9 屋敷へ

 図らずも今宵の宿が確保できてしまったところで、「ならもう少し飲むか」とエンジに促されるままエールをおかわりする。


 エンジは聞き上手だった。


 僕が話せば楽しそうに絶妙な具合で相槌を打ってくれるものだから、つい調子に乗って「格好いい漢とは」の持論を展開してしまった。もう何杯飲んだかもあやふやだ。さすがにちょっと拙いかも。


「ヒック」


 しゃっくりが出始めた僕を見たエンジが苦笑して、「じゃあそろそろ行こうか」と立ち上がる。


「あっ、はい!」


 慌てて立ち上がった瞬間、視界がぐらんと揺れた。わっ!? な、なにこれ!?


「アーネス!」


 後ろに倒れそうになった僕を、ウキョウが飛んできて抱き止める。ウキョウは僕なんかよりずっと男っぽい顔を顰めると、僕の額をコツンと指の関節で突いた。


「こら。エール数杯でフラフラじゃないか。なーにが僕と飲み比べしようだよ。こんな弱くちゃ話にならねえぞ」

「ごめん、ウキョウ……思ったより酒は弱かったみたいだ」


 へへ、笑いかけると、ウキョウがグッと声を詰まらせる。ん? どうしたんだろう。


「……いいか、お前は絶対ひとりで外で酒を飲むなよ。色々と危険極まりないからな」

「うん? 色々って何が?」


 ウキョウが目元を赤くしながら、唇を尖らせた。


「いやいい。俺がついてるからお前はそのままでいい」

「へ?」


 ウキョウが言っていることがよく分からないのは、僕が酔っ払ってるからかもしれない。また心配させちゃったな、と反省はするものの、身体も頭も言うことを素直に聞いてくれないんだよね。アルコールって怖いって初めて知った。


 前後にフラフラしていると、ウキョウが僕の肩を抱き寄せる。


「仕方ないなあ、アーネスは。ほら、俺に寄りかかれよ。遠慮するな」

「うん」


 身体を真っ直ぐに保っているのが難しかったから、お言葉に甘えて更に体重をウキョウに預けた。後頭部をウキョウの肩に乗せて顔を仰け反らせると、心配そうな顔をして僕を見下ろしているウキョウと目が合う。


 ふと急にとっても伝えたくなって、思ったままのことを口にした。


「ウキョウは優しくて格好いいよね」

「ブフッ、な、なんだよ突然……っ」


 あれ、珍しい。ウキョウが照れてるのなんて初めて見たかもしれない。だけどどこか嬉しそうな様子を見て、普段だったら「変に思われないかな」と余計なことを考えて言えない本音が、口を突いて出た。


「これまで男友達ってひとりもいなかったからさ。ウキョウみたいな頼り甲斐のあるお兄さんが最初の友達になってくれて、本当に嬉しいんだ」


 僕の言葉に、ウキョウが感極まった様子で言葉を詰まらせる。


「アーネス……! お前はそんなに俺のことを……っ」


 すると、僕の顔を覗き込んで軽く睨んできたのは、ウキョウと似た顔だけどちゃんと女性にしか見えないサキョウだ。


「ちょっとアーネス、私のことを忘れてない?」


 サキョウのちょっといじけたような口調に、心がほわんと温かくなる。


「忘れてないよ、サキョウは僕の初めての女友達だもん。いつも滅茶苦茶頼りにしてる、大好き」


 サキョウは嬉しそうに笑うと、正面から僕に抱きついてきた。


「うふふ、アーネスってば可愛いこと言うんだからっ!」

「あ、サキョウばっかり狡いぞ! 俺だって!」


 ウキョウが負けじと僕の腹に手を回してぎゅっとする。前後から抱き締められる温かさにジンときた僕は、ちょっぴり涙ぐみながら伝えた。


「二人とも大好き……!」

「うう……っ、アーネスはマジで可愛いなあ……」

「うん、もう一生守ってあげたいくらいよ!」


 双子のサンドイッチにほっこりしていると、ふと視線を感じた。横目で見ると、ドキリとするほど冷たい表情でこちらを見ているエンジと目が合う。


「目出度い奴らだな。好きだの何だのと言い合うのがそんなに楽しいのか? 俺にはよく分からん」


 声の温度も、ゾッとするほど低かった。先ほどまでの温かみのあるエンジとのあまりの違いに、浮かれていた気持ちが瞬時に萎えていく。な……なに? 怒ってる?


