5.語学力

―碧生―

「ごめん、遅くなりました」

「あっ、碧生!」

練習室に入るなり、悠貴が慌てて俺の元へ飛んで来た。

「なあ、何であの鬼講師と一緒に来たん?!」

「はあ?鬼講師?」

首を傾げる。

「もしかして朝陽くんのこと?」

「ちゃうわ。いや、朝陽くんもたまに怖いけど」

じゃなくて、と悠貴が窓を指差す。

「碧生遅いなあって思って、外見とってん。したら見たことある人が一緒に来たから何で?!って、びっくりして」

「ああ……」

亮、と呼ばれていた彼の顔を思い浮かべる。

「道聞かれただけだよ。朝陽くんの友達らしいけど、知ってるの?」

すると、悠貴は大きく頷いた。

「うちの大学の、中国語の先生」

「中国語ぉ?」

なら中国の人なのか。言われてみれば、そんな顔立ちをしていたような気もする。朝陽くんは、あきら、と日本人の名前で呼んでいたけれど。

「ほんまに発音に厳しいねんで。俺だけ何回もやり直しさせられて、トラウマになったわ」

「何で悠貴が中国語を?」

確か、福祉系の学部だったはず。一体どこで使うのか。

「必修で第二外国語選択せなあかんくてさ。漢字やで分かりやすいかと思ったら、大間違いやった。ネイティブ過ぎて全然聞き取れへんねん」

「へえ……あの人、中国人なの?」

「分からんけどたぶん。名前忘れた」

「あきら、じゃないの?」

「え?下の名前は知らん。確か、英語の英の字を書くはずやけど……」

すると、俺たちの会話を聞いていたらしい大知くんが話に入ってきた。

「はなぶさ、じゃない?」

「あ!そうや、それ」

悠貴が手を叩く。

「大知くん、知っとったん?」

「いや、同級生にそういう名前の人がいたからさ」

「へえ!珍し」

感心する悠貴の隣で、ふうん、と俺は独りごちた。

「鬼講師の、英亮先生……」

「おはようございまーす」

明るい声と共に練習室の扉が開き、朝陽くんが中に入ってきた。

「おはようございます」

「ごめんねー、遅くなって」

荷物を置き、キャップを深く被り直す。

その瞬間、朝陽くんの目つきが変わった。

「じゃ、始めようか」


***

「はーい、じゃあちょっと休もう」

朝陽くんの合図で、膝からくずおれるように床にへたり込む。

「きっつ……」

「おーい。体力無いなあ、碧生」

そう言って笑う朝陽くんの頬を、汗が一筋伝う。対する俺は、前髪が汗で額に張り付いてべたべただ。あれだけ踊ってそんな涼しい顔をしていられるなんて、体力が化け物じみている。

「はい、碧生くん」

瞬がスポーツドリンクのボトルを手渡してくれる。

「おー、さんきゅ」

受け取り、キャップを開けて滝のように喉へ流し込む。体の中で瞬時に溶け、吸収されていくような感覚を覚えた。要するに喉がからからだ。

「あ、そういえばさあ」

瞬を見て、朝陽くんは何か思い出したように口を開いた。

「瞬って英語得意なの?」

「英語っすか?」

長い前髪をかき上げながら、瞬が首を傾げる。

「そんな、得意ってわけじゃ。人並みですよ」

「でもこの間ロスで講演した時にさ、話してたよね」

「え!朝陽くん、観に来てたのー?」

最年少メンバーの千隼が話に入ってくる。朝陽くんは笑って首を横に振った。

「違うよ。友だちの家でテレビ越しに見てたの」

「そっかあ。てか確かに瞬くん、あん時英語ペラペラでかっこよかった!」

「あんなの、話せた内に入らないよ」

瞬が苦笑いで謙遜する。

「他のアーティストさん達なんて、もっと長いコメント話してたし……」

「いや、でも話せるだけすごいじゃん」

半分以上飲み干したスポーツドリンクのキャップを締める。

「普通、急に話振られたら焦るでしょ」

脳裏に、今朝の出来事が苦く蘇る。

まあいいじゃん、と千隼が明るい声を出した。

「瞬くんいれば、海外行ってもとりあえず大丈夫ってことで」

「おいおい、それじゃ海外で通用するアーティストになれないぞ」

朝陽くんが苦笑する。

「確か、上海でも合同ライブ出演の予定があったじゃん」

「中国語も、瞬くん出来るよ!」

適当な事を口走る千隼の頭を瞬が後ろから軽く小突く。

「出来んわ。通訳さん来てもらわないと」

「いやいや、話せるようになろ?」

「え」

朝陽くんは何を考えているのか、意味深な笑顔を見せた。

「目指すはグローバルアイドル、でしょ?」

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