第25話 公爵の浮気調査

 リチェラー公爵家。

 応接間を横切る公爵に気づき、リチェラー公爵夫人は刺繍の手を止めた。


「また会合ですか?」


「ああ、 最近政務が立て込んでいてな」


 リチェラー公爵は白いあごひげを撫でながら、重々しく答えた。


「何かトラブルでも?」


「いや、お前が気にするようなことはない」


「……そうですか」


 リチェラー公爵夫人は、難しい顔で公爵の去ったドアを見つめていた。


 夫人の向かいで刺繍を刺していたルディアは、手の止まった夫人をいぶかしんで声をかけた。


「おばあ様、どうかされましたか?」


 リチェラー公爵夫人は悲しげにため息をついた。


「女ができたみたいね」


「おじい様に??」


 リチェラー公爵は愛妻家で有名だった。


 今の地位を得たのは、アートデュエルサロンを切り盛りし発展させた夫人の功績も大きい。

 公爵は妻を立てサポートを惜しまず、二人は理想的な関係を築いてきた。


「最近、会合と言ってはいそいそと出かけるので怪しいと思っていたのだけれど」


 公爵夫人は緩慢な動きで刺しかけの刺繍をテーブルに置いた。


「……今日は、馬車に花を用意していて」


 確かに、政務の会合に花は必要ないだろう。


「あの真面目なおじい様が、そんな」


 しかしそういえば、とルディアも思い当たる。


 花言葉を聞いてきたり、ひげの手入れを気にしたりしていた。暇を持て余してルディアをチェスに誘いに来ることもなくなった。


「やきもちという年でもないけれど、面倒なことになると困るわ」


 やきもちに年は関係ないだろうとルディアは思ったが、公爵家としてのリスクを憂慮するべきなのも事実だ。


「騎士隊長に調査を依頼しましょう」


 ルディアは執事を呼ぶベルを手に取った。



***



 リチェラー公爵は、愛の言葉を伝えようと奮闘していた。


『ウフ様 大好き♡』


 応援札のメッセージを掲げ、伯爵たちと共に黄色……じゃなくて、黄土色?の悲鳴を上げている。


「ウフ様~!」


 指差しや投げキスをくらい、ヒートアップする面々に交じって楽しそうだ。



 パフォーマンス後、興奮醒めやらない推し友たちは賑やかに談笑していた。


「見てみたいとおっしゃられた時は驚きましたが、すっかりおハマりですな」


 フランロゼ伯爵に話を振られ、リチェラー公爵は照れくさそうにひげを撫でた。


「モエスキー伯爵の顔色が急にツヤツヤし出したのが気になってな」


「公爵様もツヤツヤしてらっしゃいますよ!」


 モエスキー伯爵の言う通り、リチェラー公爵の頬は赤みを帯びてツヤツヤしている。


「今日は花までお持ちになって……」


「ラナンキュラスにはな、『とても魅力的』『光輝を放つ』という花言葉があるそうじゃ」


 リチェラー公爵の蘊蓄うんちく披露に、モエスキー伯爵とドルオタ伯爵は色めき立った。


「ウフ様にぴったりですな!」


「さすが公爵様、博識でらっしゃる」


 フランロゼ伯爵はその様子をニコニコ眺めていたが、ふと気遣わしげに懸念を口にした。


「そういえば、孫のルディア様とはライバルですが……」


「わしは審査とは無関係だから、大丈夫じゃ!」


 リチェラー公爵は力強く親指を立てた。



 朗らかな空気に包まれる広間の、窓の外。


 換気口に耳を添え、室内をうかがう男の姿があった。



***



「では、また会場で」


「またの!」


 伯爵たちに手を振り、リチェラー公爵は鼻歌を歌いながら馬車へ向かった。


「公爵……」


 突如何者かの影が差し、肩に手を置かれてリチェラー公爵は飛び上がった。


 見ると、浅黒い大柄の男がリチェラー公爵を見下ろしていた。


 癖をなでつけた青銅の短髪の下、左目は黒い眼帯に覆われ、鋭い右目が冷たく細められている。

 輪郭を縁取るあごひげが男の人相に畏怖を追加し、首は顔の幅より太い。


「ろ、ロドル騎士隊長!」


 男はプリスキラ王国騎士隊の隊長、ロドル・ケークスだった。


「この催しは……どういうことですか」


 ロドル騎士隊長の眉間に深いしわが寄った。


「女の代わりに男に着飾らせて興じるとは、 なんとふしだらな」


「ち、違う! これは純粋な芸術鑑賞なのだ」


 リチェラー公爵の弁解の言葉を、ロドル騎士隊長の手が遮った。


「では、これは?」


 リチェラー公爵の肩に下がった袋から、応援札が抜かれる。


『ウフ様 大好き♡』


「純粋な芸術観賞……説得力がありませんね」


「よこしまな思いはない、本当じゃ! あれは男ではなく妖精さんなのじゃ!」


