第35話 世李が見た最後の景色

 シェリアータは、ルディアの前で記憶を吐露した。


 思い出したくなかった、最後の記憶。



***



 フラれたと落ち込んで自分の見た目を嘆いていた太一のため、世李は公民館の一室を借りてダンスレッスンすることにした。


「お兄ちゃん、意外と飲み込みいいじゃん!」


 太一は物覚えが良く、センスは悪くなかった。


「ハァ、ハァ……でももう、これくらいで」


 これまでの運動不足が祟っているのか、息が上がって苦しそうだ。


 しかし経験上、ここからのもう一頑張りが体を変える。


「あとワンセットだけがんばろ! 1ヶ月もしたら見違えるよ!」


 健康的に締まった体型になった太一を想像すると、ワクワクする。


「しかし、お兄ちゃんの彼女がモデルの瑠妃だなんて、写真を見るまで信じられなかったよ」


 写真を見せられた時は本当にびっくりした。


「はは……そうだよね」


「あの隣に並ぶためだったら、 相当気合い入れないと」


 今のままでは、白雪姫と小人みたいだ。

 太一が劣等感を抱くのも無理はない。


「はい、ワンツー!」


「ハァ、ハァ……」


 世李に励まされ、太一はその日のレッスンを最後まで頑張った。



***



 レッスン翌日のことだった。


 世李がバイト先で仕事をしていると、表から救急車の音が聞こえ、近くで止まった。


 何人かが窓から下を覗いた。


「会社の前で止まってる」

「誰か運ばれてるぞ」

「社員か?」


 階下にいた社員がフロアに戻って来た。


「藤見が倒れたらしい」

「え、マジ?」


 世李は耳を疑い、血の気が引くのを感じた。


 お兄ちゃん!?


 世李は席を立ち、急いで1階へ向かった。



 1階に到着して外に出たとき、丁度救急車が走り出すところだった。


 受付嬢と人事部長が救急車を見送っている。


「藤見さん、心拍は戻ったらしいですが」


「彼は持病があるからな」


 ……持病?


 昨日のレッスンを思い出し、ヒュッと息が詰まった。


 太一は彼女にフラれて、少し自棄やけになっていた。

 いつもはしない無理をしたのかもしれない。


「……っ!」


 世李は駐輪場に走り、バイクに跨がってエンジンをかけた。


 救急車を追いかけて走り出す。

 姿は見失ったがサイレン音は聞こえている。


 この方向ならおそらく、中央病院だ。



***



 世李が病室に駆け込むと、太一は酸素マスクをつけてベッドに横たわっていた。


「お兄ちゃん!」


 声をかけると、太一は目を開けた。


「せりちゃん……」


 声は弱いが、意識はハッキリしているようだ。


「大丈夫? お医者さん、何か言ってた?」


「心不全、だって」


 心不全……多分心臓関係で大変なことになっているんだろうということはわかるが、知識がないのでよくわからない。


「苦しいの?」


「ちょっと……」


「何か私にできることある?」


 太一は目と首を巡らせた。


「僕のスマホ、どこかな」


「あ……どうだろう」


 ベッドの周囲には見当たらない。


「会社かも」


「確認してみる!」


 世李は病室の外に出て、会社に電話をかけた。


 世李が突然消えたことを心配されていたが、太一に付き添っていることを説明すると納得してもらえた。

 スマホは、太一の参加していた会議室に残されていたそうだ。

 カバンなどの身の回り品と合わせて、受付に預けておいてもらうようお願いする。


「会社にあるみたい。私、取ってくる」


 戻って伝えると、太一は世李の腕を掴んだ。


「せりちゃん、お願いがある」


 太一の目は真剣だった。


「僕のスマホで番号を確認して、るきちゃんに連絡して欲しい」


 そうか。太一は着信拒否されているらしいが、番号が確認できれば世李のスマホから繋がる。


「会いたいって、伝えて……」


「わかった」


 太一からスマホのパスコードを聞き、世李のスマホにメモする。


 その時、太一に繋がれた機器からアラーム音が鳴った。


「う……」


「お兄ちゃん!?」


 ナースが駆けつけ、バタバタと騒がしくなる。


「お兄ちゃん! しっかり!」


 太一は眉を寄せ、苦しそうにしている。


「私が最速で瑠妃さんを連れてくる。だから、頑張って!」


 世李は病室を飛び出した。



***



 早く、速く、はやく!


 世李は祈るように念じながらバイクを走らせていた。


 涙で視界がぼやけ、何度も瞬きをする。


 ようやく、会社のビルが見えてきた。あと少しだ。


 その時、目の前に飛び出す影があった。


 ハッとしてブレーキを引くが、タイヤがスリップし横倒しになる。そのまま制御できないバイクは人影に突っ込んだ。


 体が跳ね、回転する景色。


 最後の記憶は、


 固い地面と、血の臭い。



***



 シェリアータはがくがくと震えていた。


 罪があまりにも重すぎる。


「お兄ちゃんに会わせるどころか、会いに行こうとしてた瑠妃さんを、」


 あんなに想い合っていた二人を。


「私が殺してしまった……!」


 嗚咽とも吐き気ともわからないものが込み上げた。


「あああああ!!」


 幸せにしたかった。


 絶対幸せになって欲しかったのに!


「……そんな」


 ルディアは呆然と呟いた。


 あの時のバイク。


 太一のスマホに表示された『お兄ちゃん』へのメッセージ。


 全てがここで繋がるなんて。


 まだシュクレの姿のままのレノフォードが、シェリアータを見つけて駆け寄って来た。


「シェリ!? どうしたんだ」


「お兄様……」


 シェリアータは抱き起こそうとしたレノフォードを跳ね除けた。


「触らないで!」


 レノフォードは驚いてシェリアータを見る。


「私は、人殺しなの!」


 自分で自分がおぞましい。


「愛される資格なんてないの!」


 お兄ちゃんを不幸にしておいて、お兄様に愛されるなんて。


「誰も私に優しくしないで!」


 伸びてきた腕がシェリアータの腕を強く引き、抱き止めた。


 暴れかけたシェリアータは、その相手に気づいて呆然とする。


「……ルディア様?」


 シェリアータを力一杯抱き締めたのは、ルディアだった。


「貴女は悪くない」


 ルディアの細いうなじに、シェリアータの頬が押し付けられる。


「あの時、私は太一くんのことしか考えてなくて、信号も見ないで走ってしまった」


 シェリアータの耳元で、抑えた呼吸が荒ぶっている。


「事故は貴女のせいじゃない」


 ルディアの声が涙に滲んだ。


「私こそ、貴女を殺したんだわ……!」


 その上から、包むように覆い被さるものがあった。体にギュッと圧が加わる。


 レノフォードが、二人をまとめて抱き締めていた。


「……お兄様?」


「ごめん、二人とも」


 レノフォードは真っ赤な顔で歯を食いしばっていた。


「一番バカだったのは、僕なんだ」


 レノフォードは力を緩め、二人の顔を見た。


「るきちゃん」


 ルディアが目を見開く。


「せりちゃん」


 シェリアータが息を飲む。


「つらい思いをさせて、ごめん」


 レノフォードの目から涙がこぼれた。


 シェリアータは穴が空くほど兄の顔を見つめ、声をもらす。


「まさか……」


 レノフォードはうなずいた。


「僕は、藤見太一なんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る