Orange rose

「ただいまご紹介にあずかりました、日鞠さんの友人の松葉まつば紫苑と申します。日鞠さん、楓奈さん、並びに両家の皆様、本日は誠におめでとうございます。僭越ではございますが、私からお祝いの言葉を述べさせていただこうと思います」

 日鞠さん、だなんて変な感じがしたが、滑り出しは上々だった。日鞠はにやついた顔で、がんばれーと口をぱくぱくさせていた。緊張がかすかに和らぐ。

「日鞠さんと初めて出会ったのは、高校一年生のときでした。四月のある日に、日鞠さんの提案で――私たちは一緒に、雨の中を走って帰りました」

 ――『ねぇ、駅まで走って行かない?』

 今でも鮮明に覚えている。にやりと笑った日鞠の顔も、春風の抵抗も、雨の匂いも、シャツと髪が肌に張り付く感触も。楽しいと全身で叫んでいる日鞠の背中を見て、あたしは――ああ、この子とは仲良くなれそうだって、不意に思ったのだ。

「電車で知らない街まで行ってみたり、早朝に海に行ったり、公園でブランコを漕いだり――日鞠さんの突拍子もない行動力と積極性、そして太陽のような明るい性格のおかげで、私の高校生活はかけがえのないものとなりました。大学生になっても、社会人になっても、日鞠さんは私の、唯一無二の親友です」

 ……あは、本当に、どれも馬鹿みたいな思い出。

 小学生がそのまま大きくなったみたいな遊び方。それでも、あたしにはそんな時間が必要だったのだ。

 ――日鞠と出会ってから、あたしの近くまで世界が降りてきたような感じがした。こんなに夏は暑くて、冬は寒くて、ご飯が美味しくて、風が心地よくて――毎日がそれぞれ違って見えて、世界はこんなにも色づいていて、人生ってこんなに楽しかったんだと気づいた。

 入道雲の白さも、アイスの冷たさも、教室の椅子の硬さも――昨日のことのように思い出せるのに――唐突に、それらがもう過去の思い出になってしまったことを自覚した。

 もう、同じ教室で授業を受けることはない。

 学校に咲く桜を見ることも、帰り道にコンビニで安いアイスを買うことも、道に落ちた銀杏を避けて歩くことも、雪が降ったときに滑って転んで笑うことも……もう一生、無いのかもしれない。

 あたしたちは、大人になった。

 日鞠は未来に進もうとしている。

「日鞠。結婚の報告を受けたとき、嬉しいのと同時に……少し寂しかった」

 声が震えた。言って良いのかを逡巡した。それでも日鞠の目を見続ける。

「あたしは日鞠の幸せを、ずっと願ってるから……って言おうかと思ったけど、もう十分幸せそうで安心した」

 日鞠はいつだって幸せそうで、人生を楽しくしようというエネルギーに満ちていて、いつだって無邪気な子どものようで――その光に、何度だって照らされた。

 ――大丈夫。ちゃんと言える。

 言わなきゃいけないんだ。

 あたしは日鞠の、だから。

「結婚おめでとう。これからも、あなたの親友でいさせてください」

 これ以上は望まないから――ただそれだけは、確かな未来であってほしかった。

 日鞠は照れたように一瞬目をそらして――こちらをまっすぐ見つめて、もちろんと言うように笑顔で頷いた。

「楓奈さん。日鞠は照れてあんまり言わないかもしれないけど、楓奈さんが本当に大好きなんだということが伝わってきました。とてもお似合いで、素敵なふたりだと思います。これから先――日鞠のことを、よろしくお願いします」

 楓奈と目を合わせる。相変わらずの無表情だったが、瞳がわずかに揺れたように見えて――凛とした顔で、ひとつ頷いた。

「おふたりの末永い幸せを心から願って、私のスピーチとさせていただきます」

 大きな拍手が広がる。――うまく言えた。あたし、ちゃんと言えたよ。結婚おめでとうって。日鞠のことをよろしくって。ふたりの幸せを心から願うって。

 ――いつかその言葉が、本物になるといいな。

 袖の端を未練がましく引く気持ちを手放して、背中をそっと押して――遠い空に羽ばたく二羽の鳥を地上から見上げるような――そんな気分だった。

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