 リチェラー公爵が必死になるほど、ロドル騎士隊長の顔色は沈んでゆく。


「ともかく、馬車に乗ってお帰りください。追って公爵夫人にご報告します」


「騎士隊長……!」


 リチェラー公爵は有無を言わさず馬車へ押し込まれた。


 リチェラー公爵を乗せた馬車を見送り、ロドル騎士隊長はフランロゼ邸を振り返った。


「あの褐色の男」


 窓から見た光景を思い出す。歌の合間に軽々と回転する、長身の男。


「装いを変えていたが、あれは……」


 ロドル騎士隊長は、くうを睨んだ。



***



 シェリアータは着替えを済ませた三人を中庭に集め、今日を振り返っていた。


「ミニライブで、みんなすっかりステージ慣れしたわね」


 リュカリオの玄人っぷりには磨きがかかり、レノフォードの役に向けた気持ちの切り替えも早くなった。


「今度のアートデュエルでは、ルディア様をじゃがいもと間違えずに済みそうだよ」


「ルディア様を、じゃがいも??」


 シェリアータは目を剥いた。


「間違えたの!?」


 レノフォードは申し訳なさそうに身を縮めた。


「全然似てないよね。なのに言い間違えちゃって……ごめんなさい」


「お兄様ったら……」


 名前も見た目も何もかすっていない……天然か?

 それを繕いもせず謝ってしょんもり……素直か。


「可愛い~っ!」


「可愛いって……シェリはレノならなんでもいいのな」


 シェリアータの盲目に落ちた叫びにリュカリオは呆れたが、


「レノは可愛いだろ?」


 ロシュオルはリュカリオの反応こそ異質だと言いたげに首を傾げる。


「……は?」


 リュカリオは、レノフォード強火担の世界線に迷い込んでいた。



 打ち合わせを済ませたシェリアータは、三人を見渡した。


「明後日はいよいよアートデュエル本番よ。今度こそ頑張りましょう!」


「おー!」


 三人の声に、自信と気合いを感じる。


 シェリアータの中から、自分が引っ張るのだという気負いは消えていた。

 ただ、彼らを信じるだけでいい。



***



「シェリアータ」


 解散して中庭を出ようとしたシェリアータを、ロシュオルが引き留めた。


「ロシュ、どうかした?」


 ロシュオルは軽く手招きをして声を落とした。


「今日のミニライブ中、異質な視線を感じた。気をつけてくれ」


 シェリアータはハッとして、顔を赤らめた。


「あ……ごめんなさい」


「謝ることはない」


 シェリアータはうつむいてもじもじと指をこすり合わせた。


「見てるとつい、テンションが上がって……」


「うん?」


 ロシュオルは違和感に眉をひそめた。


「変態じみた視線を注いでしまって」


 そこでようやく、シェリアータの勘違いに気づく。『異質な視線』が自分のことだと思っているらしい。


「自分でもわかってる、気をつける……」


 ロシュオルは盛大に吹き出した。


「あはははは!」


「な、何?」


 シェリアータは驚いて顔を上げ、笑い転げるロシュオルに呆然とした。


「どうして笑うの! 私は真面目に反省して」


「君はしっかりしているようで本当に、なんというか……」


 ロシュオルは目尻の涙を吹いて、シェリアータに笑顔を向けた。


「可愛いな」


「かっ!?」


 シェリアータは目を白黒させた。


 カッと熱が昇り、心臓のようになった頬をつねる。


 落ち着け、この人は同じ言葉をお兄様にも連発しているではないか。

 別の言葉に翻訳するなら、多分……


「要するに、抜けてるってこと?」


「大丈夫、そのままでいてくれ」


 やはりそういうことらしい。


 ロシュオルはけらけら笑いながら、シェリアータの右肩に右手を置いてすれ違いざま囁いた。


「抜けた部分は俺がフォローするから」


 すり抜けたロシュオルは、去り際に振り向いて言った。


「警備強化の件は、フランロゼ卿に伝えておく」


 やっと、意味がわかった。


 シェリアータの視線が変態すぎるという話ではなく、警備の話か。


 ぐああぁ、恥ずかしい!

 恥ずかしさのあまり、心臓が爆発しそうだ。



 うずくまるシェリアータから少し離れた木陰に、気配を殺した影があった。


 プリスキラ王国騎士隊隊長、ロドル・ケークス。

 その大柄な体を器用に景色になじませながら、その場を去る。


 ロドルは片方だけの目をスッと細めた。


「やはり、ロシュオルか」

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