16 片付け

 ベニの口にミカゲさん宛の手紙を咥えさせると、ベニは僕の身体に尻尾二本をスルリと絡ませた後、軽やかに開いた窓から外に飛び出していった。


 腰に手を当てているエンジが、窓の外に向けていた目線を僕に向ける。


「使い魔は他の使い魔の位置が分かる。あちこちを彷徨いているミカゲでも、側にミカゲの使い魔がいれば見つけるのは容易い。近い内にミカゲの手に渡る筈だ」

「ありがとうございますっ! 本当、なんてお礼を言ったらいいか……!」


 身体を半分に折ってペコンと頭を下げると、エンジがクスリと笑った。


「ミカゲからは、いずれ何かしらの連絡が届くだろう。ベニに会えば、一発で俺経由だと分かる。お前の居場所が王都にあることも、それで分かる筈だ」

「よかった……! これで心配させずにすみます!」


 僕の言葉に、エンジが男臭い笑みを浮かべる。


「勿論タダじゃねえぞ?」

「はい! まずはこの部屋の掃除から取り掛かりますね!」


 身体を起こして袖を捲り上げると、エンジはブハッと吹き出した後、「こりゃ頼もしいな、頼んだぞアーネス」と破顔したのだった。



 大量の酒瓶をウキョウとエンジと三人で外に運び出すと、瓶の回収を行う業者に連絡をつけにウキョウが出て行った。


 その間に、今度は脱ぎ捨てられた服を畳んでいき、埃が舞う室内を箒で掃いていく。


 床に零した酒が乾いて埃と一緒に固まっている箇所がいくつもあったので、雑巾を持ち出して『力の腕輪』にガンガン魔力を注いで拭きまくった。『力の腕輪』万歳! チート級の魔力のお陰で、かなり汚れていたエンジの部屋の床は見事な輝きを取り戻していた。ふう、満足。


 そういやサキョウはずっと何をしているんだろうと雑巾の洗いがけに様子を見に行くと、別室で積み重なった大量の服にアイロンをかけるという気の遠くなるような作業をしていた。目が死んでいた。ひとりに任せてごめん。


 アイロンをかけ終わった服を抱えてエンジの部屋と往復して、ウォークインクローゼットや箪笥に服を仕舞っていく。片付けに途中で飽いたのか、ベッドで肘枕をしながら僕が働く様子を眺めていたエンジが、不思議そうに尋ねてきた。


「気になってたんだが、アーネスは本当にあの元気な爺さんの孫か?」

「え? そうですよ」

「ちっとも似てねえな」


 確かに、老いてなお筋肉隆々なイケ爺のお祖父様に比べたら、僕なんて紙っぺらみたいな身体をしてるもんね。


「僕は母親似だったみたいなので。母親は祖母似だとお祖父様から聞いてますよ」

「にしたって痩せすぎだろう。それも母親の遺伝か?」

「ええと……」


 どうしよう。なんて答えたらいいか分からなくて、言い淀む。


 僕が女装男子だったことは、エンジには話していない。僕がヘルム王国で婚約者一家に冷遇されて婚約破棄されたから思い切って国外に出たと説明はしたけど、まさかそれが予定されていた断罪から逃れる為だとは思ってもいないだろうな。


 国交がなかったヘルム王国とゴウワン王国だ。ヘルム王国の王太子が婚約者に婚約破棄を突きつけて逃亡された話は、こちらまで伝わってない可能性の方が高い。


 だけどエンジは多分王宮関係者だし、どこからこの噂を耳にするかは分からない。僕が逃亡した元婚約者かもしれないぞと紐づけられる可能性からは、できるだけ遠ざけておいた方がいい。


 何故なら、お世話になっている親切で男前なエンジに、万が一ヘルム王国が「罪人を匿っている」なんていう言いがかりをつけてきても困るからだ。それこそ国際問題に発展しそうだし、迷惑どころの話じゃなくなる。


