25.衝動
―碧生―
出番を終えて舞台袖に戻ってくると、マネージャーの雅人さんが俺に向かって手招きしていたので急いで駆け寄った。
機材の陰に寄ると雅人さんは小声で、朝陽から連絡があった、と言った。
「英先生だけどな。目、覚ましたって……」
聞くや否や走り出そうとした俺の腕を雅人さんが慌てて掴んでくる。
「おい、落ち着けって」
「どこの病院?」
雅人さんのジャケットに皺が寄るのも構わず詰め寄る。
「帝華大付属病院だってよ」
「分かった、行ってくる」
「はあ?あのな、ここから結構遠いぞ」
「じゃあ連れてって。お願い」
「お前な……」
深いため息とともに、分かったよ、と根負けした返事が返って来た。
ロビーで待っているという雅人さんを残し、ほとんど明かりの消えた病院の廊下を進んで行く。
教えてもらった部屋番号の病室に辿り着く。さっき入院になったばかりだからかネームプレートの様なものは何も付いていなかったけれど、躊躇いもなく勢いよく引き戸を開けてしまった。
こちらに背を向けてベッド脇の丸椅子に腰かけていた朝陽くんが振り向く。俺だと気づくと、驚いて立ち上がった。
「え?碧生?」
「先生は?!」
声が上擦る。
ベッドに横たわっていた人影が、ゆっくりと体を起こした。
「……はは、衣裳のままだ」
苦笑する先生のこめかみには、真新しいガーゼが貼られていた。点滴に繋がれてはいるものの、顔色は悪くなさそうに見える。
「何、大丈夫なの……?」
「だから連絡したじゃん。雅人から聞いてないの?」
呆れた様子で朝陽くんが答える。
「ていうかそもそも、どうやってここまで来たの?スタジオから結構距離あるのに」
「雅人さんに、送ってもらって……」
「あ、まじ?」
名前を出すと、朝陽くんは何か思いついた様子で腰を上げた。
「ひょっとして、あいつどこかで待ってる?」
「え?たぶん、ロビーにいるんじゃないかと」
「りょーかい、じゃあ俺もロビー行ってこよっと」
すれ違いざま、朝陽くんに軽く肩を叩かれた。振り向いたら小さく微笑み、ひらりと手を振って病室から出て行った。
引き戸が閉まる音が小さく響く。
「……座ったら?」
先生が、さっきまで朝陽くんが腰かけていた丸椅子を指さした。
結び目の緩んだ衣装の腰帯が引っかからないように気を付けながら、腰を下ろす。
「怪我、本当に大したことないの?」
「うん、少し頭打っただけ。検査結果も異常なかったみたいなんだけど、少し眩暈がしていて」
話しながら、左腕に繋がれた点滴のチューブを軽く揺らしてみせてくる。
「でも大丈夫。明日には帰れるから」
「そっか……何だ、よかった」
無意識に強張っていた両肩から力が抜ける。
先生は、傍らのテレビの方へ視線を移した。
「さっきまで見てたよ。新曲、かっこいいね」
「……朝陽くんの振り付けだもん。あの人、すごいんだから」
嫌味でも何でもなく、これは本心から思っている事なのに。
どうしても彼の名前を口にすると、拗ねたみたいな言い方になってしまう。
「練習、大変だったでしょ?」
「そりゃそうだよ」
「ちょっと振り間違えてた?朝陽が言ってたけど」
「……っ、あのさあ」
頭を掻きむしる。
「生放送だったんだから。ほんと、びっくりさせないでほしいんだけど!」
怒っているわけじゃないのに、つい口調がきつくなってしまう。
ごめんね、と先生が眉尻を下げる。
「僕が事故に遭った事、知らないと思ってた」
「え?」
「朝陽も、テレビ見てる間は何も言わなかったし。それに、トークとかも普通にしてたから」
「ああ……」
雛壇に座って司会者とトークした内容を思い出そうとする。台本通りに話したつもりだったけれど、どういう内容だったかよく覚えていない。
