10 祈り

 日々早朝から『魔力の壺』に魔力を注ぎ込んでいた僕の身体には、早起きの習慣が染み付いている。


 旅の間は、基本男同士で同室だったウキョウが「まだ日も昇ってないじゃねえか……もう少し寝ろよ」と寝惚けた舌ったらずな口調で何度も言ってくれたけど、幼少期から続けられた習慣はそう簡単には抜けるものじゃない。


 勿論、もう目の前に『魔力の壺』はない。だけどヘルム王国の民の平和を思って祈りを捧げることまでやめる必要はないんじゃないかと思って、祈りだけは続けていた。王家やお父様に言いたいことや思うことは沢山あるけど、国民は何の関係もないし。


 魔力のこもらない祈りなんて何の足しにもならないただの気休めなのは分かっているけど、これは僕の気持ちの問題だった。


 仮住まいならあまり沢山部屋を使うのも悪い。ということで、昨夜は僕と双子は同じ部屋で寝た。といっても客室も広くて天井も高いから、とうで編まれたシングルより大きい寝台をえっちらおっちらと運んで三つ並べても、圧迫感は全く感じない。


 天井までの高い窓にかかっている薄手の長いカーテンがふわりと風に舞う景色は、まるで南国リゾートに来たかのような開放感があった。


 よく寝ている双子の横を、静かに通り抜けていく。「貞操対策だから!」とウキョウとサキョウが訳の分からないことを主張するので、言われるがままに二人に挟まれて寝たんだよね。なんだよ、貞操対策って。


 だけど前世も今世も広い場所に全く慣れていない僕にとっては、この部屋はちょっとばかり開放感がありすぎた。だから二人がサンドイッチしてくれたお陰で安心して眠ることができたので、逆によかったと思う。二人とも、やっぱり大好きだ。


 なるべく足音を立てないように廊下を進んで、例の広々とした居間に向かう。居間に入る直前、チラリと一瞬エンジ色の長い髪が見えた気がして自然と笑みが浮かんだ。笑顔のまま、パッと顔を覗かせる。


「エンジ――」


 だけど、窓は開けられたままになっている居間にエンジの姿はなかった。


「あれ? 気のせいか。……えーと」


 朝日が昇ってきている方向を探す。窓の外には、広々とした庭が見えた。昨夜は暗くてよく見えなかったけど、やっぱりどこか和風とアジアンが混じったような景色に、不思議と郷愁を感じる。計算され尽くして整然と整備されていた祖国ヘルム王国の洋風庭園より、こっちの方が断然僕好みだ。


 左右を見回して誰もいないことを確認すると、ちょっとお行儀が悪いけどと思いながら、窓枠をヒョイと乗り越えた。


「よっと」


 シロツメクサが敷き詰められた地面にさくりと下り立つと、地平線から少しだけ顔を覗かせている太陽に向かって地面に膝を突く。両手を組んで瞼を閉じると、太陽の存在を瞼の向こうに感じながら祈り始めた。


「どうか……どうか、ヘルム王国の民に平和な時が続きますように――」


 それと、どうかストーリーが僕抜きに進んでいますように。


 ついでに個人的な祈りも捧げる。


 こうして祈りを捧げていると、決まって思い出されるのは長年過ごした小さな塔のことだ。


 ヘルム王国では、僕は陛下に用意された部屋で暮らしていた。


 場所は、王家の寝室があるお城ではなく、お城の敷地内だけどお城からは大分距離のある場所にポツンと存在する小さな塔の二階部分だ。


 ベッドをひとつ置いたらほぼ一杯になる天井の低い部屋が、僕に与えられた空間だった。ちなみに、フィアは自宅から通ってくれていた。


 僕が王城から離れたこの塔に部屋を与えられていたのは、同じ塔の地下に『魔力の壺』が設置されていたからという単純明快な理由から。


 朝日が顔を覗かせる時間になると起き出して、表にある井戸の水を汲み上げて冷たい水で顔を洗ってシャッキリする。それから祈りを捧げつつ、時間をかけて魔力をたっぷり注いでいく。そんな毎日を過ごしていた。


 ちなみに一階は炊事場とトイレ、それに身体を清める小さな洗い場があるだけ。


 食材は毎日王城から届けられる僅かな食材を使っていいことになっていた。僕に「でかくなると誤魔化せなくなるぞ」と脅してきていた陛下の指示だったと思う。


 二階の上はすぐ屋上になっていて、洗濯物を僕とフィアで井戸水で洗っては、そこに干していた。だから僕は侯爵令嬢にしては、家事はできる方なんじゃないかな。


 僕は基本、王城の敷地から出ることは許されていなかった。侯爵家に行くのは、それこそ舞踏会の当日に着飾る為だけだ。


 舞踏会が終われば馬車で侯爵家に戻り、ドレスを脱いで質素な格好に戻った後にこっそり裏門から塔に戻る。お父様の、侯爵家の権威を見せつける為だけのくだらない見栄っぱりな目的がなければ、僕は自分の生まれた家に立ち寄ることもなかったと思う。


