第38話 変わりゆく世界

 あれから、二年の月日が流れた。


****


 ロシュオルは、謁見の間でプリスキラ王の前に平伏していた。


「では三ヶ月後、正式な叙爵じょしゃくとなる。 準備を進めておくように」


「はっ」


 ここに初めて訪れてからの日々が、なんだか目まぐるしくて夢のようだ。


 王の前を辞したロシュオルは階下に下り、回廊を抜けて庭園へ出た。


***


 庭園では、王女たちがベンチに腰かけ、リュカリオを挟んでじゃんけんをしていた。


「「じゃんけんぽん!」」


「やった! 今夜はユフィに子守唄よ」


 勝ったチョキを掲げ、ユフィ姫がリュカリオの腕に飛びついた。


「ううう」


 リロ姫はパーの手を見下ろして泣きそうな顔になっている。


「リロ姫は昨晩歌ってあげたでしょ」


 リュカリオに諭されたリロ姫は口を尖らせ、ユフィ姫と反対側の腕に抱きついた。


「リロだけのお抱え歌手だったらいいのに」


「だーめ。リュカは王宮のお抱え歌手なんだから、独り占めはできないよーだ」


 ユフィ姫がいーっと歯を見せる。


「姫様方、ご機嫌麗しく」


 ロシュオルはベンチの前に回り込み、王女たちに挨拶した。


「あっ、ファリヌ様~」


「ファリヌ様だ、バク転して!」


 王女たちにとっては、すっかり妖精のお兄さんである。


「ロシュ、夜勤だったの?」


 王女たちから解放されたリュカリオがほっとしたように話しかけてくる。


「ああ」


近衛このえ兵は勤務が不規則で大変だね」


「このところ平和だし、 大したことはないよ」


 騎士見習いを辞めた後、ロシュオルは王直属の近衛兵として仕えることになった。

 アートデュエルでの並外れた身体能力を買われてのことだ。


 ロシュオルは機敏さを要する任務で能力を発揮し、王に重用ちょうようされるようになった。


 一方リュカリオは王女たちに気に入られ、王宮お抱えの声楽家となった。


 歌を披露する機会も多いが、普段やっていることはほぼ王女たちの子守だ。

 ぶつくさ言いながらも面倒見は良いので、それなりに楽しんでいるようだ。


 ひとしきり談笑し、ロシュオルは庭園を後にした。


***


 城の廊下を歩いていると、行く手から数人の部下を従えたロドル騎士隊長が現れた。


「ロシュオル」


「ロドル騎士隊長」


 ロシュオルは礼儀正しく頭を下げた。


「叙爵の件、聞いたぞ」


 ロシュオルが顔を上げると、ロドル騎士隊長はフッと口元だけで笑った。


「認めよう。私はお前を見くびっていた」


 素直な言葉に少し驚きながら、ロシュオルは微笑みを返した。


「光栄です」


 過日、プリスキラは内部の裏切りによる侵略の危機に遭い、騎士隊は偽の誘導に欺かれ城が手薄になった。


 その際、ロシュオルは近衛兵の他マソパジムなどから戦える者を集め、王の危機を救う功績を立てたのだ。


 父に見切りをつけたあの日の選択は、間違いではなかった。

 とはいえ、この父の血を引いている事実は、叙爵にも無関係ではないだろう。


 いくら功績を立てたとはいえ、異例の出世だ。全くの一般庶民で叶うスピードではない。

 加えて、有力者の強い推薦があったはずだ。


 それが騎士隊長ならどうだろう。

 表向き継がせられない代わりに、と。


 その答えを、今のロドルの言葉で確認した気がしていた。

 父に、力を認められたのだ。


「たいした出世だな」


 ロドル騎士隊長の背後には、騎士見習い時代の先輩たちが従っていた。

 シェリアータと出会った時に訓練指導をしていた二人だ。


「先輩たちもお元気そうで」


「ふん」


 彼らは鼻を鳴らしたが、見下す空気はもうなかった。


***


 城を出て街に出ると、子どもたちが元気に遊んでいた。


「俺、ケブカイ様役がいい!」

「俺、ファリヌ様」

「私はウフ様やりたーい!」


 本人として多少気恥ずかしいが、太めの子も、細い子も、女の子も、共に楽しんでいる様子は微笑ましい。


 マソパリスターとエルフサーガミュージカルのコラボレーションは評判となり、すっかり市井しせいにも広まった。


 庶民向けの新しい劇場も出来、ミュージカル文化が広まりつつある。


 ロシュオルは勤務の傍ら舞台にも出ているが、褐色肌メイクで印象が変わるせいか、普段の姿で街を歩いていてもファリヌと結びつける者は少なかった。


「キンニク! フッフー!」


