6.鬼講師

―碧生―

事務所のある階には、ミーティングをする時などに使われる小さめの会議室がある。

いつもはお互いの顔を見て話せるように配置されている長机が、今日は正面のホワイトボードに向かって横向きに四列並べられていた。

「まるで大学の講義室やな」

現役大学生の瞬が嬉しそうに会議室内を見渡す。

「俺は大学通った事ないから知らないけど、教室ってこんな感じなの?」

隣に座っている悠貴に向かって問いかけると、盛大なため息が返って来た。

「はーあ、何でここ来てまで勉強せなあかんの。俺、一年生ん時に中国語の単位取ったで?」

「じゃあ完璧やんな?俺らに教えてや、ハル」

前の席から奏多が茶化す。

「言ってるやん、俺ほんまに中国語の発音苦手やねん。講義受けた時もな、俺ばっか何回もやり直しさせられたんやで。ほんまにトラウマやわ」

「あはは!どういう先生が来るんだろうね。楽しみい」

ノートと筆記用具を出しながら千隼がはしゃいだ声を出す。

「朝陽くんが探してきた人なんでしょ?友達なのかな」

大知くんが首を傾げる。

もしかして、と俺の脳裏にスーツ姿の男性の面影がよぎる。

あの時、彼が朝陽くんに手渡していた茶封筒の中身は。

「はあ。もう、誰でもええわ」

悠貴が不貞腐れる。

「どうせ出来ひんし、せめて優しい先生であってほしい。あの鬼講師やったら、俺ここから逃げ出すで」

「鬼講師って何い?」

千隼が無邪気に聞いたその時、会議室の扉をノックする音が響いた。

「どうぞー」

奏多が代表して返事をする。

ゆっくりとドアノブが動き、入って来たのは黒いジャケット姿の男性だった。

涼し気な一重の目元で俺達を見渡すと、男性は持っていたプリント用紙を教卓の上に置き、ホワイトボード用のマーカーで自分の名前を書き始めた。

漢字たった二文字のフルネームを達筆に書き終え、こちらへ振り返る。

「初めまして。今日から皆さんに中国語を教えることになりました、英亮はなぶさあきらです」

「よろしくお願いします」

奏多が挨拶するのに続けて、他のメンバーも口々に挨拶をした。

「……逃げ出すんじゃなかったの」

隣で目を見開いたまま固まっている悠貴の腕を、そっとつついた。


***

それから週に一回か二回くらいのペースで、俺たちは英先生の授業を受けるようになった。

授業があるのは大抵、練習終わりの夜遅い時間だったから集中力を保つのは本当に大変だった。

その上、悠貴が言っていた通り、英先生は発音に厳しく、妥協を許さない人だった。


「あーもう、腹立つわ!」

とある番組収録帰りの車中で、テキストを握りつぶすようにしながら悠貴が吠える。

「何で俺ばっかり発音やり直しさせられんねん。あの鬼講師、俺のこと嫌いなんか?!」

「お前ばっかじゃないだろ。俺だって」

悠貴と同じように、テキストを広げながらため息をつく。

今日はこのまま事務所に戻り、中国語の授業がある。今日は発音のテストをすると言っていた。

あの人、と言いながら顔を思い浮かべる。

「俺が何回言い直しても、ちょっと首傾げてさ。はあ、って小さくため息つくんだよな。何か言いたいなら言えばいいのに」

分かる、と悠貴が前の座席からこちらへ身を乗り出してくる。

「言ってもしょうがないなって空気出してくるよな」

「そう、まじでそれ」

「二人とも、文句ばっか言ってないで練習した方がええんちゃう」

奏多が呆れた様な視線を送ってくるので、むっとしてみせた。

「なんだよ、自分はちょっと誉められたからって」

「あーはいはい、絡むなよ。ほら、降りるで」

事務所の駐車場に着き、車から降りる。

「このまま会議室に直行なん?」

嫌そうな顔をする悠貴に、奏多が首を振る。

「まだ時間あるで。ちょっと早く着いたな」

「俺、練習室行くわ」

手に持っていたテキストをリュックに片づける。

「他にもやる事あるんで」

「ん、分かった。じゃあ後でな」

軽く手を振る奏多と別れ、一人練習室へ向かった。

中国語の発音に手こずらされている場合ではない。まだ、作詞が全然進んでいないのだ。

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