第34話 瑠妃が見た最後の景色

 ルディア様は、瑠妃るき


 つまり、忘れられない恋人というのは、


 お兄ちゃん。



 前世の情景が頭をよぎる。



 申し訳なさそうに、でもはにかんだ顔で、恋人を不安にさせたくないと言っていたお兄ちゃん。


 力のない笑いを浮かべ、フラれたと落ち込んでいたお兄ちゃん。


 病院で苦しい息の中、彼女に会いたいと言ったお兄ちゃん。



 『別れの言葉さえ 言えなかった』


 さっき聞いた、ルディア様の言葉。



「瑠妃さんが……太一さんに会えなかったのは、どうして?」


「……それは」


 ルディアはぽつぽつと前世を語り始めた。



***



 眩しい撮影スタジオにシャッター音が響く。

 瑠妃は最輝とペアでポーズを取っていた。


「いいねいいね、雰囲気出てる!」


 カメラマンはイメージ通りの画にテンションが上がっているらしく、ノリノリでシャッターを切る。


「そこで絡んで、キスとかどう?」


「えっ!」


 思わぬ要求に身構えた瑠妃の隣で、最輝が手のひらを立ててごめんのポーズを取った。


「すみません、それはNGで」


 最輝は瑠妃を振り向いた。


「困るでしょ?」


「助かります」


 最輝はポーズに戻りながら囁いた。


「君とは、心もないのに体だけ近づきたくない」


 目が合うと、最輝は優しい笑顔を返した。


「無理はさせないから」



***



 撮影を終えて控え室に戻った瑠妃は、少し反省していた。


 最輝のことを誤解していたかもしれない。


「あまり冷たくするのも失礼かな……」


 考え事をしながらメッセージアプリを触っていると、うっかり仕事の連絡先をブロックしてしまった。


「あっ!……やだ、危ない危ない」


 解除しようとブロック設定画面を開いて、瑠妃は目を疑った。


 ブロックリストに、太一のアイコンがある。


「どうして? だって、昨日もやり取りしたのに」



***



 瑠妃は太一へのメッセージを入力する。


「明日は付き合い始めた記念日だよ」


 すぐに、返信がくる。


『そうだね』


「記念日、ちゃんと覚えてた?」


『もちろん覚えてるよ』


「嘘」


 送信しながら、瑠妃は撮影所の休憩スペースに入った。


「明日は、記念日なんかじゃない」


 腰かけてテーブルに寄りかかり、スマホをいじっていた最輝が顔を上げた。


「やっぱり、貴方だったのね」


「何のことかな」


「そのスマホ、いつものと違う」


 最輝は首を傾げてうそぶいた。


「仕事とプライベートで分けるのは普通でしょ?」


 瑠妃は厳しい目で最輝を睨む。


「私のパスワードを探り当て」


 太一の誕生日だった。推測は簡単についてしまう。あるいは、手元を見られていたか。


「太一くんの連絡先をブロックし」


 同じ現場で片方がスマホを置いて撮影に入るタイミングはいくらでもある。

 ブロックリストに入っていたのは本物のアカウントだった。


「見た目そっくりに整えた偽物を登録した」


 アイコンを流用し、設定名を同じにすれば簡単には気づかない。


「私が太一くんだと思っていたのは、 なりすました貴方だったんだわ」


 最輝はしばらく瑠妃の顔を見つめていたが、はーっと息をついて仰向いた。


「バレちゃったか」


 瑠妃は怒りに震えた。


「どうしてそこまでするの?」


「どうして?」


 最輝は愚問とでも言いたげな顔で瑠妃を見た。


「君が欲しいからだよ」


 瑠妃はゾッとした。


「君ほど美しく、僕を魅了する女性はいない」


 上滑って行く褒め言葉。


「パートナーとして完璧だ。 僕と君なら世界も取れる」


 私がいつ、そんなことを望んだ?


「……興味ないわ」


「どうして人生を棒に振ってブサイクな男にこだわるんだ」


 価値観がまるで違う。


「どうして、そうやって見下すの? 太一くんは、貴方より劣ってなんていない」


「フェミニストに毒されてるなら、目を覚ました方がいい」


 最輝は可哀想なものを諭すように、優しく語りかける。


「どんな綺麗事を言おうと、世間は僕を選ぶんだ」


 世間が選ぶ?

 だから何?


 瑠妃はワンピースのスカートをギュッと握りしめた。


「フェミとか綺麗事とか、そういうんじゃない」


 最輝は根本的に間違えている。

 私は譲歩も同情もしていない。


「私はただ、あの人がいいだけなの」


 欲しいものが全然違う。


「世間が貴方を選んでも、私は太一くんを選ぶの!」


 恋は自分を飾るものじゃない。

 私の心が震えるから、この恋をしているんだ。


 瑠妃は休憩スペースを飛び出した。



 ブロックしていたトーク画面の最後には、最輝が瑠妃を装った、冷たい別れの言葉が入っていた。

 ブロック解除して入れたメッセージには、まだ既読がついていない。


 電話を何度も鳴らしたが、繋がらない。


 撮影の仕事はまだ残っていたが、もうそれどころではない。

 体調不良を申し入れ、撮影所を後にする。


 今の時間なら、太一は会社にいるはずだ。


 タクシーを呼び止め、太一の会社の名前を告げた。



***



 瑠妃は太一の会社のビルに到着すると、受付に飛び込んだ。


「すみません、藤見太一は」


 すると、受付嬢はハッとした顔をした。


「お身内の方ですか? お荷物取りに来られたのなら……」


 瑠妃は案内しようとする受付嬢を遮った。


「荷物? 本人はいないんですか?」


「お身内ではないんですか? 失礼しました」


 受付嬢は慌てて頭を下げた。


「藤見は、緊急搬送されまして」


「……えっ!」


 血の気が引いた。


「搬送先は!?」


「失礼ですが、ご関係は」


「恋人です!」


 瑠妃はスマホの画面を見せた。


「証拠に二人の写真もあります。早く教えて!」


「中央病院に……」


 瑠妃はそのまま駆け出した。



 自動ドアをすり抜けて、表に出る。


 反対車線に停車しているタクシーが目に入り、掴まえようと走った。


 刹那、激しいブレーキ音が響いた。


 振り向くと、バイクがタイヤをスライドさせながら突っ込んでくるところだった。



***



「そこで記憶は途絶えています。私はそのまま命を落としたのでしょう」


 ルディアの語った過去が、シェリアータを激しく揺さぶっていた。


「お兄ちゃんが倒れた日に、事故……?」


 映像が甦る。


 大きな交差点。


「あ」


 横切る人影とブレーキ音。


「あああ」


 止まれずにスライドするタイヤ。


「ああ……」


 固い地面と血の臭い。


「思い、出した……」


 シェリアータはふらつき、壁に手をついた。


「全部……私のせいなんです」


「!?」


 ルディアが伏せていた顔を上げる。


 シェリアータは真っ青な顔でルディアに視線を合わせた。


「私が、お兄ちゃんも、瑠妃さんも、殺してしまった……」


 ルディアが呆然と目を見開いた。


「貴女が、殺した?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る