 殿下やパトリシアは僕を排除したかったと思うけど、国王夫妻はきっと今でも僕を取り戻そうとして躍起になっている筈だ。大事な役割を担っていた僕を洗脳して冷遇していた、とてもじゃないけど血が通っているとは思えない国王夫妻は、蛮族だと見下しているゴウワン王国に喧嘩を吹っ掛けるくらいならやりそうだった。


 殿下とパトリシアが大精霊を起こすまでの間のことではあるけど、小説上では確か何ヶ月かは掛かっていた覚えがある。その間、僕がゴウワン王国に滞在していると万が一にも悟られてはいけない。


 だから元々、僕と双子との間では、少なくともお祖父様がこちらに来て合流するまでは、僕の生い立ちは秘密にしておこうという話になっていた。


「そ、そうだと思いますっ! 僕が赤ん坊の頃に母は亡くなったので、肖像画でしか見たことはないんですが!」

「ふーん。そうか」


 どこか疑うような目つきなのが気になるけど、エンジはそれ以上突っ込んでくることはなかった。


 こういう時は、逃げるに限る。


「じゃ、じゃあ、僕は夕飯の仕込みをしてきますんで!」


 僕が立ち去る素振りを見せると、エンジがむくりと起き上がる。


「おう。じゃあ俺は酒でも――」

「エンジは飲み過ぎです! せめて日が沈んでからにして下さいっ!」


 思わずピシャリと言うと、エンジが目をまん丸くして僕を見た。


「……わ、分かった……」


 やけに素直に頷くと、エンジは再びゴロンとベッドに横になる。どこか驚いたような表情を浮かべているのが気になってエンジの顔を見ていると、エンジはプイッと背中を向けてしまった。


「……できたら呼んでくれ。ちょっと寝てる」


 あれ……怒らせちゃったかな。


「あの、エンジ――」

「野菜料理、楽しみにしてるぞ」


 背中を向けたまま言われて、思わず目を大きく見開いた。これって、僕の腕前に期待しているってことだよね?


 嬉しさのあまり、口元がニヤける。


「――はいっ! 頑張りますね!」

「おう」


 僕は今度こそ踵を返すと、スキップしたい気持ちになりながら足早に台所へと向かうことにしたのだった。



 いざ料理! という前に、包丁を砥いだり錆びた鍋を磨いたりといった作業が必要だった。


「ちょっとこれ、いつから使ってないんだよ……」


 普段独り言なんて殆ど口にしない僕ですら思わず呟いてしまうくらいには、調理道具は揃いも揃っていい具合に錆びていた。つまり、それだけの間エンジは外食オンリーの生活を続けていたということになる。


「絶対美味しい野菜を食べさせてみせるッ! クオオオオッ!」


『力の腕輪』に魔力を注ぎ、シャコシャコと金タワシで錆を落としていった。ほら見てこの輝き! まさか鍋を磨く為にまで魔力を使うことになるとは想像もしてなかったけど、僕のチート級の魔力はもしかしたら家事にこそ活かされるものだったのかもしれない。


 職に困ったら、スーパー家政婦にでもなって家中ピカピカにする商売でも始めようかな。結構向いてると思うんだよね。


 そんなとりとめもないことを考えながらひたすら作業を繰り返していると、「アーネス!」と外から戻ってきたウキョウが僕の元に駆け寄ってきた。


「あ、ウキョウご苦労様! 瓶の回収は全部済んだ?」

「ああ! もう少し小まめに呼んでくれって業者に嫌味を言われちまったけどな」


 笑顔で答えたウキョウだけど、どこか笑顔がぎこちないような。どうしたんだろうと思っていると、ふとウキョウの手に丸まった紙束が握られていることに気が付いた。


 僕の目線を追ったウキョウが、気不味そうに伏し目がちになって僕の隣に立つ。


「アーネス……落ち着いて聞いてほしいんだけど」

「うん……?」


 その後ウキョウが語った内容に、僕は暫衝撃を受けることになった。

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