第26話 途絶えた消息

 ガチャ、パリーン!


「キャアァッ、奥様!」


 ルディアが応接間に向かっていると、行く先から不穏な物音とメイドの悲鳴が聞こえた。


 急いで駆けつけると、テーブルを拭いているメイドの向こうで、リチェラー公爵夫人が驚愕の表情を浮かべて固まっていた。


 状況を見ると、取り落とした銀の砂糖壺の蓋がティーカップを割ったのだろう。


 リチェラー公爵夫人の向かい側でロドル騎士隊長が立ち上がり、ルディアに会釈した。


「なん……ですって……? 男?」


 喘ぐように言ったリチェラー公爵夫人の手を握り、ルディアは隣に寄り添った。


「おばあ様、どうなさいました?」


 ルディアがリチェラー公爵夫人を覗き込むと、ロドル騎士隊長が答えた。


「調査のご報告にあがったのです。公爵夫人には先に簡潔にお伝えしたところ……」


 ルディアはロドル騎士隊長にうなずいた。


「状況は理解しました。それで、報告内容は?」


「フランロゼの邸宅で、男を娼婦のように着飾らせ興じるという倒錯した催しがあり、リチェラー卿は男娼の一人を口説こうと躍起になっておいででした」


 ルディアは息を飲んだ。

 確かにこれは、祖母にとってショックな報告だ。


 ロドル騎士隊長はメイドが片付けを終えたテーブルの上に、看板のような札を出した。


「こちらリチェラー卿より回収したものです」


『ウフ様 大好き♡』


 目を疑うようなメッセージが書かれており、それは確かにリチェラー公爵の筆跡だった。


「リチェラー卿は抵抗され、軽くお諌めしました。報告は以上です」


 ロドル騎士隊長を見送ったリチェラー公爵夫人の手は、ひどく震えていた。


「おぞましい……女ならともかく、男とは!」


 ルディアは祖母の肩を抱くようにして宥めた。


「おばあ様、落ち着いて。 まずはおじい様の話を聞かないと」


「しばらく顔も見たくありません」


 気持ちはわかる。

 しかし、対話の努力を怠ることの危うさを、ルディアは知っている。


「本人と顔を合わせて話を聞かないと、行き違ってしまいます」


 ……私のように。


 ルディアは、前世の風景を思い出していた。



***



 仕事の合間の休憩室。


 瑠妃はメッセージ履歴を眺め、ため息をついた。


『太一くん、そろそろ会えない?』

『もう少し待って』

『でも、心配なの。無理してない?』

『大丈夫だから、しつこくしないで』


 こんなことは初めてだ。

 そんなに傷つけてしまったのかと、後悔しかない。


「彼氏、会ってくれないの? 心配だね」


 目の前に紙カップのコーヒーが置かれ、顔を上げると最輝が気遣わしげに覗き込んでいた。


「これでも飲んで、気持ちを落ち着けて」


 正直、温かいコーヒーは有り難かった。


 が、相手は最輝だ。


「曇った顔も綺麗だけど、 次の撮影は明るさがテーマでしょ?」


 どう反応していいかわからずにいると、最輝は苦笑した。


「僕のこと、警戒してる?」


「……」


 最輝は隣に座る気配なく瑠妃から目をそらし、立ったまま自分のコーヒーを口に運んだ。


「確かに振り向いて欲しい気持ちはあるけど、僕は君の笑顔が好きなんだ」


 うつむいて、まるで独り言のように呟く。


「君がいいと言うまで、無理に距離を詰める気はないよ」


「……」


 最輝は遠慮がちに、瑠妃を気遣っているように見えた。

 もしかしたら、誤解していたのかもしれない。


「コーヒー、いただくわ」


 瑠妃は紙カップを手に取った。



***



 ルディアは記憶から意識を戻し、祖母の正面にひざまずいた。


「味方のように見える人を、妄信してはなりません」


 大事な人を疑いたくなった時ほど、真実を見極めなければ。


「私はおじい様を信じています」


「ルディア……」


 それに、知っている。


 あの娘がやろうとしているのはふしだらなことではなく、芸術なのだと。



***



「リュカ、今日は早いのね」


「さすがに、本番前だからね」


 今日は本番前の最後の練習日。

 明日の本番に向けたリハーサルをすることになっている。


「シェリ様」


 そこへ、ミレーヌが姿を現した。


「ミレーヌ様、リハーサルを見に来てくださったんですか?」


 シェリアータは笑顔で出迎えたが、ミレーヌの顔には焦燥の色が浮かんでいる。


「ロシュオルは来てないかい」


「いいえ、まだ来ていませんが」


 ミレーヌは落胆のため息をついた。


「ミニライブの後、家に帰ってないんだよ」


「え?」


「騎士見習いの訓練にも顔を出していないそうだ」


「ミニライブの後って……」


 背筋が冷えた。


 笑って肩を叩いたロシュオルは、何か言っていなかったか。


 異質な視線、警備の強化。


 あの時もっと、よく話を聞けば良かった。



 思い出そうとすると、別の記憶が頭をもたげる。


「うっ……」


 急に連絡が途絶えたと言っていた、

 顔色が悪い、


 お兄ちゃん。



***



「どうしたの? 顔色が悪い」


 世李が心配して声をかけると、太一は力なく笑った。


「……はは、彼女にフラれたんだ」


「えっ」


 あんなに大事にしてたのに?


「急に連絡が来なくなったと思ったら、メッセージアプリはブロックされてるみたいで、着信も拒否されてて」


「ひどい、どうして」


「僕がこんな見た目だからいけないんだよ」


 彼女は中身を見る人だと思っていたのに、やっぱり外見は気になるのか。


 落ち込む太一を、なんとかしてあげたかった。


「そうだ、ダンスしたら痩せるよ! かっこよくなって見返そうよ」



***



 嫌だ、これ以上思い出したくない。


 シェリアータは、世李の記憶をシャットダウンした。


「シェリ!ロシュがいなくなったって?」


 ミレーヌから話を聞いたらしいレノフォードとリュカリオが駆けつけた。


「お兄様……」


 兄の顔を見ると、現実に引き戻されて少しほっとする。


「僕、探しに行ってくるよ」


「オレも行く。手分けしよう」


「私も……」


 立とうとしたシェリアータを、レノフォードが制した。


「ロシュと行き違うかもしれないから、 シェリはここで待ってて」


 シェリアータはバタバタと駆け去る二人を見つめていた。



***



「すみません!」


 レノフォードはマソパジムのドアを開いた。


 入り口近くにいたフッキンが出迎える。


「何か用ですか?」


「友人を探しているんです」


 レノフォードは乱れた息を整えた。


「この間一緒に来た、背が高い、細身の騎士見習いなんですが、街を走っていて見かけませんでしたか?」


 フッキンは首をかしげた。


「さあ、見かけておりませんな」


 フッキンの厚い体の奥から、緑のウェーブヘアが覗いた。


「また、貴方ですか」


「ルディア様!」


 レノフォードはルディアに向き直った。


「細身の騎士見習い、見かけていませんか?」


「存じませんが……」


 ルディアは言葉を切り、じっとレノフォードを見た。


「フランロゼのご令息。少し、お話をお聞きしてよろしいですか」


 その真剣な視線に戸惑いながら、レノフォードはうなずいた。

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