ACT05.リアル・ラブソング

17.作詞

―碧生―

「あれ、今日語学の授業日だったっけ?」

教材とルーズリーフが入ったトートバッグを整理していると、気づいた瞬が声をかけてきた。

今日は午前中にメンバー全員でボイストレーニングを受け、午後は各々個人スケジュールが入っている。

「俺、今から撮影あるんだけど」

ファッション誌の専属モデルもしている瞬は、今日みたいに別スケジュールが入る事が多い。

「あー……その」

気まずさに視線が泳ぐ。

「今日は、俺だけ」

「え、碧生くんだけ?一人で授業受けに行くの?」

「ま、まあ」

怪訝な表情をする瞬から目を背ける。

「ほんまに補習受けに行くんやな」

荷物をまとめ終わった奏多が話に入ってくる。

「補習って、この間出れなかった時の?真面目だね」

「やろ。最初あんなに嫌がってたのにな」

「いいじゃん別に」

荷物を持って立ち上がる。

「俺、もう行くから」

「頑張ってー。ペラペラになって俺らに教えてな」

「はは。気づいたら碧生が中国語担当になっとったりしてな」

冗談混じりの奏多のセリフに、少し考える。

「……まあ、それも良いかもね」

「おお、まじで?」

瞬は笑ったけど、奏多は意外そうに目を見開いた。

「あお、何かあった?」

「へ?何で」

「いや……」

戸惑った様子で首を傾げられる。

「なんか表情、柔らかくなったなと思って。どした?」

言われ、思わず自分の頬を触った。

知らないうちに緩んでいた事に気づき、あっという間に熱っぽくなる。

「え……あお?」

「いや、俺もう本当に行くから!」

おかしな雰囲気になりかけたのを振り払うように、急いでレッスン室から出た。

廊下を早足で歩きながら、頬をつまむ。まだ熱い。

二人がからかうから動揺しただけだ。そう言い聞かせながら、駆け足で階段を昇っていく。


いつもの会議室に来てみると、先生はまだいなかった。早かったかな、と思いつつ壁の時計を見る。約束した時間まで、まだ少しあった。

他に誰も来る予定は無いけれど、一応いつも通りの定位置に座る。中国語の教材とノートを置き、少し考えてから、小さいサイズのリングノートを出して広げた。

汚い字で書き殴っては消した跡の残るノートは、奏多に言われて買った物だった。

歌詞のアイデアは思いついた時にすぐ書いた方がいい―路上でオリジナル曲のパフォーマンスをしていた経験のある奏多から、そうアドバイスを受けて真似をしてみたものの、語彙力が無さ過ぎて上手い表現が全然思い浮かばない。