 マソパジムの集団は、今日もパワーを漲らせてトレーニングしている。


「おっ、少年たち」


「元気に遊んでるな!」


 フッキンとケブカイが声をかけると、子どもたちから歓声が上がった。


「わー!」

「マソパリスター!」

「本物だー!」


***


 街角では、貴族令嬢たちが談笑している。


「見て! フッキン様の新作絵姿!」


 モエスキー伯爵令嬢が炎に包まれるフッキンの絵姿を掲げると、ドルオタ伯爵令嬢は羨ましそうにハンカチを揉んだ。


「シュクレ様の新作はまだかしら」


 そこへオスワイルド男爵夫人が加わる。


「芸術家を雇ってはいかが? 私は小説家を雇って想像小説を書かせましたわ」


「それ、シュクレ様も出ます?」


「出ますが……淑女にお見せできるようなものでは」


「ええっ、それはまさか」


 ロシュオルは危険な話題を察知し、気づかれないよう通り過ぎた。


***


 帰宅すると、イルエラが店頭のカウンター越しにロシュオルを出迎えた。


「お帰りなさい」


 気配を聞きつけて、奥からミレーヌも顔を出した。


「叙爵の件、正式に受けて来ました。二人の気持ちは変わってないかな」


「ああ。ここで店を続けるよ」


「大丈夫よ。困ったら助けに行くから」


 イルエラが未だにロシュオルを子ども扱いしてくるのがちょっと笑える。

 どんなに苦労しても、自分の力を信じて進む、静かで強い母だ。


「着替えたらすぐ出るよ」


「フランロゼ家かい?」

「それならお菓子を持って行ってあげて」


 二人から、応援のオーラを感じる。

 今日何をするつもりか、バレているらしい。


 軽装に着替えたロシュオルは、お菓子の箱を持って家を出た。


 少し緊張している。


 でも早く、顔が見たい。


***


 フランロゼ家の居間に入ると、ソファの奥にうずくまった銀髪が目に入った。


「レノ」


 声をかけると、レノフォードが驚いたようにパッと立ち上がる。


「ロシュ!」


「これ、皆さんで」


 お菓子の箱を差し出すと、レノフォードは喜んで受け取った。


「わぁ、ありがとう!」


 辺りを見回すロシュオルを見て、レノフォードは微笑んだ。


「シェリなら中庭にいるよ」


「そうか」


「キャッキャッ」


 ソファの向こう側から可愛い笑い声と共に、赤ん坊が這い出して来た。


 レノフォードの娘のミルフィだ。

 さっきまでレノフォードがうずくまっていたのは、ミルフィの相手をしていたせいらしい。


「ハイハイ、上手になったな」


「ぱ!」


 ミルフィが上機嫌で声を上げると、レノフォードが色めき立った。


「聞いた!? 今、パパって言った!」


「そうかな」


「天才だ!」


 レノフォードはミルフィを抱いて高く掲げ、頬ずりした。


「また出た、親バカ」


 ルディアが呆れ顔で現れた。


「ミルフィにべったりなのはいいけど」


 すうっとレノフォードに近寄ると、腕にすがって拗ねたように見上げる。


「私のことも、かまって?」


「ルディ……」


 レノフォードは頬を上気させ、片手でルディアを抱き寄せると髪を撫でた。


「君はどうしてそんなに可愛いの」


「可愛がってくれたら、もっと可愛くなるわよ?」


 こてんと肩に頭を預け、上目遣いで微笑んだルディアは指先でレノフォードの頬をなぞった。


 レノフォードは顔を真っ赤にして狼狽える。


「だめだよ、そんな……ロシュも見てるのに」


「はは、ごちそうさま」


 ロシュオルが笑っていると、メリアナがやって来てレノフォードからミルフィを取り上げた。


「ミルフィは私が見ておくから、どうぞ夫婦水入らずで……」


 そのとき、居間の扉が勢い良く開き、リチェラー公爵と公爵夫人が現れた。


「「ミル、フィ、ちゃーん!」」


「ひ孫は元気かの!」

「グレートグランマですよ~」


 ミルフィを抱いたメリアナがあっという間に囲まれる。


「またいらしたんですか」


 若干迷惑そうなメリアナの前で、リチェラー公爵夫人は目を光らせ拳を握りしめた。


「抱っこの順番を決めるわよ」


 じゃんけん大会が始まり、ミルフィの楽しげな笑い声が響く。


 ロシュオルはルディアにまとわりつかれるレノフォードに目配せして、中庭に向かった。

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