とにかくずっと、先生の事が、心配で。
「……当たり前じゃん。俺、プロなんだよ。プロのアイドルなんだよ」
椅子の下に垂れた、青い腰帯を意味も無く手繰り寄せる。
「自分のプライベートな事情を、仕事に影響させるわけにはいかないんだから……」
以前、大知くんが個人的な悩みで練習中に暗い表情をしていた時、随分と偉そうに説教してしまった事を思い出す。
―俺たちアイドルは、ファンの事を一番に考えるべきで。
ファンの喜ぶ顔を見るために、日々一生懸命に練習を重ねているわけで。
誰か一人の事を考えて、気を散らすのは間違っていると―。
「……でも」
呟く声が、掠れる。
「何でもないふりするの、めっちゃきつかった」
「……驚かせてごめんね。本当に、もう大丈夫だから」
知らず俯いていた俺の顔に向かって、先生の手が伸びてくる。
「だから、そんな……泣きそうな顔、しないで」
先生の左手が、俺の右頬を包み込むようにそっと触れた。
少しひんやりとした手のひらが、興奮で火照っていたらしい俺の頬を優しくなでる。
その先生の手に、触れてみた。
―途端に、ずっと俺の中で張り詰めていた緊張の糸が、切れた。
ぐにゃりと視界が歪む。一気に目頭が熱くなったと思ったら、もうだめだった。
「……っ、ふ」
白いシーツの上に大粒の染みが滲む。一滴だけでは留まらなくて、次から次へと落ちてきてシーツの上を濡らしてしまう。
……怖かった。
当たり前にそばに居た人が、突然いなくなってしまう恐怖。
まだ心の傷が癒えていない内から、また大切な人を喪うんじゃないかと思ったら、本当に怖くて。
「……牧野さん」
困ったような声で、先生が俺を呼ぶ。
頬に触れたままだった指先が動いて、目じりから溢れて止まらない涙をぬぐってくれた。
「……っ」
どうしようもなく逸る鼓動の正体が、緊張が解かれた安堵から来るものじゃないことに、もう気づいていた。
立ち上り、ベッドの上に片膝をつく。驚いた先生が身じろいだせいか、点滴台が引っ張られて乾いた金属音がした。
どうしてそんな事をしようと思ったのか、分からない。気づけば先生の唇に、自分の唇を強く押し当てていた。
柔らかく温かな感触を感じる。ものすごく一方的な行為だったけれど、先生は特に抵抗しようとしなかった。
次第に息が苦しくなってくる。離れようとしたら、今度は反対に、先生の両腕に捕まえられた。
きつく抱きすくめられ、あおい、と耳元で名前を呼ばれる。
「……っ」
隙間なく重なった体から、どちらのものか分からない鼓動が響いてくる。
ぼうっとした頭で何も考えられずに身を任せていたら、突然病室の扉が開く音がした。
「碧生ー。そろそろ帰ろうって、雅人が」
入って来た朝陽くんが、途中で言葉を切る。
「……ええと」
振り返った俺と目が合うと、朝陽くんは非常に気まずそうな表情をした。
「ごめん。邪魔した……?」
「っ、」
飛び起きるようにベッドから体を起こす。
「ちょ、碧生?」
焦ったせいで傍らに置いてあった丸椅子に足を引っ掛けた。構わず、病室から飛び出す。
人気のない廊下を突っ切り、エレベーターのボタンを押した。幸い、すぐに扉が開いたので乗り込んで階数表示のボタンを押し、膝を抱えてしゃがみ込んた。
今にも口から飛び出してきそうなくらいに、心臓が激しく鼓動を打ち鳴らす。
―……何を。
一体、今何をしたの、俺。
動き出したエレベーターの中、震える指で唇をつまむ。
まだ触れ合ったままでいるみたいに、そこだけやたらと熱く脈打っていた。
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