18 気付いたこと

 パチリと目が覚め、瞼を開く。


 部屋に差し込む光はまだ薄ぼんやりとしているけど、真っ暗じゃない。もうすぐ太陽が地平線から顔を覗かせる、いつもの時間だ。


 静かに上半身を起こすと、両脇に眠る双子の様子を確認した。


 昨夜エンジと沢山お酒を飲んだウキョウは、普段より少し大きめな寝息を立てながらお腹を出して寝ている。


 音を立てないように立ち上がると、足元に丸まっている毛布を肩までかけてあげた。温かかったのか、丸まりながら口元が気持ちよさそうに緩む。あは、子供みたいだな。


 反対側のサキョウは、毛布に蚕のように包まって、これまた丸くなっていた。僕には背中を向けているので顔までは確認できないけど、丸まり方がウキョウとほぼ同じだ。双子って似るもんなんだなあ、と双子の神秘を勝手に感じ取ってしまった。


「――さてと」


 まずは顔を洗ってシャッキリしないとだ。足音を立てないようにしながら、風呂場にある洗面台に向かう。黒いタイルの洗面台に付いている蛇口を捻ると、冷たい水が流れ出した。手のひらに掬い取って、バシャバシャ顔を洗っていく。


 ゴウワン王国に来て驚いたことは沢山あるけど、そのうちのひとつが上水と下水の完備だ。パワーイズパワーのゴウワン王国の強みは、屈強な国民が圧倒的に多いこと。土木作業は国営事業として管理されていて、早くて頑丈が売りなんだとか。


 ヘルム王国は蛮族の国だって馬鹿にしていたから発注することはなかったみたいだけど、他国からの外注がいいお金になっているんだと、ここまでの道中に双子が教えてくれた。


 ちなみに、ヘルム王国は井戸水が主流だ。そのままだと飲めないことも多いので、ここで登場するのが魔力で動く浄化装置。どんな水質の水でも飲み水になる画期的なアイテムだけど、魔力が少なくて使えない人や、そもそも浄化装置を設置できない貧しい人は飲み水に苦労しているんだと、以前フィアが教えてくれた。


 当時の僕は、自分が暮らしている塔、お城、学園、それと滅多に行かない実家しか知らなかった。だから、水も満足に飲めない人がいるという事実に驚きを隠せなかった。


 気になった僕は、魔力充填に王太子妃教育に学業と忙しい合間に、ライフラインについて調べた。そうしたら、地域や貧富の差によってかなりの違いがあることが分かったんだ。


 だけど、面と向かって陛下にこの不平等を正せとは言えない。たとえ言ったところで、常日頃僕を下に見ていた陛下は取り合うことはなかったと思う。


 だから当時は唯一僕の味方になってくれていたアントン殿下に、これを国営事業として全ての民に安全な水を供給できる仕組みを作ってほしい、と提案した。


 殿下も、僕の話を聞いて興味を持ってくれたと思う。「ユリアーネは国民のことを大切に思える素晴らしい人なんだな。未来の国母として、私の生涯の伴侶としても誇りに思うよ」と笑いかけてくれたこともあったから。


 だけどパトリシアと過ごすようになってからの殿下は、僕の話をうるさそうにしか聞いてくれなくなった。最後の方になると、あの話はどこまで進んだのかを聞きたくても、「何の用だ」と冷たくあしらわれるだけだった。


「結局、事業って立ち上がったのかなあ……」


 殿下のことは、そりゃああも綺麗に手のひら返しされたら「ふざけるな」って思わない方が無理だと思う。実際僕は何も悪いことはしていないのに、あのまま突っ立っていたらきっと今頃僕の首と胴体は離れ離れになっていただろうし。


 だけど、心変わりは仕方のなかったことなんだと今は納得できているから、これに関してはもういい。


 それよりも悲しかったのは、殿下だって国民に対して同じ思いを抱えていた筈なのに、僕への興味を失うと同時にどうでもいいことに変わってしまったように見えたことだった。


「……あ、そっか」


 ようやく分かったかもしれない。


 あの頃の僕の味方は、フィア、お祖父様と殿下だけだった。だけどフィアは平民で、貴族に対する発言権はほぼないに等しい。お祖父様は年に数回しか会えなかったこともあって、お城で唯一の味方は殿下しかいなかった。


 周囲から冷たい態度を取られても、懸命に魔力を注いでも機密事項だったから誰にも話すことができなくて辛くても、殿下が僕の話を聞いて励ましてくれたから僕の心は保った。


 僕が縋れるのは、殿下だけだった。その殿下にあっさり梯子を外されたから、彼の行為を裏切りだと感じた。殿下しか寄りかかる相手がいなかった僕は、他に支えがなくなって――それで壊れたんだ。