 ちなみに僕が赤ん坊の頃は、お母様の侍女だったフィアのお母さんが乳母として僕の面倒を見てくれていた。つまり、フィアは僕の乳姉妹なんだ。


 フィアのお母さんが腰を悪くして引退すると、今度はフィアが僕の侍女になって閉ざされた世界で暮らす僕の面倒を見てくれた。


 フィアは常日頃僕の待遇の悪さに文句を言っていたけど、「王家に従うことは幸せなことだ」と物心つく前から言われて洗脳されていた僕は、「王家には感謝しかないわ」なんて言ってた。今思うと、大分毒されてる。ヤバイよね。


 王太子妃教育の時や、お父様やお祖父様が僕を訪ねてくる時だけ、僕は王城に立ち入ることを許されていた。……よく考えたら、随分と冷遇されてたような気がするな。あの人たち、僕を雑に扱いすぎて死んじゃったりしたら魔力が供給されなくなるとか考えなかったのかな?


 尚、フィアは僕が離れの塔に半ば閉じ込められていたことをお父様には何度か訴えたらしいけど、長いものに巻かれる派のお父様が陛下に意見を言う筈もないから改善は全くされなかった。僕自体が生まれてからずっとあそこにいたから疑問を持っていなかったせいもあると思う。ずっと付き合わせちゃって、フィアには悪いことをしたなあ。


 お父様には、会う度に「粗相はしていないか」「男だとバレないように注意を払え」しか言われなかったし、僕を抱き締めてくれることはただの一度もなかった。多分あれは生存確認しにきてただけだと思う。


 反対に、溺愛していた娘の忘れ形見である僕にいつでも会いたかったお祖父様は、もっと頻繁に会わせろと陛下に訴えていたんだって。だけど陛下は「ユリアーネは飲み込みが悪く、教育に時間がかかっている。余計な時間が取れない」と断り続けて、会えるのは年に数度程度だった。


 これもお祖父様に全部暴露した時に聞いた話だったけど、さすがにイラッとしたよね。飲み込みが悪いってどういうことだよ? 僕、学園でも上位成績者だったし王太子妃教育も予定より進んでたんだけど?


 お祖父様にようやく会える時も、「余計なことは一切喋るな。喋ったら分かるな?」と温かみが一切感じられない表情と声色で陛下に言われてしまえば、僕から余計なことは何も言えない。ちなみに、お祖父様がいらした時は、フィアはいつも雑用を言いつけられて傍にいることを許されなかった。


 ……どう考えても、あからさまに隠蔽工作してるよな。国王夫妻は僕が冷遇されていいように使われていることを理解しつつも、厄介なお祖父様にだけは絶対事実を知られまいと必死だったことが窺える。だったら最初から冷遇するなよって思うけど、精神的に逆らえないようにしておけばって考えもあったのかもな。あーやだやだ。


 洗脳されていた僕は自分から改善に向けて動くことはなかったから、このままいけば一生都合よく搾取され続けていたんだろうな。なのに事情を知らないアントン殿下とパトリシアのせいで、きっと今頃国王夫妻は大慌てになっていると思うと、正直言ってザマーミロしかない。


 だけど結局殿下とパトリシアの真実の愛で大精霊が目覚めて大円団で済んでしまうと思うと、僕の十八年間は何だったんだろうと虚しくもなるんだよなあ……。


「はあ……」


 段々と気持ちが暗くなってきたことに気付いて慌てて首を横に振ると、自分に言い聞かせるべく繰り返す。


「気にしちゃ負けだ、強い漢になって幸せを手に入れるんだから、気にしちゃ負けだ……っ」

「――何を『気にしちゃ負け』なんだ?」

「ひえっ!?」


 突然頭上から降ってきた低い声に、文字通り飛び上がった。顔を逸らせて仰ぎ見ると、えんじ色の髪のカーテンが僕の顔を囲んでいる。今度は気のせいじゃなくて、本物のエンジがそこにいた。


「わ、き、綺麗……エンジ……お、おはようございます!」


 やばい。景色が綺麗すぎて涎が垂れそう。


「ああ、おはよう。随分と早いな。こんなところに座り込んで何をしているんだ?」


 今朝のエンジは機嫌が良さそうで、にこやかに話しかけてきた。着物風の上着は全てはだけていて、逞しい胸筋を惜しげもなく見せている。


 か、かっこよ……!


 僕は生唾を呑んだ。だって、涎出ちゃうだろ、こんなの!


「あ、いえその、ちょっと朝のお祈りをしていただけで!」

 

 エンジが不思議そうに返す。


「お祈り? ふーん。ヘルム王国にはよく分からん習慣があるんだな」


 どうやらゴウワン王国には祈る習慣はないらしい。確かに拳が正義だもんなあ。拳に祈るって意味が分からないし、そう考えると納得かも。


「ええとあの、エンジはもしや、朝の鍛錬ですか!?」

「ああ。一緒にやろうとお前を探してたんだ。稽古をつけてほしいんだろ?」


 爽やかに、だけど男臭く笑いかけるエンジに一瞬でノックアウトされた僕は、「は、はひい……っ」と怪しげな声を発しながらこくんと頷いたのだった。

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