32.虹

―碧生―

出発時間ぎりぎりに間に合い、迎えの車に乗り込んだ。いつもの席に座って人心地つく。

隣に座った奏多が、俺の服装を見てにやにや笑った。

「見たことない服着てる」

「うっせ」

「よく間に合ったよなあ」

乾いた喉をミネラルウォーターで潤す。額に薄っすら浮いた汗を指先で拭った。

「全力ダッシュしたからね……」

先生はマンションの前まで送ると言ってくれたけれど、先生の車から降りるところをメンバー達に見られるのは嫌過ぎた。

だから少し手前の道で降ろしてもらったのだが、マンションが見えた時には既にマネージャーの迎えの車が来てしまっていた。

猛ダッシュで車に駆け込み、間に合ったのはいいけれど、結局、朝帰りがばれてしまった。

「先生とは、ちゃんと話せたの」

「……ん、まあ」

「付き合うん?」

楽しそうに声を潜めて聞いてくるので、否定も肯定もせず窓の方を向いて無視する。

「あ。そういや結局、先生ってどこの大学に行く事になったって?」

ふと思いついた様に聞いてくる奏多に、苦い表情を向ける。

「え、何やその顔。まさか、めっちゃ遠くに」

「……ない」

「は?何?」

「都内!!」

「ええっ?」


―昨日の、夜中。

「シャワーしてくる?」

「……朝でいい」

汗ばんだ肌が少し気持ち悪かったけれど、気だるさと眠気が勝って布団から出たくなかった。

「そう?」

起きるのをやめて再び布団の中へ潜り、髪乾かせばよかったな、と呟きながら前髪をつまんでいる先生を見た。

「……あのさ」

「ん?」

「結局、どこに引っ越すの」

雰囲気に流されて忘れかけていたが、肝心な事を聞いていなかった。

「……ええと」

「え、何?」

言い淀むものだから、悪い方にばかり考えてしまう。

「そんなに遠いの?」

「いや、そうではなく」

先生がようやく口にした地名を聞いて、一気に目が覚めた。

「都内じゃん!しかも、うちの事務所に近くない?!」

「いや、その」

「何それ、もっと早く言ってよ!」

「聞かれなかったから」

「はあ?何それ」

一気に体から力が抜けた。

「じゃあもしかして、大学も……」

「都内だよ。そもそも遠くに行くなんて、言った覚えは無いんだけれど」

言われて見れば確かに、そんな話は一度も聞いていなかった。

「じゃあ何で引っ越すの?車あるんだから、どこだって行けるのに」

「それは、ここのマンションがちょうど、契約更新のタイミングだったから。何となく引っ越したいなと思っただけ」

「まじかよ……」

すべて、俺の早とちりだったらしい。

「……良かった」

ちょっと不貞腐れながらそう言ったら、苦笑しながら頭を撫でられた。


「あはは、それは良かったな」

爆笑しながら奏多が肩を叩いてくる。

「ほんと人騒がせだよ……」

「まあまあ。そのお陰で、気持ち伝える勇気出たんやろ。結果オーライって事で」

「……そうだね」

着慣れない、柔らかい生地のシャツの裾を引っ張る。

あ、と奏多が窓の外を指差す。

「虹じゃない?」

「ほんとだ」

昨夜から降り続いた雨が止んで明るく晴れ渡った空に、うっすらと虹が掛かっている。

窓を開けてみると、少し湿った風が吹いてきて前髪が揺れた。

今日は、良い天気になりそうだった。


***


強がりで隠してきた臆病な自分を


解いてくれたのはあなたの笑顔


僕の名前を呼ぶその声が


ノイズだらけの心へ響く


忘れていた純粋な気持ち


知らなかった愛おしさ


言葉にするのは難しくて


音に乗せて伝えるから


今すぐ会いたい


聞いて欲しい


innocent noise


―fin―

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Innocent Noise 叶けい @kei97

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