7 理想のヒーロー像
拘束が解けた途端、双子が僕の元に駆け寄る。
「アーネスの馬鹿! あんな挑発に乗っちゃ駄目じゃないの!」
「そうだぞアーネス! 勝てたからよかったようなものの、万が一負けてアーネスの処女がこんな熊野郎に散らされでもしたら! ……て、アーネスってまだ処女?」
ウキョウが急に真顔になって聞いてきたので、思わず「ぶっ」と吹いた。なっ、何言ってんの!? 周囲を見回しながら、慌てて答える。
「え、ええと!? あの方は僕が男だったって知らないから! そ、それが答えだよ!」
僕が女装男子だったことを知っているのは、国王陛下に王妃様、僕の父親に侍女のフィアだけだ。
アントン殿下は、舞踏会で僕のことを「雌」と侮辱してきた。殿下が僕を女だと信じ切っている証拠になるよね。
一体どういった噂を聞いたらその表現が出てくるのかと思うと、怖いもの見たさでちょっぴり知りたいような、知りたくないような。いや、知らない方がメンタルによさそう。
僕の答えに、ウキョウがちょっと照れ臭そうに笑う。
「え、そうだったのか? じゃあ女性経験は……」
「ブハッ! あんな状況である訳ないでしょ!」
むきになって即答すると、ウキョウが楽しげに目を輝かせた。ちょっともう、この話題終わりにしない!? 恥ずかしいんだけど!
「え、じゃあさ、男と女だったらアーネスはどっちがいいんだ? 実は前からちょっと気になってたんだよな! ほら、アーネスって男の割には大分華奢だし、どことなくこう儚げで色気があるというか? 実際、俺だってアーネスに見つめられるとドキッとすることもあるしっ、だから実は男もいけたらいいなあ、なんて、あははっ」
「は、はああっ!?」
こ、こんな注目を浴びてる時に、なんてことを聞いてくるんだよ! て、え? ウキョウが僕を見てドキッとすることもあるって何!?
挙動不審になってしまった僕に、ウキョウが前のめりになって迫る。
「で、どうなんだよ!?」
「え、ええ……っ、どうって言われても……っ」
確かに以前は、男の殿下のことが好きだった。だからってそれは、僕が他を知らなかったからにすぎないと思ってる。前世の僕は、普通に女の子を見て可愛いなあとかいつか彼女が欲しいと思ってたし。
……あれ、でも今はどうなんだろう。それなりに美人でスタイルもいいサキョウとキャッキャくっついていても、ドキドキしてなくない? ……えっ。どういうこと?
僕が目を白黒させているのに気付いたサキョウが、ウキョウの頭をペン! といい音を立てて
「何すんだよサキョウ! だって男の婚約者がいたんだぞ!? そっちもいけるのかなってお前だって気になるだろ!」
「ウキョウの馬鹿! だからってこんなことを人前で聞いちゃ駄目でしょ! それに何さり気なくアーネスを狙ってんのよ! ご隠居様にバレたら縊り殺されるわよ!」
「だ、だってアーネスって知れば知るほど可愛いじゃん! サキョウだってアーネスがもう少し逞しくなったら立候補したいとか散々っ!」
「ば……っ!」
気になることについては否定しなかったサキョウの腕が、シュッとウキョウの首に巻きつく。
「ぐっ、ぐるじいっ!」
「あんたは口を開けば余計なことばっかり!」
首を絞められながら頭を叩かれているので、ウキョウは逃げようと必死だ。ここの兄妹喧嘩って、一〇〇%サキョウが勝つよね。
「いてっ、いててっ! なんで叩くんだよっ!」
「口で言っても分からないからでしょうが!」
周りの男たちも、二人の様子を見て呆気に取られている。先ほどまでの緊迫した雰囲気は薄れて、和やかな空気が流れ始めた。
それは僕も一緒だ。緊張感のない兄妹喧嘩が微笑ましくて、思わず頬が緩む。まあ、ウキョウは大分苦しそうだけど。
とりあえず、僕の恋愛対象がどこに向いているのかは――また今度考えよう。双子が僕を狙ってることについては……いやいや、これはきっと双子の冗談だ。だって僕にそんな魅力があるとは思えないし。
もし少しでも魅力があったのなら、あそこまでぼっちにはならなかっただろうし。殿下や彼の周りの嫌い方はそれはもう容赦のないものだったし……。だからないない!
