19 抱擁
祈りを捧げた後は、少しスッキリした気持ちを取り戻せた。
「――よし、エンジを起こすぞ!」
来た時と同様窓枠から居間の中に戻ると、廊下を進んでいく。途中僕たちが宿泊する客室をそっと覗いてみたけど、双子はまだぐっすり寝ていた。そりゃまあそうか。まだ早朝だもんね。普通は起きていない時間だ。
廊下の突き当りにあるエンジの部屋の前で立ち止まる。耳を澄ませてみたけど、中から物音は聞こえてこない。
コンコン、と中指の第二関節の骨でノックして、再び待った。……やっぱり物音はしない。昨日はびっくりするくらいの量をウキョウと二人で飲んでたもんなあ……。エンジの肝臓がやっぱりちょっと心配だ。
臓器は違えど、僕は内臓疾患が原因で死んでしまった。一度内臓が悪くなると凄く大変なんだよ、とできることなら力説したいところだ。
「でもなあ……科学的根拠をこっちの世界の人に説明してもだし」
魔法が主なヘルム王国では、治癒も基本的に魔法だ。治癒が可能となる魔道具を使うので、騎士などの最前線で戦う人たちは各々治癒の魔道具を所持していて、多少の怪我であれば自分で魔力を注いで治してしまう。
さすがに欠損した部分を蘇らせることはできないけど、処置が早ければ一度離れた手足でもくっつけることも可能だ。その代わり、膨大な魔力が必要だけど。
なので、治療魔法師は魔力を溜めておく魔道具に魔力を注いで有事に備えているんだとか。これは元騎士団長のお祖父様が教えてくれたことだ。
対照的に、ゴウワン王国はというと、怪我をしたら基本は自力で治す。所謂自己治癒待ちってやつだ。うーん、漢だねえ。
なんだけど、自分だけじゃ治らない怪我だって中にはある。そうなると医師の出番になるんだけど、治療を行うにしても薬を飲むとか、切れても縫合程度までなんだそうだ。それとなく解剖学とかはないのか双子に尋ねてみたけど、首を傾げていた。
死ぬ時は足掻かずに死ぬ、そんな死生観なのかもしれない。
まあそんな訳で、生粋のゴウワン王国人であるエンジに内臓云々と説いたところで「なんだそりゃ」になるのは想像に難くないんだよね。
そんなことを考えながら待っていたけど、やっぱり反応はゼロ。……寝ている人の部屋に入ってもいいのかな。でも起こしてと頼まれた以上は、ちゃんと起こさないとだし。
よーし、とスーハースーハー呼吸を整えてから、今度は拳でドンドン! とかなり強めにノックしてみた。……うん、反応ないね!
「エンジ、僕です、アーネスです」
今度は声をかけてみたけどやっぱりなーんにも返ってこない。
仕方ない。ドアノブに手を伸ばすと、ゆっくり扉を押してみた。
「エンジ、朝ですよー」
頭だけ突っ込んで室内の様子を探る。ベッドの天蓋は下ろされていて、中が見えなくなっていた。あれじゃ分からないんだけど。
「エンジ、入りますよー」
段々遠慮がなくなってきた僕は、今度は普通の大きさで天蓋の向こう側に向かって声をかける。うん、安定の反応ゼロ!
昨日僕が磨いたピカピカな床の上をズカズカ進み、ベッドの前に到着する。もう一度声をかけた。
「エンジ、朝ですよ!」
はい、返事なーし!
