23.ドライトマト
―碧生―
ライブハウスで公演をしたら客席との距離感はこれくらいなんだろうかと思いながら、空の座席をステージから眺める。
「ステージ、思ってたよりちょっと狭いね」
舞台袖からリハーサルの様子を見ていた朝陽くんが首を傾げる。
数か月前から放送が始まったばかりの、新しい音楽番組だった。ステージセットはライブ形式で、本番では抽選で当たったファンクラブ会員が観覧に入って来る。今日は来週配信予定のデジタルシングル曲のパフォーマンス初公開ということで、振り付けを担当した朝陽くんが最終チェックの為に収録現場へ一緒に来ていた。
一曲踊って乱れた前髪をいじっていると、朝陽くんに呼ばれた。
「碧生、あのさ」
「はい?」
普通に返事をしたつもりだったけれど、自分でも分かるくらい刺々しい響きになってしまった。
「……何ですか」
気まずさから視線を逸らす。朝陽くんは特に気にした様子もなく、ステージの広さに合わせて少し動線を調整するように言ってきた。指摘された箇所は確かに、練習の感覚で動くと奏多にぶつかりそうになる。
「分かりました」
「それと」
まだ何かあるのかと思って顔を上げたら、真剣な表情の朝陽くんと目が合った。
「ちゃんと、集中して」
「……はい」
厳しい目つきに気圧される。
笑っていると柔らかい印象なのに、一旦スイッチが切り替わると、途端に別人のような厳しい顔つきになる。
余計な事を考えて気を散らしていた事を見抜かれた気がして、自分の未熟さに恥ずかしくなった。
楽屋へ戻り、衣裳に着替えて順番にメイクを施してもらう。
染めたばかりの髪をセットしてもらいながら、鏡に映る自分と目が合ってため息が出た。
―あの日以来、先生に会っていない。
個人的に連絡先を交換している訳じゃないから、電話もメールもしていない。
レッスンが無ければ先生は事務所に顔を出さない。だからと言って、普段先生が働いている大学に俺が行く理由も無い。
家は知っているけど、わざわざ訪ねて行く理由なんか、もちろん無い。
いや……そもそも、何で会う理由なんか考えてるんだ。
俺、先生に会いたいのかな。……どうして?
あんな風に家から飛び出して、気まずいままじゃ気持ちが悪いから?
それとも。
「前髪どうします?」
「え?あ」
聞かれ、物思いから我に返る。
「えっと、下そうかな……」
「分かりました。それにしても、綺麗な色に染められましたねー」
スタイリング剤を手に取りながら、メイクさんが髪色を褒めてくれる。
「ちょっと、イメージ変えてみようかなって……今まで、暗い色ばっかりだったから」
「良く似合ってますよ。ワインレッドですか?」
「ドライトマトだよねー!」
「は?」
鏡越しに、先にメイクを済ませて近づいてきた千隼の顔を見る。手には、まるで萎びた唐辛子のような物体が入った袋が握られていた。
「何だよ、それ」
「えーだから、ドライトマト。あおくんの髪色そっくりだなって!」
ほら、と千隼が袋から一つ摘まみだして俺の顔の横に並べる。確かに、乾燥して少し黒くなったトマトと俺の髪色はよく似ていた。
「つーか、どうしたんだよそれ」
「これえ?今ハマってるんだー」
言いながら、手に持っていたドライトマトを口に入れる。
「美味しいよ。あおくんも食べる?」
袋からもう一つ摘まみだし、千隼が差し出してくる。
種がびっしり並んだ断面を見ていたら、あの日先生が作っていたミネストローネの事を思い出してしまった。
ドア越しに聞こえた会話が、脳内で反芻されてしまう。
『―いいなあ、俺の好きなやつじゃん』
『一緒に食べようと思って沢山作ったんだよ―……』
「いらない」
思いのほか、硬い声が出てしまった。
「何?あおくん、なんか怒ってる?」
「別に……何にも」
喋れば喋るほど、声が頑なさを増していく。
ちょうど髪のセットも終わったので、千隼から逃げるように席を立った。腰に巻き付けられた衣装の青い布が、太腿に鬱陶しく絡まる。
「あ、いたいた。千隼ー」
不意に、今あまり聞きたくない声が聞こえて足が止まった。
控室のドアから顔を覗かせた朝陽くんが、千隼の姿を認めて中に入って来る。
「これ、忘れてっただろ」
「あー、ごめーん!朝陽くん」
どういううっかりなのか、スマホをどこかに忘れていたらしい。
受け取った千隼の手元を見た朝陽くんが相好を崩した。
「あ、早速食べてるじゃん」
「これでしょ!めっちゃ美味しい」
さっきまで俺に見せていたドライトマトの入った袋を朝陽くんの目の前にぶら下げてみせる。
「美味しいでしょ?誰も共感してくれないからさあ。千隼がハマってくれて嬉しい」
「何でだろね!食べたらおいしいのに。あおくんも、さっき見せたらいらないって」
千隼が名前を出したせいで、朝陽くんの視線が俺の方を向いた。
朝陽くんと目が合う。
その表情が、あの日鉢合わせた瞬間の光景に重なった。
「俺、トマト嫌いだから!」
しん、と、楽屋の中が静まり返った。
そんなつもりは無かったのに、随分と言い方に力がこもってしまったらしい。
「……あおくん?」
いつも明るい千隼も、さすがに俺の顔色を窺うように気づかわしげな声を出した。
「どしたの?」
「何なん、碧生」
そばでやり取りを見ていた奏多も、困惑気味に口をはさんでくる。
「ピザに載ってるトマトとか、いつも食べてるやん」
「……っ、俺、トイレ行ってくる」
苦し紛れに言い置いて、楽屋から逃げ出した。
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