15 ベニ

 ウキョウと二人、先導するエンジの後を追ってエンジの部屋に向かう。


 途中、僕たちが泊まる部屋の前を通ったので、ミカゲさんへの手紙をサッと取りに行かせてもらった。


「お待たせしました!」

「ああ。こっちだ」

「はい!」


 エンジの部屋は、僕たちが泊まっている客室がある廊下を更に奥にいった突き当たりだ。他の部屋よりも明らかに立派な、花の模様が彫られた重厚な木製の扉が僕たちを出迎える。


 エンジが両手で両開きの扉を開いた瞬間、風が向こうからこちらに向かって流れていった。少し汗ばんでいた肌に気持ちいい。


「ここだ」


 最初に視界に入ってきたのは、天井まである窓に下がるカーテンがふわりと風を孕んでいるさまだ。窓の外にある高い木々から漏れる木漏れ日が映し出されていて、美しさに一瞬目を奪われてしまった。


 エンジが僕たちを振り返る。


「入ってくれ」

「あっ、はい! お邪魔します!」


 慌てて室内に踏み入った。上を見ていたせいで、足元に転がっていた酒瓶の存在に気付かず蹴っ飛ばす。酒瓶はゴロゴロと重い音を立てながら転がっていき、部屋の中心に置かれた天蓋付きのベッドの脚に当たると停止した。


「あ……すみません」

「散らかっていて済まないな」


 悪びれた様子もなくエンジが言うので、「あ、あはは……」と苦笑いする他なかった。

 


 エンジの髪色に合わせたのかそれともただの偶然の一致か、深いえんじ色の天蓋が綺麗なドレープを作っている。なんだけど、大きなベッドの上には、グシャグシャのシーツと丸まった布団が。うわあ……。


 あまり人のベッドをジロジロ見るのもなあと思って目を逸らすと、ウォークインクローゼットらしき空間の前にいくつもの木箱が積まれているのが視界に入った。おっと、中には酒瓶が詰まってるぞ。まさかあれって全部お酒? ひいふうみい……多くない?


「少し待っていてくれ」

「は、はいっ」


 エンジはスタスタとベッドに歩み寄ると、丸まった布団を持ち上げたりベッドの下の空間を覗き始める。……なにしてるんだろう。連絡手段って、ベッドの下に転がってるようなものなのかな?


 じっと行動を目で追っていることに少々罪悪感を覚え始めた僕は、今度は部屋の反対側に目を向けた。


 壁沿いの一面に、ちょっと背が低めの棚が設置されている。その上には、明らかに脱ぎ捨てられたと分かる服や、空の酒瓶が所狭しと乱雑に置かれていた。どれだけ飲んでるんだ、この人。


 しまいにはどこを見ていいか分からなくなって床を見る。大理石っぽい石床のあちこちに、酒瓶が立てかけられたり横倒しになったりしていた。


 ……気を付けて歩かないと、踏んですっ転びそうなくらいにはあちこちに転がってるんだけど。いや、本気でどれだけ飲んだんだ、この人。エンジの肝臓が心配になってきた。


 一応床は見えているけど、大分汚い部類に入る部屋だ。……うん、大丈夫。脱衣場で山積みになっていた衣類を見た時点で、ある程度予想はしてたから。


 だけど。


「うわ……きたな……っ」


 僕の隣で、ウキョウがごく小さな声で呟いたのが耳に届いた。それ、思っていても言っちゃ駄目なやつ! 慌てて横目でサッと見ると、ウキョウも慌てた様子で顎を引いて一歩下がる。


 ベッドの前にしゃがんでいたエンジが、顔だけこちらに向けた。若干気不味そうな目つきなのが哀愁を誘う。


「……片付けはどうも苦手なんだよ」

「す、すみませんっ」


 ウキョウが身体を縮こませて頭を下げる。


 僕はというと――僕が勝手にエンジを理想のヒーローだって思ってただけなんだけど、料理に引き続きエンジが見せた駄目なところに人間臭さを感じてしまって、思わずニヤついてしまっていた。


 エンジが上唇を尖らせる。


「アーネス、なんだその顔は。言いたいことがあれば言え」


 大きな身体をしているのにバツが悪そうにしているところがおかしくて、とうとう「ふはっ」と笑いがもれてしまった。


「後で片付けを手伝ってもいいです?」

「……頼む」

「ふふ……っ、はい」

 

 唇を尖らせつつも答えるエンジを、可愛いなんて思ってしまった。ごめんなさい。


 エンジはまだ何か言いたげな表情をしていたけど、くるりと前を向くと引き続き何かを探し始める。


「――おい、ベニ。どこに隠れている? 出てこい」


 ん? ベニ? 何のことだろう。隣でどこか不安げな様子で立っているウキョウを見上げると、僕を見たウキョウの顔が急に強張った。


「……アーネスッ!」

「へ?」


 トン、と柔らかくもしっかりと重い何かがふたつ、僕の両肩に乗る。なに? と思いながら振り返ると、背中越しに赤い瞳と目が合った。――ん? 赤い瞳?


