11.個性

―碧生―

車の窓越しに見上げた空は、梅雨時にも関わらず青く澄んでいた。今日は、雨は降らなさそうだ。

「この道を真っ直ぐで良い?」

「あ、うん。コンビニが見えたら、一本奥へ入って……」

「そこまで来たら教えてください。通り過ぎるといけないから」

信号が赤になり、ゆっくりと車が止まる。

「……先生は、今日休みなの」

静か過ぎる空間が息苦しくて話しかけてみると、淡々とした答えが返って来た。

「今日は日曜日だからね」

「……そっか」

「……」

以上、会話終了。

あまりに気まずくてスマホを取り出してみたが、信号が変わって走り出すと思いのほか画面が揺れた。

「やめたほうがいいですよ。二日酔いなのに、また気分が悪くなるといけないから」

「二日酔いって誰が」

「とにかく、ここで吐かれたら困ります」

「吐かないってば」

反論したけれど、確かに気分が悪くなりそうだったのでスマホは伏せて膝に置いた。仕方なく窓の外を眺める。

都会の空は狭いとよく言うけれど、大通りを走っているせいか本当にビルばかりが目につく。

実家に居た頃は、東京という場所に対して強い憧れを抱いていた。ここに来れば欲しいものが何でも手に入って、叶わない夢なんて無いと思っていた。

だけど、本当にそうだろうか―。

かち、と音がした。どうやら先生がオーディオのスイッチを入れたらしい。何かのラジオ番組の音声が聞こえてくる。音楽系の番組なのか、今週のヒットチャートを紹介していた。

しばらく聞いていると、耳慣れたイントロが流れてきた。メロディは知っているのに、タイトルを思い出せない。

何だっただろう。確か、サビの出だしがそのまま曲のタイトルだったような。

気づくと、無意識のうちに口ずさんでいた。

ああそうだ。確かタイトルは。

不意に、ラジオの音が小さくなった。

どうやら先生がボリュームを下げたらしいと気づき、耳が熱くなる。

「あ、ごめんなさい。つい……」

謝ると、そうじゃない、と否定された。

「ちゃんと歌ってみて」

「へ?」

「もう一回……ほら、またサビがくるから」

言われ、微かに聞こえているBGMに耳をすます。

迷ったけれど、タイミングを図って声を重ねた。

狭い車内に、遠慮がちな俺の声が響く。

すぐ真横で先生が黙って聞いている事を意識するといつもみたいに歌えず、段々と声が尻すぼみになっていく。そんな俺の様子を察したかのように、ラジオから流れる原曲もフェードアウトしていった。

司会者の男性の声に切り替わる。

「……上手だね」

「は?」

思わず睨むような目つきで先生の方を見てしまった。あんな適当な歌い方を褒められても、嬉しくない。

「どこが」

「どこと言われても」

先生は少し首を傾げた。

「音程ちゃんと合っているし。良い声をしているし。上手じゃないですか」

「それじゃ、カラオケが上手いだけの人みたいじゃん」

「そんな事ないですよ。前に歌っているのを聞いた時も、つい立ち止まってしまって」

「え、いつの話?」

「……とにかく、上手でしたよ」

ちらりと、先生が横目で俺の方を見てくる。

「褒めているんだから、もう少し素直に受け取ってくれませんか」

「……ありがとうございます」

照れ臭くてそっぽを向いた。熱を持ち始めた耳たぶを、つねって誤魔化す。

窓の外の景色は、だいぶ見慣れた風景に変わってきている。

「牧野さんは、歌が好きなんですね」

何度目かの赤信号でブレーキを踏みながら、先生が言う。

「好きっていうか」

言葉を探して、視線が宙をさまよう。

「俺が得意なこと、これくらいしかないから」

「そう?」

信号が変わり、再び車が走りだす。

「ダンスも上手じゃないですか」

「それは、めっちゃ練習したんだよ。でもどうしたって、経験者たちには敵わないし」

「練習の成果が出ているなら良いじゃないですか」

「……それだけじゃ、だめじゃん」

「どうして」

「だって……たとえば千隼みたいに、自分の個性を出せてないと思うし」

千隼は”お手本通り”に振り付けを踊るだけではなく、いつも自分なりにアレンジして独特の魅せ方を考えている。

「新井さんは、ダンスがメインなんでしょう?その代わり、歌うパートは多くないわけで」

「そうだけど……ダンスも歌もメインじゃなくたって、瞬みたいに整った顔なら人の目に留まるし」

「顔の好みなんて、人それぞれでは」

「でも……悠貴みたいに、愛嬌振りまくのも苦手だし」

「あれは生まれ持った天性のものでしょう」

「……大知くんみたいに、背も高くないし」

「アイドルは背が高くないといけないんですか?」

「……」

黙り込んだ俺を見て、先生は呆れた様に小さく息をついた。

「まだあるの?」

「……もういいよ」

不貞腐れた俺を慰めるつもりじゃないだろうけれど先生は、牧野さんは歌が上手ですよ、と再び口にした。

「それがグループ内での、牧野さんの個性では?」

「……そんな事ない」

声が掠れる。

「俺は奏多みたいに、特徴のある声じゃないし……」

「ハスキーってこと?それが良いんですか?」

「……いや、そうじゃなくても奏多はダンスも出来るし、顔も良いし。人見知りしないからすぐ友だち作るし。リーダーやってるのに年下からはいじられがちで、愛嬌もあって」

「随分、内海さんのことを褒めるんですね」

「まあ……同い年だけど尊敬してるから。特に、歌は」

敵わない、と言いかけた言葉を飲み込んだ。

「内海さんの方が上手いと思っているんですか?」

先生の声に少し、呆れたような響きが混じる。

「内海さんも確かに上手だとは思う。知識をたくさん持っているのも分かります。でも僕は、牧野さんの歌の方が好きですよ」

「へ、?」

「歌い方に気持ちがこもってる。それに、ずっと聴いていたくなる声をしてる」

「……え、ええと」

目が泳ぐ。ふと見ると、すぐそこに目印のコンビニが見えてきていた。

「あ!先生それ、そこ曲がって」

「ああ、はい」

一瞬ひやりとしたけれど、なんとか間に合った。見慣れた寮のマンションの前で車が止まる。

「……ありがとうございました」

シートベルトを外す手が少し震える。動揺を誤魔化せない。

人をこんなに混乱させた張本人はどこ吹く風で、どういたしまして、と淡々と答えるだけだった。

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