歌詞をつける曲の譜面が印刷された紙を広げ、メロディを口ずさんでみる。

テンポはゆっくりだけれど、歯切れのいいリズムが特徴的な曲だった。

この曲には一体、どんな歌詞が合うんだろう。

ラブソングと言われているけれど、どんな恋愛をイメージしたらいいのか。

そもそも、どんな、と言われて、あれこれ思い浮かぶほどの恋愛経験なんて無いのだけれど―。

口ずさみながら書き、書いては消してを繰り返す。

開けっ放しにしていた扉付近に、人の気配を感じて顔を上げた。

「お疲れ様です、牧野さん」

「あ……お疲れ様です」

先生はいつもの堅いスーツ姿ではなく、Vネックのカットソーにカーディガンを羽織っていた。

「珍しい。私服?」

「今日は、大学の講義が無いので」

先生は荷物を教卓に置くと、俺の手元を覗き込んできた。

「何を書いていたの」

「え、いや」

思わずノートを隠す。でも、譜面が見えたままだった。

「さっき歌ってましたね」

「え、聞こえてた?」

「扉が開いたままだったので」

「うわ、そっか」

恥ずかしさでまた頬が熱くなってくる。

「実はその……作詞してて」

「へえ」

また俺の手元を覗き込もうとしてくるので、慌てて表紙を閉じた。

「見せてくれないんですか」

「上手く書けなくて困ってるんだってば」

そのまま、急いでノートと譜面を片付ける。

「いいんですか、それやらなくて」

「いい、後でやる」

本当はかなり切羽詰まってきているのだが、必死になったところでどうにかなるものでもない。

「せっかく来てもらったんだから、今日は先生の授業に集中する」

中国語の教材を広げてページを探していると、牧野さん、と何故か気まずそうに名前を呼ばれたので顔を上げた。

「何?」

「あの、これは他の皆さんにも話さないといけない事なのだけれど」

切れ長の一重が、申し訳なさそうに伏せられる。

「実は、ここでレッスンをするのは、来月までになるかもしれない」

「……へ」

せっかく広げた教材が、ぱたん、と音を立てて閉じる。

「そうなの?」

「はい。今は非常勤講師なので、掛け持ちで働けていたんですが。知り合いの教授の伝手で、常勤で働ける大学が見つかったんです」

「そう、なんだ」

どう言って良いか分からず、頭を掻く。

「じゃあもう、語学の授業は無くなるのかな」

「代わりの先生を探すと聞いているけれど……新曲の準備で忙しいんでしょう?作詞もしているみたいだし。今は、そちらに集中して」

「書けない」

「え?」

思わず口をついて出てしまった言葉に、先生が困惑した表情を浮かべる。

「書けない、って」

「ラブソングの歌詞なんか、書けない」

言ってはいけないと、心のどこかで抑えていたはずの弱音が、ぼろぼろと零れてきてしまう。

「書けるわけないじゃん。まともに恋愛した事もないのにさ……」

「恋人がいた経験が、無いんですか?」

「あるよ。あるけど」

「だったら、その時を思い出して書いたりとか」

「いや、だって。友だちと遊ぶ延長みたいなもんだったから……」

高校生の時の付き合いなんて、その程度のことだ。

卒業してすぐオーディションに受かって上京したから、それから恋人が出来た事はない。

「……この間、雑誌のインタビューに答えてたでしょう」

「え?」

急に何の話かと首を傾げる。

「一問一答形式で。確か、理想のデートについて聞かれていたと思うんだけど」

「ああ……」

奏多と二人でインタビュアーの質問に答えたことを思い出す。

「牧野さんは、そこでは何と?」

「ええ?」

急に聞かれてもすぐに思い出せない。でもきっと、何も思いつかなかっただろうと予想できる。

「いや、デートとか聞かれても思いつかないから、たぶん適当に……」

「どんなデートがしたい、とかないんですか」

いくら考えても、結局同じ事しか思いつかない。

「だから……ご飯食べて、映画観るとか」

「他には?」

「え」

真面目な表情で見つめられる。

「他にしたい事、ないの」

「したい事……?」

ふと、思いついた。

同じ質問を受けて、確か奏多は。

「海……見て」

何かのロケで、海辺に観覧車が建っているところへ行った事を不意に思い出す。

「……観覧車、乗るとか」

「分かった」

「え?何が」

先生はおもむろに、机の上に広げていた俺の教材を片付け始めた。

「ちょ、何」

「行こう」

教材とノートの角をきちんと揃えてから俺に差し出し、先生は真剣な表情で言った。

「僕が彼女役になる」

「はっ?」

「理想のデート、今からやりに行こう」

「いや何言ってるの。何で先生が」

「頭で考えていても、何も思い浮かばないんでしょう」

先生は教卓に置いていた自分の荷物を持つと、呆然と座ったままの俺の腕を掴んで引っ張った。されるがまま立ち上がる。

「お腹空いてる?」

「う、うん」

「じゃあ、まずはどこかご飯食べに行こう。その後は映画観て、最後に観覧車に乗りに行こう」

「い、今から?!」

「行くよ」

「ちょ、先生っ!」

強引に先生に腕を引かれるがまま、俺は会議室をあとにした。

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