17 新聞

 ウキョウが手に持っていたのは、王都で発行されている新聞だった。


「ここに載ってたんだけど……自分のせいだって思うなよ? いいか?」

「う、うん……」


 やけに慎重なウキョウが指し示す場所を読んでいく。見出しの文を読んだ瞬間、ヒュッと息を呑んだ。


『ヘルム王国からの避難民増加傾向』


「――え、これって……」


 記事の本文を読んでいくと、ヘルム王国からの避難民が国境近くの町に集まってきているという内容のものだった。だけど今は王者決定国家武闘会の予選期間中だ。殆どのヘルム王国人は関所を超えられず、隣国へと流れていく人が続出しているらしい。


 複数の避難民からの証言で、国土に魔物が湧き始めたのが国外に避難した原因とあった。場所は、王都付近の中央部が圧倒的に出現率が高いとのことだ。


「王都……」


 僕の脳裏に、生まれてからほぼずっと暮らしていた塔の景色が浮かんできた。塔の地下にある『魔力の壺』。壺に魔力を注ぎ込むと、地下に張られた魔法陣に魔力が宿り発動。その更に地下深くにあると言われる魔窟を結界で抑え込む仕組みだ。


 魔物が溢れてきた原因は、間違いなく僕が注いでいた魔力の効果が切れてしまって結界が弱まったせいだ。いや、もしかしたらもう効果は完全に切れてしまっている可能性も高い。


 ――フィアは無事でいるんだろうか。僕の失踪から二ヶ月も経っているから、早い段階でお祖父様のところに保護されて無事でいると信じるしかない。


 更に読み進める。王国軍は魔物討伐の為全国を駆け回っているが、如何せんこれまで魔物を相手にしたことのない者ばかりの集団だ。かなりの苦戦を強いられていて、負傷者も相次いでいるとか。


 圧倒的な戦力不足から、王家は国内のみならず他国のギルドにも協力を依頼したけど、冒険者の集まりは芳しくないらしい。


 周辺国はこのまま静観か、と意見が述べられていた。


「そんな……っ」


 記事の取り扱いはごく小さいものだった。ろくな国交もない他国で、しかも魔物が現れる場所が国の中心部ということであれば、隣接している国々も相手からの要望がない限りは手を差し伸べたりなどしないのも理解できる。


 言葉を失って記事を呆然と見つめている僕の背中を、ウキョウが優しく擦った。


「アーネス、勘違いすんなよ。これはお前のせいじゃない。それにほら、見てみろよここ」

「え……?」


 ウキョウに指を差されて、記事に最後の行が残っていることに初めて気付く。


「王太子殿下が早期解決に向けて大精霊の捜索を開始しているとの情報。世紀の発見になれば、魔物の発生は抑えられる見込み……」


 読んだ瞬間、気を抜いたら膝から崩れ落ちるんじゃないかと思った。それくらいホッとしたんだ。ストーリーがシナリオ通りに進んでいることに。


 僕がいなくても、話は先へと進んでいっている。僕が生き延びられる確率が上がっている証拠だった。


「大精霊が何なのか知らないけど、王太子がそれを見つけたら魔物が抑えられるんなら大丈夫だって!」

「う、うん……」


 それに、とウキョウが続けた。


「どこにも侯爵令嬢を探してるって書いてないだろ? きっと、その大精霊がすぐに見つかるアテがあるんだと思うぜ」

「そ……そうだよねっ!」


 正直言って、ウキョウが語るのは気休めの言葉だ。国王夫妻が人を使って今も僕を探している可能性は大いにある。


 だけど今、彼の優しさが含まれた言葉が僕を慰め、励ましてくれていることは間違いなかった。


 ウキョウが僕の頭をワシャワシャ掻き混ぜて、優しい眼差しで僕の顔を覗き込む。


「だからさ、絶対短気起こして戻ろうとかすんじゃねえぞ?」

「……うん、ありがとウキョウ」


 ウキョウの思いやりの深さに感動してしまった僕は、ちょっぴり涙を滲ませつつ、笑顔を返したのだった。


 

