3.アイスクリーム

―碧生―

どうにも凝りのほぐれない肩を回してみると、手に持ったコンビニのビニール袋ががさがさと音を立てた。伸びをしてみると、条件反射のように欠伸が漏れる。

アメリカで行われたグローバルコンサートに出演し、日本に戻ってきたのが今朝の九時過ぎ。寮に帰り着くなりベッドに倒れ込み、目覚めた時には外は真っ暗になっていた。

今日と明日はオフをもらっているが、その間に何とか時差ボケを治さないといけない。

メンバー最年長の大知くんに至っては、体調を崩してしまったのか顔色が悪かった。

アイドルの仕事は、覚悟していた以上に大変だった。

練習、レッスン、リハーサル、本番。動画配信サイトの収録、雑誌の撮影、ファンクラブサイトのブログ提出など。とにかく休む暇が無い。

たまの休日に外へ出れば人目も気になる。こうして夜のコンビニへアイスクリームを買いに行くくらいなら、気軽に出られるけれど。

空を見上げると、月が霞んで見えた。明日も雨だろうか。梅雨の季節は鬱陶しいけれど、明けても今度は猛暑の夏がやってくる。いっそ飛び越えて早く秋になればいい。


寮の外観が見えてきた。『star.b』メンバーは全員同じマンションの、それぞれ別の部屋に住んでいる。オートロックの玄関先で時々誰かとばったり会う事もあるけれど、そこに立っていたのはメンバーではなかった。

すらりと背の高い、細身の青年。右手には俺と同じようにビニール袋が下げられている。新しい住人かと思ったけれど、右耳に掛けられた補聴器で誰なのか思い当たった。確かメンバーの悠貴の、幼なじみだ。

近づいてきた俺の気配に気づいたのか、彼―眞白くん、が俺の方を向いた。たれ目がちな目元に驚きの色が浮かぶ。

「ええと、どうしたの?」

聞こえないかな、と思いながらも声に出してみる。

眞白くんは、ちょっと待って、と言う風に手で俺を制し、スマホを取り出すと文字を打ち始めた。

一瞬ためらうようなそぶりを見せ、そっと俺に向けてスマホの画面を見せてくる。

『大知くんの部屋番号、分かりますか?』

「大知くん?悠貴じゃなくて?」

思わず聞き返してから、そういえば、と思い当たる。以前、大知くんがラジオ収録の合間に手話の勉強をしていた事を思い出した。どういう経緯か知らないが、仲が良いんだろう。

「一緒に行く?」

鍵を取り出しながら、自動ドアの方を指さす。通じたのか、眞白くんは嬉しそうに頷いてくれた。

開いた自動ドアをくぐり、エレベーターのボタンを押す。待つ間、アイス溶けてないかな、とビニール袋の中を確かめた。

隣に立つ眞白くんを見る。彼が下げたビニール袋からは、スポーツドリンクのキャップが見えていた。

もしかして、大知くんが体調を崩した事を知って見舞いにでも来たんだろうか。そんなに仲が良いのか。

エレベーターの扉が開く。一緒に乗り込み、階数のボタンを押した。

扉が閉まり、エレベーターが上昇していく。

こっそり、眞白くんの事を盗み見る。

顔は小さく、鼻筋が通っていて色も白い。俺より頭一つ分くらい背が高くて、スタイルもいい。繁華街を歩いていたら、すぐにでもスカウトの声がかかりそうだ。

俺の視線に気づいたのか、眞白くんがこちらを向いた。小さく首を傾げられ、慌てて目を逸らす。

エレベーターの戸が開く。降りてすぐの所が俺の部屋で、その隣が大知くんの部屋だ。

「ここだよ」

一応伝えてから、インターホンを押す。しばらくして扉が開き、大知くんが顔を覗かせた。

「どうしたの、碧生」

「お客さん連れてきた」

「え」

大知くんが驚いた様に俺の背後を見る。

「あれ、眞白?」

「下で、たまたま会ってさ。大知くんの部屋番号がわかんないって、困ってて」

「そうなんだ。ごめんね」

何故か大知くんが俺に謝る。俺の背後でやり取りを見守っていた眞白くんが、大知くんに持っていたビニール袋を差し出した。

「あ、良いのに……わざわざありがと」

受け取ろうと差し出された大知くんの手が、眞白くんの白い手に自然に重ねられた。

「……あー」

気まずくなり、意味も無くこめかみをかく。

「じゃあ、俺帰るわ」

「あ、ごめん碧生。ありがとね」

「いいえ」

ひらりと手を振り、二人に背を向けた。

鍵を開け、自分の部屋のドアノブに手をかける。ふと、二人の方へ目線を戻した。

大知くんの手は、眞白くんの手をしっかりと握っていた。


***

部屋の明かりをつけ、キッチンにビニール袋を置く。中からアイスクリームを取り出すと、思った通り少し柔らかくなっていた。

包装紙を剥き、バニラバーを口に含む。表面は溶けかかっていたけれど、芯はまだしっかり凍っていて美味しい。

物音ひとつしない、しんとした室内で一人アイスを頬張りながら、さっき見た光景を反芻した。

ふうん、と誰もいない空間に自分の声が漏れる。

付き合ってる相手って、眞白くんだったのか。

恋人がいる、というだけで相手が誰なのか俺は知らなかったけれど、もしかして他のメンバー達は知っていたんだろうか。

少なくとも、眞白くんと幼なじみの悠貴は知っているに違いない。リーダーの奏多も恐らく聞いているだろう。

特に反対する声が上がらないはずだ。相手が男なら、黙っていれば仲のいい友人にしか思われないから、スキャンダルになる可能性はほとんどない。

だけど、とアメリカでのコンサート会場の光景を思い出す。

デビューから三年が経ち、ようやく目標にしてきたグローバル市場での活躍が目に見えてきている。

あそこにいた観客のほとんどが、自分たちを目当てに来たわけじゃないことは分かっていても、ステージに立った瞬間の高揚感は忘れられないものだった。いつか、こんな大きな会場をすべて自分たちのファンで埋め尽くすことが出来たら。強くそう思った。

だから正直、今恋愛している暇なんか無いだろう、と思ってしまう。

プライベートの時間は限られているし、練習時間が深夜まで続くこともあるからまめに連絡を取るのも難しいだろうし。

何より、アイドルという自分たちの立場を考えたら、ファンに嘘をつくような真似をするのはどうかとも思ってしまう。

絶対に恋愛をしないと心に決めているわけじゃないけれど、今はとにかく、少しでも多くの人に知ってもらって活躍の場を広げていきたい。

そう考えている自分と、大知くんとの間に温度差を感じてしまう。


考え事をしている間に、アイスクリームを食べ終えてしまった。ごみ箱へバーを捨て、リビングへと足を向ける。

テーブルの上に広げた譜面を手にし、ため息が出た。

確かに、作詞に挑戦してみたいとは言った。だけどまさか、ラブソングの歌詞を書くことになるなんて。

何度も書いては消した跡の残る譜面を辿るけれど、焦点が合わず、頭が回らない。

ラブソング。恋愛。片想い。……両想い?

『―大知くんにインタビューしてきらどうなん?』

……今頃、大知くんは部屋で眞白くんと何をしているんだろう。どんな話をしているんだろう?

必死で想像を膨らませてみたところで、経験の無いことを頭の中で思い描くのは無理があった。

もしかしたら、たとえアイドルをしていなくても、俺に恋愛は無理なのかもしれない。

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