24.青天の霹靂
―碧生―
「碧生!」
慌ただしい足音が追いかけて来たのに気づくのと、呼び止められたのがほぼ同時だった。
そのまま無視して逃げるわけにもいかず、仕方なく振り返る。
「何ですか、朝陽くん」
少しも呼吸を乱さず俺を追いかけて来た朝陽くんが、あのさ、と表情を険しくする。
「何か誤解してる?」
「……何のことですか」
誤魔化そうとした声が揺れる。
「俺は別に、何も……」
「この間、亮の家で会ったじゃん。あの時」
「もういいから」
朝陽くんが話す声を遮る。
「朝陽くんと先生がどういう関係でも、俺には関係ないし!」
半ば自分に言い聞かせるようにして、強い口調で言い放つ。
朝陽くんは納得のいかない顔をした。
「そんな風には、見えないけど?」
「……っ」
「ねえ、碧生」
言う事を聞かない子供を諭すような声で名前を呼ばれる。
「俺、付き合ってる人いるよ?」
「……え」
体が固まる。
「そう、なの?」
聞くと、朝陽くんは小さく頷いた。
「碧生のよく知ってる人だけど、亮じゃないよ」
そっと、肩に手を置かれた。
「だから安心して?」
優しく言われ、その台詞の意味を嚙み砕くまで少し時間を要した。
一気に頬に血が昇る。
「安心してって何……っ、俺は別に」
その時、どこからか電子音が聞こえてきた。
聞き慣れたそのメロディーはスマホの着信を知らせるデフォルト音だった。反射的に、衣裳のポケットを押さえる。しかしそこに、スマホは入っていなかった。
「ごめん、俺だ」
朝陽くんがデニムのポケットを探る。表示された番号を見て首を傾げ、ちょっとごめん、と俺に言ってから電話に出た。
「もしもし?……はい、アサヒは僕ですが……え?」
声を潜めるようにして話していた朝陽くんの顔色が、どんどんと青褪めていくのが分かった。
「分かりました、すぐに向かいます」
通話を終え、終了ボタンをタップする朝陽くんの指が、小刻みに震えていた。
「どうしたんですか」
さすがに気になって聞くと、朝陽くんの唇から思いもかけない名前が出てきた。
「亮が……事故に遭って、病院に運ばれたらしい」
「……え?」
「頭打って、意識が無いって……」
朝陽くんも実感が無いのか、どこかふわふわとした口調だった。遅れて俺の脳内にも、今耳にした内容がゆっくりと浸透してくる。
先生が、事故に遭った。
頭を打って、意識が無い……?
「何で……朝陽くんに、連絡……」
思考が混乱する中、やっとの思いで出てきた台詞がこの期に及んで二人の関係を勘ぐる内容で自分が嫌になる。
「財布に俺の名刺があったみたいで、それで掛けてきたみたい。亮、身寄りがいないから……」
途中で、余計な事を喋ったと思ったのか声が尻すぼみになった。
「とにかく、俺行ってくるわ」
今にも駆けだして行きそうな朝陽くんの腕を、思わず掴んだ。
「俺も行きますっ」
「ばか、今から収録だろ」
ぴしゃりとそう言われ、はっとなる。
「……っ、でも……!」
急に早鐘を打ち出した鼓動が痛い。
頭を打って、意識が無いなんて聞かされて、平静でいられるわけがないじゃないか。
『―……当たり前に思っていた事が崩れて無くなる瞬間というのは、いつも突然来ますよね』
いつか、雨の降る夜に先生が話していた言葉が、今更胸に突き刺さる。
『現実は非情で、こちらの心の準備なんて待ってくれない……』
朝陽くんは、自分の服の袖を掴んだまま震えていた俺の手を、そっと掴んで離した。
「ごめん、余計な事を聞かせるんじゃなかった」
震えの収まらない俺の両手を、包むようにしてしっかり握ってくれる。
「ちゃんと連絡する。だからしっかりやるんだよ」
「はい……」
やっとの思いで返事をした俺の目をみて頷くと、朝陽くんは急いでスタジオの外へと向かって走って行った。
「碧生!どこ行っとったん」
楽屋へ戻ると、準備を終えた奏多が驚いた様子で近づいてきた。
俺と目が合うと、ぎょっとしたように目を見開く。
「どうした、めっちゃ顔色悪いで」
「……何でもない」
震える呼吸を調える。
「大丈夫」
「ほんまか?」
「大丈夫だから」
奏多に、というより自分に言い聞かせるように声に出した。
大丈夫。絶対に、大丈夫。
イヤモニを耳に押し込み、ヘッドセットマイクを装着する。
とにかく今は、プロのアイドルとして目の前の仕事に集中するしかない。
先生の無事を、祈りながら。
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