 僕が作った煮物やお浸しは、大絶賛された。


「野菜の料理って美味かったんだな……」なんてエンジが呆けたように言うものだから、つい笑ってしまった。


 新聞の記事のせいでどこか凹み気味だった気分が、みんなの笑顔を見ている内に向上してくる。


 空が暗くなったところで「そろそろ飲んでもいいか?」とわざわざ僕に確認しに来たエンジは、今は料理の残りをつまみに強そうなお酒を美味しそうに飲んでいた。機嫌を素直に表に出す人だからか何となく譲らないところは譲らない性格だと想像していたけど、思ったよりも素直なので若干面食らっていたりして。


 だってさ、もう見た目も態度もザ・漢! なエンジが、こんなヒョロガリの僕に駄目って言われただけで素直に従って、しかも確認までしてくるんだよ?


 これぞ正にギャップ萌えってやつだと思う。ちょっと――いや、大分可愛いんだけどこの人。


 僕の作った料理を口に含んでは満足気に目を細めるエンジを眺めていたら、幸せな気分に浸ることができた。それにしてもやっぱり所作のひとつひとつが堂々としていて格好いいなあ。


 気付かない内に、ニヤつきながらエンジをガン見していたらしい。僕の視線に気付いたエンジが、クハッと男臭い笑いを漏らす。


「なんだ? 俺に見惚れてんのか?」

「えっ、あ、はい!」

「ブッ」


 素直に答えただけなのに、三人が三人とも吹き出してしまった。あれ? なんで?


「だって、エンジは僕の憧れを体現している人ですから!」


 拳を握り締めながら力説していると、エンジが太い腕を僕に伸ばして僕の頬をムギュッとつねる。


「な、ないふるんれすかっ」

「見てるだけで面白い。お前を拾って大正解だよ」

「ふえっ!? 面白いって、僕は真面目にっ」

「あーはいはい、いつか筋肉隆々の漢になるんだよな」

「はいっ」


 エンジはボソッと口の中で「変な奴」と呟いた。聞こえたぞ。


 そういや、とエンジが尋ねる。


「アーネスは明日も早起きするのか?」

「え? あ、はい。多分勝手に日の出前に目が覚めるかと」


 するとエンジがパッと表情を輝かせた。


「頼もしいな! 普段はベニに起こしてもらうんだが、今ベニはいないだろう? 明日は朝から仕事があるから、必ず起こしてほしいんだ。悪いが頼めるか?」

「えっ? 普段はベニに起こしてもらってるんですか?」


 魔獣目覚まし、なんて単語がポンと思い浮かんだ。どうやって起こすんだろう。うわあ、僕もベニに起こされてみたい……!


「忠実な使い魔だろう?」


 しれっと答えるエンジの態度がおかしくて、我慢し切れず吹き出してしまった。こうなると、もう僕の負けだ。


「あ、でも、寝ているところに僕なんかがお邪魔して大丈夫なんですか?」


 使用人を全員追い出しちゃった人だもんな。警戒はしているよなあと思っていたら、あっさり返されてしまった。


「お前は無害だから問題ない」


 無害……。それって子ども扱いしているってことでは……。


「分かりましたよ。必ず起こしますね」

「よーし、これで明日は問題ないな!」


 エンジはふらりと立ち上がると、貯蔵庫の方に足を向ける。振り返ると、ウキョウに向かって口の端を上げてみせた。


「ミカゲのところの坊主、次の一本を開けるぞ」

「はい! どれにします!?」


 ウキョウは嬉しそうに小さく飛び跳ねると、貯蔵庫に向かうエンジの後をルンルンでついて行く。


 なんてこった。起こしてもらえると分かった瞬間、遠慮なく飲むスイッチが入ったぞ。


「まだ飲むのか……」

「好きねえ……」


 僕とサキョウはお互い呆けながら顔を見合わせると、やがてどちらからともなく笑い出したのだった。

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