「あははっ、サキョウ、離してあげないとウキョウが死んじゃうよ!」
サキョウが更に腕を絞めながら怒鳴り返す。
「アーネスは優しすぎるのよ! もうこいつってば、こんなのだからいつまで経っても恋人ができないのよ!」
ウキョウがキッと睨んで反論し始めた。
「ああっ!? なんだよ、そういうサキョウだって口より先に手が出るから彼氏のひとりもできねえんじゃないか!」
「うるさいわね! 私は選んでるのよ!」
「できないの間違いだろ! ……ぐ、ぐるじいっ!」
野次馬が「いいぞ姉ちゃんやれやれー!」「兄ちゃん負けるなー!」と新たな楽しみを見つけて囃し立てる。サキョウの絞技がかなり決まりつつあって、ウキョウの顔色が若干おかしい。
そろそろ本気で止めないとかな、と一歩踏み出したその時。
「……くそおおおっ! 舐めやがってええっ!」
野太い男の声が響くと同時に、周囲がどよめく。
咄嗟に振り返ると、僕に強烈なアッパーを喰らって割れたテーブルの間に挟まっていた男が、斧を振り翳して迫ってきているじゃないか!
「えっ」
武器は狡いよ! ていうか勝負ありだったのに、なんで!? ゴウワン王国は正々堂々と拳で勝負して勝負が終わったらグータッチするような爽やかな漢の国なんじゃないの!?
すると次の瞬間。
僕の視界一杯に、見事なえんじ色の長い髪が舞う。孔雀の羽根のように広がる美しい赤茶に、一瞬で目を奪われた。
「てめえ誰だ! 邪魔すんじゃあねえッ!」
斧を持つ手を掴まれた熊男の怒鳴り声に、低いけどよく通る男の声が返す。
「勝負はついただろ? 見苦しいぞ」
えんじ色の髪の男の声だろう。聞き心地の良さに、思考までもが持っていかれた。
えんじ色の髪の男は、獣のようなしなやかな動きで、熊男に鋭い蹴りを入れる。ドガシャーンッと割れたテーブルだった瓦礫の山に再び突っ込むと、熊男は白目を剥いて泡を吹いて気絶してしまった。
えんじ色の髪の男が、肩を軽く回しながら告げる。
「お前の顔は覚えておくぞ。武闘大会の本選出場権はないものと思え」
淡々とした男の言葉に、熊男の仲間と思わしき男たちが、焦り顔でこくこく頷いた。
「――さて」
ひと目で分かる鍛え上げられた見事な肢体に、左の上腕に浮かぶ不可思議な模様の入れ墨が目を惹く。
半袖の着物のような前合わせの服は、一見ただのシンプルな黒に見える。だけど目を凝らして見ると、黒糸で細やかな刺繍が施されているのが分かった。かなり上等そうな生地だ。
着物の長さは太腿の半ばくらいまであって、その下には緩めの膝下丈の生成りの半ズボンを着用している。緩めなのに、発達した大腿筋がくっきりと分かるって凄い。
えんじ色の長い髪はハーフアップにされて、猛獣の尻尾のように滑らかに揺れ動いていた。僕がさっき目を奪われたのは、これだ。腰まで届く癖のない髪。後ろはツーブロックに刈り上げられていて、逞しい首から肩にかけての筋肉の隆起も美しい。
刹那が何十倍にも引き伸ばされたように感じる中、男がゆっくり振り返ると僕を悠々と見下ろす。
「お前の突き、面白いな。もう一回見せてくれないか?」
一瞬、何を言われているか分からなかった。それくらい、僕は目の前の男――いや、漢に目も心も奪われていたんだ。
非の打ち所のない美丈夫。少年向け漫画の主人公にピッタリな漢が、目の前に立っているんだぞ。その姿は夢にまで見た理想のヒーロー像そのもので、僕の口は勝手に呟きを漏らす。
「か、かっこよ……」
「ん?」
えんじ色の髪のお兄さんが、訝しげに眉を顰めて小首を傾げた。
――あ、そうだ。早く返事をしなくちゃ……っ!
男臭くも整った顔の中に浮かぶ真っ青な瞳に囚われて言葉を失った僕は、ただこくんと頷いた。
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