別に覗くなと言われた訳じゃないし、もういいか、と閉じている天蓋の隙間に手を差し込む。両手で小さく開くと、こちら向きで寝転んでいるエンジのシルエットが見えた。
中から、ほんのりお香の匂いがする。ヘッドレストの部分を見ると、香炉らしき物が置かれていた。成程、時折エンジから香ってきた匂いの元はこれだったのか。
「エンジ、朝ですよ、起きて下さい」
「……んー」
お、初めての反応だ! ちょっと楽しくなってきたかもしれない。
天蓋をカーテンと同じようにまとめると、柱に付いていたタッセルで括った。
改めてベッドの上を見下ろす。エンジは布団を抱き枕にして抱えていた。足までしっかりしがみついているのを見て、思わずニヤついてしまう。この人、本当意外性の塊だよね。あは、可愛い。
「エンジ、起きて下さい」
「……」
エンジはうるさそうに眉根を寄せると、布団に抱きついたままゴロゴロと反対側の奥まで転がっていってしまった。
「あっ」
ベッドはかなり大きい。よく分からないけど、多分キングサイズってこれくらいなんじゃないかな。だってほぼ正方形だもんね。反対の端っこで背を向けているエンジに、大きめの声で言う。
「エンジってば、今日は朝からお仕事なんですよね? 起きましょうよ」
「……」
「エンジ?」
スウー、と気持ちよさそうな寝息が聞こえてきた。あれ、この人寝起き滅茶苦茶悪くない? ベニ、いつもどうやって起こしてるの? 昨日の内にエンジに聞いておけばよかったな……。
ふう、と息を吐くとベッドの反対側に回り込み、閉じたままだった天蓋を開ける。これで朝日を遮るものはなくなったぞ、フフフ。
目を閉じたまま眉間に皺を寄せているエンジの上腕に手を起き、前後に揺さぶってみた。
「エンジ! あ、さ、で、す、よー!」
顔を耳元に近付けてかなり遠慮のない声で言った。するとなんてことだろう。エンジがまた反対側に転がっていって、再びスウー、と寝息を立て始めたじゃないか。
「……あーもう! 全然起きないんだけどっ!」
こうなったら仕方ない。僕は靴を脱ぐと、「よいしょ」とベッドの上に上がり込んだ。膝立ちをしながら、僕に背を向けているエンジの肩を叩く。
「エンジ! 朝ですよ、あ、さ!」
「んー……」
すると次の瞬間。
視界が真っ暗になったと思ったら、いつの間にか背中からベッドに押し倒されていた。えっ!? と混乱した一瞬の隙に、丸太のような腕と足が絡みついてきて、抱き枕状態にされてしまう。
顔面を張りのあるふわふわな胸筋に押し当てられた。んぐっ!? 憧れの胸筋に触れられたのはラッキー以外の何ものでもないけど、い、息ができない……!
顔を左右に捩り、少しずつ顎を上げて一気に上げる!
「……ぷはあっ!」
ハアハアと大きく呼吸をしていると、息苦しさが収まってきた。き、筋肉布団で窒息死するところだった……!
だけど、状況は窒息死を免れただけで大して改善はしていない。
「エ、エンジ……っ、苦しい……っ」
エンジは馬鹿力で僕の全身に手足を絡ませてきていて、まるで関節技をかけられているみたいだ。折角の『力の腕輪』も、これじゃ全く意味を成さない。手も足も全く動かせない……!
――それに、エンジが隙間なくくっついているせいで、エンジの体温が……っ、わ、わああっ! 顔が僕の横顔に乗っているせいで、唇が耳に当たってるから! そこで息をしないでえええ!
突然の濃厚な密着具合に、僕の全身がカアアッと火照りまくっていった。何よりもこの筋肉! 筋肉ってこんなにフワフワなんだ……! とついうっとりしそうになるのもいけない。しっかりしろ、僕! 理性を保つんだ! 僕の任務は、エンジをちゃんと起こすことなんだから!
「エンジ、頼むからちょっと拘束を……っ!」
なのに、うねうねと懸命に身体を捻っても、エンジは全く起きる様子を見せない。ど、どうしよう!? 起こしてくれって頼まれていたのに、これじゃ期待を裏切ることになる!
くそう、ベニが毎朝どうやって起こしているのかを、やっぱりちゃんと聞いておけばよかった……。
悔しくて、思わず愚痴がポロッと漏れた。
「教えてベニ……!」
するとその時、これまで殆ど反応がなかったエンジがピクリと反応を示す。僕の耳たぶに唇を付けたまま、低い声で囁いた。
「ベニ……まだ起きるな……」
あれ? もしかしてエンジは僕をベニと勘違いしてる?
いかにも漢という外見と態度のエンジなのに、まさか魔獣だけどもふもふな動物を毎晩抱き締めて寝ている? と思った瞬間、ついニヤけてしまった。
「……フフ」
なんかエンジに出会ってから、エンジの意外な一面を知る度にニヤニヤしているような。もしかして僕ってちょっとヤバめ?
だけど突然、ハッと気付いたんだ。そう、考えてみたら、エンジに出会って早々、僕は彼を「推し」だと認定している。
「つまりこれは推しに対する『萌え』というやつでは……?」
気付いてみれば納得だった。次いでとんでもないことにも気付く。
僕は今、推しに抱き締められている真っ最中。一般的な推しとの距離間は普通を知らない僕にはさっぱりだけど、これが相当なファンサであることに間違いはない。
――だったら。
「……へへ、少しだけ失礼しまーす」
盛り上がったエンジの胸筋を、ぐ、と顎で押して、弾力を確かめてみる。……ブラボー! 僕の頭の中で、喜びを表すファンファーレが鳴り響いた。
ひとり興奮していると、ふとエンジの横顔が接触している僕のこめかみが濡れていることに気付く。ん? まさか涎……。
顔をよいしょよいしょと少しずつ動かして、顔を仰け反らせてすぐそこにあるエンジの顔を見てみると。
「……エンジ?」
固く閉じられたエンジの目からは、涙が流れていた。
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