8 エンジ

 僕の隣に、えんじ色の髪のお兄さんがどかっと座る。


 真横にくると、体格の良さがよく分かった。腕なんか、僕の太腿より太いんじゃないか。だけど太って見えないのは、身長が高くて要所要所が引き締まっているからなんだと思う。


 仄かに香るお香の匂いが、これまた似合っている。圧倒的存在感を見せつけられて、彼からひと時も目を逸せないでいた。まあ要は、見惚れていました。だって僕の理想のヒーロー像が目の前にいるんだもん! そりゃ見ちゃうよね?


 お兄さんはエールが並々と入った木製のコップを軽く掲げると、僕に向かって「ほら、乾杯するぞ」と言った。目が笑っている。僕が見惚れちゃってるのをよく分かっているっていう表情だった。


 あがり切った僕は、吃りながらも必死に返す。


「は、はい! か、乾杯!」

「おう、乾杯」


 ゴン、と鈍い音を立ててコップ同士がぶつかると、美味そうに豪快に飲んでいく。はうう……! 仕草のひとつひとつが格好いい! 仰け反った首と鎖骨の筋肉美ったら、何これ! その辺の筋肉だるまとは、何もかもが違うよ!


 片時も目を逸らしたくなくて、ちびちび飲みながらお兄さんを観察し続けた。一瞬で飲み干してしまったお兄さんがコップを置き、何故か緊張した様子の双子に目線を向ける。


 うっすら上がっている口角も、主人公! て感じで堪らない。あーもうこの人、僕の推しで決定! どこの誰か知らないけど!


「お前ら、以前ミカゲのところにいた双子だよな? 随分と久しぶりに姿を見るがどういうことだ?」


 ウキョウとサキョウがぎょっとして顔を見合わせた。サキョウは小さく顎を引くと、頭を下げる。


「まさか我々のような者を覚えていただいていたとは……。身に余る光栄でございます、エンジ様」


 え? どういうこと? この三人って知り合いだったの? 双子がミカゲさんのことを知っているから護衛に選ばれたのは分かるけど、この人のことまで知っているってどういうことだろう。


 僕の疑問を知ってか知らずか、エンジ様と呼ばれたお兄さんは双子に対し質問を重ねていく。


「二人はどこへ行っていた?」

「ヘルム王国にて護衛修行をしておりました」

「ヘルム王国……ああ、あの元気な爺さんのところか?」

「はい」


 元気な爺さんって、もしかして僕のお祖父様のこと言ってる? 確かに滅茶苦茶元気だよね。元騎士団長で、引退した今も騎士団の人たちが稽古をつけてもらいにくるって面倒くさそうに、でもどこか嬉しそうに自慢してるし。


 お兄さんが、今度は僕の方を振り向く。


「で、お前は?」

「あ、あの、僕、アーネスっていいます! ヘルム王国から来ました! その、先ほどはありがとうございました!」


 興奮しすぎて、子供の自己紹介みたいになってしまった。なんだよ「ヘルム王国から来ました!」て。もう少しこう気の利いた言葉とかあっただろ、僕!


 あ、でも余計なことは話しちゃ駄目だって双子に口を酸っぱくして言われているんだった。え、じゃあ他に何言えばいいの? あーもう、おかしそうに僕の目をじっと見つめてくる真っ青な瞳に吸い込まれそうで頭が働かない!


「め、滅茶苦茶格好よかったです!」


 完全にあがってしまった僕は、唐突に思いの丈をぶつけてしまった。お兄さんが、更におかしそうに目を細める。


「そりゃどうも?」

「ほ、本当のことですからっ!」


 自分の顔が紅潮している自覚はあった。鼻息荒くなってない? 大丈夫かな、僕。


「……ぷはっ」


 と、お兄さんが小さく吹き出した。わ、わああ! 笑顔も最高に男前なんだけど!


「くく……アーネスか。お前の方こそ、先ほどの一撃は見事だったぞ。こんな細い身体のどこからあんな力が出せるのかと不思議だった」


 お兄さんの褒め言葉に、カアアッと体温が上昇していく。


「わ、あ、ありがとうございますっ! あれには実は秘密がありまして……! で、でも、ええと……え、エンジ、様? の蹴りはもっと凄かったです! 僕、もう感動しちゃって!」


 興奮しまくっている僕の言葉に、お兄さんがピクリと反応し、片眉を上げた。


「……ん? アーネスはもしかして俺のことを知らないのか?」

「へ? え、あ、その……すみませんっ」


 うん、だって知らないもんね。ていうかゴウワン王国の要人とか、一切知らない。ヘルム王国では、ゴウワン王国は蛮族の国扱いだったから、覚える必要もないって教育も省略されていたし。


 でもそうか。様ってつくくらいだから、偉い人に決まってるじゃないか。あがり過ぎて頭が馬鹿になってた。パワーイズパワーなゴウワン王国は、生まれの身分よりも強さが重要らしいし。まだ若そうだけど、あの強さなら納得しかない。