 僕は殿下に裏切られたから傷付いただけだった。物語の強制力なんて関係なかった。


 こう考えると、本当に殿下に恋をしていたのかも怪しいな。


「もしかして、依存……だったのかもなあ……」


 ポツリと呟くと、誰もいない台所にやけに大きく響いて少しドキリとする。


 殿下にとって、僕の存在はさぞや重かっただろう。周囲と馴染もうとせず、にこりともせず無表情のまま淡々と教科書通りのことだけを語る、人間味のないくだらない人間だったと我ながら思う。


 たまに熱心に会話をしたと思ったら、国のことやマナーについてばかりで、殿下とは個人的な趣味趣向の話なんてもしかしたら一度もしなかったかもしれない。要は、堅苦しい人間だったってことだ。


 まあこれだって、王家がそうなるように僕を囲い込んだ結果なんだけど、殿下が嫌になっちゃって僕をなかったものにしたくなったのも今ならよく分かる。――だからって、国をよくしたいと二人で語った内容までなかったことにしないでほしかったけど。


「はあ……」


 気が付けば、視線が足元に向けられていた。ああ駄目だ。こんな暗い気持ちでいちゃ、ウキョウとサキョウが心配してしまう。


 気合いを入れる為にパン! と両頬を叩くと思った以上に痛くてちょっと涙が滲んだけど、これでいい。


「よし! まずはお祈りしよう!」


 手拭いで顔を拭いて、昨日と同じ場所を目指す。少しずつ顔を覗かせ始めた朝日に向かって、地面に膝を突いた。


 瞼を閉じると、眩い陽光が何も映さない僕の視界を温かく染めていく。


 今日のお祈りは、いつもと同じヘルム王国の国民の平和、それと――。


 どうか、殿下が少しの間でいいから僕への嫌悪感を抑えて、国民の為を思い実行に移してくれますように。


 それと、願うは大精霊のできるだけ早い目覚めだ。


『続・不運令嬢が王太子に見初められるなんて聞いてない~魔窟と大精霊の謎』では、大精霊はもう長いこと眠りについている設定だった。


 実は遥か昔、魔王は現在のヘルム王国王城がある場所に居を構えていたんだ。当時、世の中は魔物一強の世界で、人間は日々魔物の脅威に晒されていた。


 そんな時、ひとりの若者が勇者として立ち上がる。それがヘルム王国を建国した初代国王だった。彼は魔物と人間の争いを傍観していた争い事が嫌いな精霊族の王である大精霊を説得、仲間にすると、その他の仲間と共に戦いを繰り広げ、とうとう魔王を討った。


 だけど魔王の魔力は死してなお強力で、魔界と繋がる魔窟が残ってしまった。これが、続編で取って付けたように追加された魔窟の誕生秘話だ。作者さんも、もうちょっとソフトな設定を思いついてくれていたらよかったのに、と前世を思い出してから何度思ったことか。


 まあ言っても仕方ないことは置いておこう……。


 とにかく、人間には魔窟を封じ込む手はない。そんな時、勇者に並々ならぬ興味を持っていた大精霊が「自分と番うなら結界を施してもいいぞ」と勇者に持ちかけたんだ。


 大精霊に、雌雄はない。男にもなれるし、女にだってなれる。実は大精霊のことを憎からず思っていた勇者は、取引に大喜びで応じた。


 そしてヘルム王国は魔窟の上に建国され、以後発展の一途を辿る。初代国王夫妻は大変仲睦まじく、子宝にも恵まれて順風満帆だった。


 だけど時が過ぎ、人間である勇者が天寿を全うすると、大精霊は嘆き悲しみ眠りにつくことを選択する。その際に大精霊が王家に与えたのが、結界陣と『魔力の壺』だったんだ。


 最初の頃は、大精霊の力を受け継ぐ子供たちで魔力充填は事足りた。だけど次第に血は薄れ彼らでは封印できなくなっていったんだ。


 その後王家は、膨大な魔力を持つ人間を探してきては伴侶とすることで、国土を魔窟の脅威から守り続けてきた。


 だけどユリアーネがいなくなったことで、結界を保てるほどの魔力保持者がいなくなってしまった。そこでアントン殿下が国家建設時の話を思い出し、大精霊を呼び起こすことを思いつく。


 なんだけど、誰も大精霊が眠りについている場所を知らなかった。


 大精霊は、初代国王である勇者を心から愛していた。だから彼が眠る場所は、勇者の霊廟だ。でも、ただ霊廟を訪れただけでは大精霊は眠りから覚めない。


 大精霊の血を引く殿下が霊廟で「私はパトリシアを愛している。彼女にはいつも心からの笑顔でいてもらいたいんだ。愛する人がいるこの国を、私は愛しているんだ……! 頼む、力を貸してくれ――ッ!」とパトリシアへの愛を恥も外聞もなく大声で主張することで、願いが届き大精霊が目覚める――というストーリーになっている。


 ――だから。


「どうか、どうか殿下の人を愛する心が大精霊の心に届きますように……」


 心の底から、祈った。

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