「え……っ」


 エンジはくるりと背を向けると、店の外に向かい歩き出した。僕たちが立ち竦んでいると、数歩進んだ後に振り返り、冷ややかな一瞥をくれる。


「来るなら来い。来ないなら置いて行くが?」


 明らかに不機嫌な様子に、三人で顔を見合わせた後、慌てて駆け出す。急にどうしたんだろう。ぐずぐずしていたから、やっぱり怒っちゃったのかもしれない。


「わ、す、すぐ行きます!」


 僕たちが追いつくと、エンジは溜息を吐いてから大股で先を歩き出したのだった。



 エンジの住処は、王宮からほど近い場所にあった。


 出店や酒場があったエリアは、所狭しと建物が密集している。そこから王宮方面に十分ほど歩くと、一軒一軒が大きな屋敷と広い敷地が広がる、所謂高級住宅街エリアに出た。


 サキョウの話では、このあたりは王宮関係者が多く暮らしている地域なんだそうだ。その中でも一際立派な全体的に黒を基調とした昔の日本家屋のような屋敷が、エンジの家だった。家まで格好いいって凄い。


 門番が立つ鉄格子風の門を潜り抜けて中に入っていく。玄関前に焚かれていた篝火の他は明かりはなく、立派な平屋の日本家屋風屋敷の中は暗い。


 エンジは篝火の足元にあった小さな棒に火を点けると、持ったまま家の中に入っていった。


 玄関に置かれたランプの油に棒から火を移したのを手始めに、真っ直ぐ続く廊下に規則的に掛けられた掛け型のランプに次々と火を灯していく。


 あれ? 物凄い広いお屋敷なのに、まさか誰もいない? さすがに不思議に思って、これまで無言だったエンジに問いかけた。


「あの……家宰や手伝いの人とかはいないんですか?」


 エンジは振り返ることなく、事もなげに答える。


「屋敷には人間は俺ひとりだけだ。僅かな期間住むだけの仮住まいに過ぎない場所に人手はいらないからな」

「え? ここは仮住まいなんですか?」


 と、ここでようやくエンジが振り返ると、フッと小さく笑った。先ほどまでの険は消え失せている。

 

「……そうだ。もうすぐ出る予定だから、必要最低限の場所だけ使わせてもらっているってとこだな」

「もうすぐ出る予定なんですね? 僕たちがお邪魔しても大丈夫でしたか?」

「もうすぐと言ってもまだひと月以上はいる予定だからな、ミカゲが戻る方が先になるだろう。案ずるな」

「はい!」


 引越しを控えているから手薄なのか、と思いながら何気なくウキョウとサキョウの方を見たら、二人ともギョッとした表情になっていた。え? どうしたんだろう。


 二人の顔を見たエンジが、「お前ら余計なことは言うなよ」と先行で釘を刺してしまう。双子はチャックしたように口を真一文字に結ぶと、済まなそうな目で僕を見た。


 ええ……隠されると余計に気になるんだけど。


 エンジは戸惑っている僕の頭をぐしゃっと大きな手のひらでボールを掴むように掴むと、くりんと方向転換させた。


「お前も余計な詮索はするなよ。家主命令だ」

「へっ!? わっ、とと……っ」

「ふはッ」


 エンジはおかしそうに小さく笑うと、僕の頭を掴んだまま歩いていく。ちょ、ちょっとなにこれ!? 完全に子供扱いされてるよね!?


「ほら、アーネス。こっちだ」

「は、はいっ」


 悔しいけど、僕とエンジとでは明らかに体格が違うし、これからお世話になる身でもある。双子も妙に畏っちゃってるし、不本意ではあるけど本人が詮索するなと言うのであれば素直に従うしかない。郷に入れば郷に従うのが日本人ってやつだしね。まあ僕はヘルム王国人だけど。


 廊下を抜けると、正面に広い空間が現れた。天井が高くて、屋根裏が見えるお洒落空間だ。


「空気を入れ替えよう。手伝え」

「はい!」


 エンジと一緒に閉じられていた大きな窓をひとつひとつ開けていくと、円形状の部屋に夜の涼しい風が通り抜けていった。お酒で火照った身体には丁度いい。


 部屋の中心には土台がとうで編まれた円形の大きなソファーがあって、横には木彫りの重厚なローテーブルが置かれている。和風というよりは、アジアンに雰囲気が近いかもしれない。


 エンジは来た方向とは反対側にある通路を指差した。


「客室は沢山あるから、適当に使ってくれ。布団は布団部屋があるからそこから出せばいい」

「分かりました」

「風呂場と厠はこっちだ。案内する、ついてこい」

「はいっ」

 

 テキパキと無駄なく動くエンジを見て、思った。先ほど不機嫌な様子に見えたのは、やはり僕たちがとろとろしていたからなんだろうな、と。


 ――よし! これから暫くお世話になるのなら、僕も気合いを入れてシャッキリしないとだ!


 それに、エンジの格好よさは日頃の所作にヒントが隠されているかもしれないし。ヒーローは一日にしてならずだもんね!


 エンジに迷惑をかけないようにしつつ真似できるところは盗んでいこう、と密かに決意した僕だった。

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