 王宮の宿舎に住んでいるミカゲさんはどう考えても王宮関係者だし、そのミカゲさんを知っているということは――エンジ様? も王宮関係者なのかもしれない。


 すると、緊張顔のウキョウが、テーブルの上に置かれていた僕の腕の袖を引っ張ってきた。


「アーネス、このお方は」


 だけど、すぐにお兄さんが止める。


「いやいい、言う必要はない。このまま話そう」

「ですが」

「アーネス、俺と話をしよう」


 お兄さんはウキョウの言葉を遮ると、身体ごと僕の方に向き直り、テーブルに肘を突いて僕をじっと見つめてきた。わ、わわ、存在感の塊……! なんか漂う色気っていうの? も物凄い。うわあいいなあ、僕もいつかこれくらいの美丈夫になりたい。


「俺のことはエンジと。様はいらん」


 うわああ! 身分がありそうなのにフランクなのもヒーローっぽくて最高!


「で、でも……っ」


 身分は絶対だと叩き込まれて育った僕には、正直言って抵抗がありまくりだ。


 だけどお兄さんは、僕の抵抗を許さなかった。顔を極限まで近付けると、低い色気満載の声で囁く。


「言え。『エンジ』と」

「ひえ……っ、は、はい! エンジ……ッ」

「よし、いい子だ」


 息を吹きかけられながら頭をぐしゃりと撫でられたら、僕なんてイチコロだ。ただでさえ興奮状態な上に更に感動と憧れに対するときめきとが合わさり、今にも震え出しそう。あ、指先がぷるぷるいってる。


 僕の中では、身分が高いイコール高慢な国王夫妻や高位貴族を指す。まあ僕も侯爵令嬢だから身分は高い筈なんだけど、殿下の心が離れていってからは特に、奴らの僕に対する当たりはキツかった。


 あいつら相当性格悪かったな、と今なら分かる。あの時は「話せば理解していただける筈」なんて思ってた僕は馬鹿だ。だってあいつら、基本自分大好きな自分至上主義だし。メリットデメリットだけで生きてる感じって言えば分かるかな。


 つまりだ。身分が高い奴らは総じて性格が歪んでるという認識になっていた僕にとって、僕の理想のヒーロー像を体現しているエンジが偉ぶらないことに、「やっぱり真性のヒーローはそうですよねー!?」と脳内で大量の僕がスタンディングオーベーションを始めていた訳だ。


「エンジ! 僕もあなたのように強い男になりたいです!」


 唐突な僕の主張に、エンジは驚いた様子を見せながらも聞き返す。


「お前が? またどうして」

「聞いてくれますか!?」

「ふふ、ああ、聞くぞ」


 何故かシンと静まり返ってしまっている周囲の様子に疑問を抱かないまま、僕は相当興奮しながら身バレしそうな部分を除いて語った。


 女装していたことや殿下の婚約者だったこと、それに転生者であることは伏せてだったけど、僕の求める漢像については十分に語れたと思う。


 国を捨ててきたことや、婚約者一家にいいように利用されていたことについては、さらっと説明するに留めた。大事なのは、この先の未来だ!


「――という訳で、僕はこの先自由を謳歌しつつ筋肉隆々の立派な漢になりたいんです!」

「筋肉隆々ねえ」


 ふうん、とニヤけたエンジが尋ねた。


「双子と来たということは、尋ね先はミカゲってことか?」

「はい、そうです。でも今はいないって言われて、それで時間潰しに本選に申し込んだところだったんです」

「なるほどな。大体の事情は分かった。確かにミカゲはまだ当分帰ってこないだろうな。国境をぐるりと回ってくると言っていたから」

「やはりそうですか……。早く祖父に無事を知らせてあげたかったんですが」


 今頃心配している筈のお祖父様に連絡を入れられないのは、どうしたって落ち着かないんだよね……。


 お祖父様の顔を思い出しながら俯いていると。


 エンジが、僕の頭の上に大きな手を乗せて顔を覗き込んできた。


「なら、うちから連絡を入れてやろうか? 連絡手段というのが何か、俺には分かるからな」

「え……いいんですか!?」


 嬉して笑顔になると、エンジが僕の頭を掴んだまま微笑む。はう……! 漢ならではの優しい笑顔……!


「ああ、構わない。ミカゲが戻ってきたら俺に知らせがくるから、それまでうちにいればいい。ついでに稽古をつけてやっても構わないぞ」

「え……い、いいんですか!?」


 それは思いもしない提案だった。え……理想のヒーロー像直々に稽古をつけてくれるの!? これって何のご褒美!?


「ここのところ刺激が少なくて退屈してたんだ。丁度いい暇潰しになる」

「本当ですか!? ウキョウサキョウ! ねえ、いい!?」


 笑顔のまま双子を振り返ると、二人とも何か言いたげな、何とも言えない顔をしていた。だけどエンジを見た後は頷いてくれたので、僕は顔を輝かせるとエンジに向かって勢いよく頭を下げる。


「是非よろしくお願いします!」

「ああ、よろしくな」


 これが、僕とエンジの運命の出会いだった。

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