「ガウッ」


 僕の肩に大きな肉球を乗せて僕を見つめてきているのは、エンジと同じ色の毛皮を持つ、赤目の豹みたいな生き物だった。角が額から一本ピンと生えてるから、豹じゃないのは分かる。ユラユラ揺れている尻尾の数は、二本。既視感を覚えて少し首を傾げてから、すぐに思い至った。


 これ、エンジの髪の毛みたいなんだ。そのせいか、大きな猛獣がすぐ近くにいるというのに、不思議と恐怖は感じない。


 あ、と気付く。


「君、もしかして今朝居間にいた?」

「ガウ」


 これって肯定なのかな。でも尻尾が嬉しそうに揺れてるから、そうなのかも。ふは、可愛いな。


 特に襲ってくる様子もないし、この場にはこの中で一番強いエンジがいるけど騒ぎ立てる様子もない。ということは、この屋敷の子なのかな。だとすると、この子から見たら僕はおうちに入ってきた知らない人。挨拶をするのが順当だろう。


「ええと……こんにちは?」

「ガウッ」


 豹が、ベロンと僕の頬を舐めた。


「うひゃっ」


 ザリザリした感触と同時に、生温かい息が吹きかかる。うわあ、うわあ! 前世でも今世でも、初めて動物と触れ合った!


 興奮のあまり声が漏れそうになったけど、動物って急に大きな声を出されるとびっくりするって聞いたことがあるから必死で呑み込んだ。


 するとエンジが僕の前まで大股でやってきて、僕と豹を正面から見下ろしてくる。目線は僕ではなくて、えんじ色の豹に向けられていた。


「ベニ、そこにいたのか」

「グルル」


 エンジが伸ばした手の甲を、ベニと呼ばれたえんじ色の豹がベロリと舐める。やっぱりここのおうちの子で正解みたいだ。にしても、筋肉隆々の美丈夫としなやかな豹の組み合わせ! 絵になる! 写真に撮って、肌身離さず持っていたい! どうしてこの世界ってカメラがないんだよ!


 ソワソワしながら、エンジとベニを見比べる。


「ベニって、この子の名前ですか?」

「そうだな。俺と同じエンジじゃ呼びにくいだろ」

「はい?」


 意味が分からなくて聞き返すと、ウキョウが口を挟んできた。


「アーネス、この動物は――」

「俺から説明する、お前は余計なことを言うな」


 すぐさまエンジが被せるように言ってきて、ウキョウを黙らせる。ウキョウは顎をグッと引くと、小さく頷いて一歩下がってしまった。


 エンジがベニの首をポンポンと軽く叩く。


「あー、えーとこいつは……俺に与えられた魔獣だ」

「は? 魔獣?」

「広義では魔物の一種だが、人に馴らすことができる種類の魔物をゴウワン王国では魔獣と読んでいる」

「魔物……この子が」

「ああ。俺の使い魔だな」


 相変わらず僕の肩から僕と同じくらいはありそうな顔を覗かせているベニをじっと見つめた。


 実は僕は、これまで一度も魔物という存在を目にしたことはない。理由は単純明快。僕が毎日『魔力の壺』に魔力を注いでいたから、ヘルム王国の国土に敷かれた結界陣は常に正常に働き、魔物が湧き出る余地がなかったからだ。


 国境付近までいけば、魔物に遭遇することもあると聞いていた。だけど結界なんてないゴウワン王国に入っても魔物に出会うことはなかったから、魔窟が地下に眠るヘルム王国以外では魔物は殆ど発生しないんだろうな、なんて勝手に解釈していた。


 だけど、魔物の特徴だけは聞いたことがあった。


 それは、真っ赤に燃えるような目だ。暗闇でも光るそうで、赤目の大群に囲まれたらまず助からないと思った方がいいんだとか。


 改めて、目の前の大人しく僕を見つめている子の瞳を凝視する。鮮血のような虹彩の中心に、赤黒い瞳孔が縦に入っていた。宝石みたいに煌めいていて、凄く綺麗だ。


 エンジが左腕を持ち上げて、上腕に描かれた太陽をモチーフとしたような不可思議な模様の入れ墨に目線を落とす。


「こいつを刻んだ時、幼体だったベニにも同様の文様が刻まれた。それが俺とベニを繋ぐもんになっていてな、そのお陰で普通の魔獣とは違って俺の言葉もきちんと理解するし難しい指示にも従うことができる」

「へえ……! ベニ、凄いねえ」


 撫でてみたいけど勝手に撫でてガブリと噛まれるのも怖いので、笑顔で話しかけるに留めた。


「俺と繋がったせいで、元は白かった毛皮は赤茶に変わってしまって、性格も主に似てものぐさになっちまったがな」

「そういうものなんですか。へえー」


 魔物と人間って、そんな風に共存できるものだったんだ……。


 全く知らなかった事実に、僕は先ほどからドキドキしていた。うわあいいなあ、やっぱり格好いい漢には格好いいバディがいるもんだよね、うん!


 エンジが続ける。


「てことで、ベニにミカゲ宛の手紙を届けさせる。ミカゲも使い魔を所有しているんだ。それに……そうか。アレが確かミカゲのところにいたな。そうか、そういうことか」

「え?」

「しかし……ヘルム王国は魔物が入り込めない筈なのにどうするつもりなのか……」


 最後の方は、殆ど独り言みたいな呟きだった。


 だけどエンジのその言葉に、僕の心臓がドクンと飛び跳ねる。


 ヘルム王国に「魔物が入り込めない」なかったのは、僕が魔力を注いでいたからだ。


 だけど今は――?


 考えまいとしていたことを急に目の前に突きつけられた気がして、何を言えばいいか分からず僕はただ無言で佇むしかなかった。

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