日鞠を轢いた運転手だって生きてるのに。詳しい事情は知らないから責めることはできないと理性が冷静に告げて、それに相反するように怒りが煮えたぎる。

 なんでだよって思った。

 死ねよって思った。

 ――だけど、それ以上に悔しかった。

 あたしが日鞠の隣にいれば。それは無理でも楓奈と一緒なら。

 そんなことを考えても何の意味もない。時間は巻き戻らないし一度起こってしまったことは取り返しがつかない。

 ――もう、この世界に生きる理由なんて。

 ……急に死にたくなった。

 こんな苦しみがこの先ずっと続くなら――今死んでしまったほうがましだ、なんて思った。

 でもさ……もし、楓奈から事故のことを知らされなかったとしても。

 ――あたしは、気づかずにそのまま生きてたよね?

 最近連絡ないなって思うだけで、毎日働いて、疲れたとか、ご飯が美味しいとか、そよ風が気持ちいいなとか思って――日鞠がいない世界を何も変わらずに過ごす自分を想像したら、吐き気がこみ上げて、体ががたがたと震えだした。

 あたしには、日鞠を生きる理由にする資格さえなかったのだ。

 だってあたしは――もう、日鞠の親友じゃなかったから。

 日鞠はもう、あたしの傍にはいなかったから。


 葬儀は家族だけで行うようだった。

 あたしは当然のことながら行けなかった。

 ああ……そっか。

 ――所詮、あたしも他人なんだ。

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